良く降る雨だ、と、私は思った。
傘を差した帰り路、私の他には誰もいない。のどかな山道を、私は歩く。
「えみ」
私の名前を、呼ぶ声がする。繁みが揺れて、声が近づく。
「えみ」
「駄目。びしょぬれじゃない」
「……えみぃ」
泣きそうな声になった、私の名前を呼ぶ声。仕方ない、という顔を作って、傘をそっと差し向ける。
「傘には入れてあげるから、ね?」
「うん」
とたん、元気が出たらしい、声。ぞわりと、私のすぐそばにやってきた、『それ』。
白い。
目が痛くなるほど、白い。
にっこりと笑った口、その奥の舌だけが、赫い。
白。ぷかりと、その文字だけが、頭の中を泳いでいく。
何時まで経っても、それには慣れない。
「えみ」
私の名前を嬉しそうに呼ぶ、この白い何か。人の形、をかろうじて保っただけのそれは、雨に濡れながらぺちぺちと動いている。関節全てを回転させるような奇特すぎる動きには慣れたが、妙に綺麗で真っ白な彼の顔立ちが、浮き過ぎていて恐怖でしかない。
そんなものに傘を貸す私も相当だが、ともかく『これ』は、私に害を加えることは絶対にない。
それが分かっているから、私は取り合えず、『これ』になんとか接している。
「そろそろ、ちゃんと歩く練習する?」
「うん。する」
素直に頷いて、それまで脚も手もぐるんぐるんまわしながら這いずってた『それ』は、一応立ち上がって二足歩行を始めた。踵とつま先の向きと、膝関節の向きをまた間違えているので、帰ったら教えなくてはならない。
「ただいま」
郊外の住宅地。自然も近いそこに立つ、とある家。表札には、『荒木』と『田中』の二つの名字。
ぺたぺた歩く『それ』と共に、玄関をくぐる。雨にまみれたように見える『それ』だけど、玄関には染みの一つもできやしない。
「おかえり、恵美」
母さんが笑いかけてきて、私も笑う。『それ』は嬉しそうに、かくかくと首を左右に揺らしている。
この、『これ』は、母さんには見えていない。真っ白の、人間の形をかろうじて保つ何かが、首を揺らしている様など、見えてはいない。
これは私の妄想なのではないか。
これは私の空想なのではないか。
そう思ったことは何度もあって、でもどうやら違うのだと、思っている自分も居て。
ともかく。
謎ばかりの『それ』との縁が出来てしまったのは、夏休みの始めのことだった。