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八塚の蟲 ~白いのと私~
六角 橙
ホラー怪談
2024年07月11日
公開日
60,916文字
連載中
怪異があった。人がいた。因習があり、そして途絶えた。

【八塚の蟲】と呼ばれる謎の憑き物。少女・恵美は、祖父母の家で『それ』と出会う。
白菊の宴なる儀式の後、恵美はそれまでの生活を捨て、家族ともどもとある民俗学者の元へ身を寄せることになる。

これは恵美と【白いの】が送る、人と神の物語。

【八塚の蟲・1】

 良く降る雨だ、と、私は思った。

 傘を差した帰り路、私の他には誰もいない。のどかな山道を、私は歩く。


「えみ」


 私の名前を、呼ぶ声がする。繁みが揺れて、声が近づく。


「えみ」

「駄目。びしょぬれじゃない」

「……えみぃ」


 泣きそうな声になった、私の名前を呼ぶ声。仕方ない、という顔を作って、傘をそっと差し向ける。


「傘には入れてあげるから、ね?」

「うん」


 とたん、元気が出たらしい、声。ぞわりと、私のすぐそばにやってきた、『それ』。

 白い。

 目が痛くなるほど、白い。

 にっこりと笑った口、その奥の舌だけが、赫い。

 白。ぷかりと、その文字だけが、頭の中を泳いでいく。

何時まで経っても、それには慣れない。


「えみ」


 私の名前を嬉しそうに呼ぶ、この白い何か。人の形、をかろうじて保っただけのそれは、雨に濡れながらぺちぺちと動いている。関節全てを回転させるような奇特すぎる動きには慣れたが、妙に綺麗で真っ白な彼の顔立ちが、浮き過ぎていて恐怖でしかない。


 そんなものに傘を貸す私も相当だが、ともかく『これ』は、私に害を加えることは絶対にない。

 それが分かっているから、私は取り合えず、『これ』になんとか接している。


「そろそろ、ちゃんと歩く練習する?」

「うん。する」


 素直に頷いて、それまで脚も手もぐるんぐるんまわしながら這いずってた『それ』は、一応立ち上がって二足歩行を始めた。踵とつま先の向きと、膝関節の向きをまた間違えているので、帰ったら教えなくてはならない。


「ただいま」


 郊外の住宅地。自然も近いそこに立つ、とある家。表札には、『荒木』と『田中』の二つの名字。

 ぺたぺた歩く『それ』と共に、玄関をくぐる。雨にまみれたように見える『それ』だけど、玄関には染みの一つもできやしない。


「おかえり、恵美」


 母さんが笑いかけてきて、私も笑う。『それ』は嬉しそうに、かくかくと首を左右に揺らしている。

 この、『これ』は、母さんには見えていない。真っ白の、人間の形をかろうじて保つ何かが、首を揺らしている様など、見えてはいない。


 これは私の妄想なのではないか。

 これは私の空想なのではないか。

 そう思ったことは何度もあって、でもどうやら違うのだと、思っている自分も居て。


 ともかく。


 謎ばかりの『それ』との縁が出来てしまったのは、夏休みの始めのことだった。


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