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【嘯きの壺・6】

 と、外の方が騒がしい。どうやら本堂の方角らしくて、友人たちに何かあったんじゃないかと、私は思わずそわそわとしてしまう。


「こちらの部屋は、お二人の宿としてお使いいただいて大丈夫です。ただ、ご存知かとは思いますが」


「むやみに声には答えませんし、開けませんよ」


 心得た様子の荒瀬さんに、私も頷く。恵栄さんはくれぐれも気を付けるよう言いおいて、部屋を出ていった。扉が閉まり、少しして。


 ふと荒瀬さんが、焦ったように舌を打つ。


「どうしたんですか?」


「うまいこと、使われたかもしれませんね」


「えっ?」


 その瞬間、勝手に、庭に面している障子が開いた。何もいない、私を庇うように荒瀬さんが抱き寄せてくる。心臓が、きーん、と小さくなる。


 そういったものに遭遇して、初めてのことだった。


 白いのが、私から離れた。勝手に開いた障子戸のほうへ、すたすたと歩いていく。何もいない方へ、何かが居ることを、分かっているように。


「なに、ほしいの?」


 答えはない。しかしややあって、白いのは私を見た。いや、正確には、私の腕にある安物の腕時計を見た。


「えみ、それ、ちょうだい」


 腕時計を恐る恐る外して、私は白いのへ差し出す。荒瀬さんが、食い入るように、その様子を見つめていた。


「これ、ほしい?」


 私に見えないそれを、荒瀬さんは見ているらしい。しかめっ面で、外をにらんでいる。


「あげるけど、えみの、だから、だいじ、して」


 はい。白いのが手渡したらしい、腕時計。それが、べしゃんっ、と音を立てて粉々にはじけ飛ぶ。あっ、と小さく私が声を上げたとたん。


 白いのが、甲高い声を上げた。


「やくそく!!」


 その瞬間だった。外に広がっていた黒い雨雲の中から、一筋の光が、地面を貫きそうな勢いで飛び込んでくる。雷だ、と思うより早く激しい衝撃音に私は、思わず蹲ってしまった。うわぁ、と誰かの悲鳴が聞こえて、そして。


 音が消え去ったとき、光がなくなったとき、白いのが私を包むように抱きしめた。


「えみ、もう、へいきだよ」


 優しい声に顔をあげる。いつもの真っ黒な、トンボの様な複眼。そのいつもの白いのを見て、私はひどく安心した。


 空は雲で厚く覆われているけれど、雷が鳴るような様子は無い。あの一瞬の雷は、一体どこから来たんだろうか。


 ぼんやりと考えていると、私がほかのことを考える余裕ができたと察してか、白いのが離れた。その顔は、良かった、と思っているようにも見える、ほのかな笑みを浮かべていた。


「大丈夫ですか」


「荒瀬さん」


「……さっきので、居なくなりました。もう、ここには来ないでしょうし、私たちには、かかわらないでしょう。白いのが、いると分かったようですから」


 背中をさすられて、ほっとする。粉々になった腕時計を、白いのが大事そうに、一粒ずつつまみあげているのが見えた。


 白いのはそれを両手に取ると、こちらへ来た。パーツも割れて、粉々で、だけど。不思議と、焦げたり溶けたりはしていなかった。雷の直撃を、受けたかのように思えたのに。


「はい、えみ」


 手を差し出す白いのに、うーん、と考えて、私はポケットからハンカチを出した。ここに置いてね、と言うと、それに従って白いのは掌の中の部品を、丁寧に置く。私はそれを包んで、白いのに伝えた。


「どうして私の腕時計が、必要だったの?」


「やくそくさせるため」


「約束?」


「やくそく、きまり。きまりごと。やぶっては、ならない、こと。だいじにって、いったのに」


 つまり。白いのは、私の腕時計を外の者に与えて、『大事にして』と伝えた。与える、ということは、その対価が必要になる。白いのにとって、対価は約束。しかしその約束は、腕時計が壊れたことで破られた。破られた約束に対する罰を、まさか、白いのは外の何かに与えたということだろうか。


 私は思わず、白いのの手を掴んでいた。


「なんでそんな危ないことしたの?」


「あぶなくない」


「恵美さん、落ち着いて」


 荒瀬さんに言われて、ハッとする。白いのが、うつむいていた。しょんぼり、という表現が似合う様子に、私は慌ててしまった。


「……ごめんね。私の事、心配してくれたんだよね?」


 のぞき込むように言うと、こくり、と小さな頷きが返る。


「わたし、は、えみの、むしだから。だから、した。あぶなく、ない」


「そっか。……ごめんね、すごくびっくりしちゃったの。白いのが、危険なことをしたんじゃないかって」


「へいき。わたしは、むしだから」


「ありがとう。じゃあ……うーん、お礼にってこの時計あげるのは、ちょっと違うか」


 粉々になった時計を見て私が言うと、白いのが急に笑顔になった。くれるの? 、と期待しているようなので、頷いてハンカチごと渡す。


「家に帰ったら、もっといいやつにしようね」


「いいやつ?」


「これ、壊れちゃったから」


「こわれてないよ」


 にこにこと返す白いのに、首をかしげる。壊れていない、という理由を聞こうとしたとき、だった。


 にわかに廊下の方が騒がしくなる。



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