2023年8月31日。浦川辺あやが出演した最強女子高生コロシアムは、夏休み中の長空北高校で話題になっていた。昨年入学した元子役・芸能人のあやが、歌手を目指して毎夏恒例の長時間番組である最強女子高生コロシアムに出場していた。皆、大興奮だった。
この日、3年生のいつものメンバーは予備校の夏期講習の最終日だった。神楽りお、泉岳きらり、横山みずき、田原えみか、中嶋ゆずが打ち上げで駅前のカラオケボックスにいた。正午から午後20:00までのサービスタイムで、その日の講座の終わった者から参加した。
この夏、きらりの女子サッカー部は全国制覇を達成した。前田よしとの男子バレー部はインターハイ出場も2回戦敗退だった。
みずきが、
「てっちゃんは千葉大学に落ちたら私と別れる気でいます。私が落ちたらどうなるんだろうね?」
と言う。夏期講習中はこのネタで仲間内の笑いを取って来た。
「私はてっちゃんと一緒に千葉大学に行きたいのに!」
りおが、
「離婚だね!」
と言うと、
きらりが、
「せめて『最後の晩餐』って言ってやれ!」
と言う。
みずきがジロッときらりを見て、
「『禁断の交わり』が言うな!」
と言い返し、りおに、
「地下ドル堕ちした浦川辺あやが歌手でテレビ出演しました、お気持ちは如何ですか?」
と言う。
「え~!なにその言い方!みずきは酷いよ、今日!」
「泉岳は、大好きなりおを奪い取られないようにな!」
空気を読んでえみかが歌い出すと、中嶋がタンバリンを叩いた。
2023年9月1日。あやは、りおの教室を訪れた。
りおは、
「浦川辺さん。元気そうだね。テレビの事、皆から聞いたよ」
と言う。
あやは、
「メジャーデビューは来年1月を予定しています。それまで地下で応援してくれたファンの為に歌います。一人でも多くの人に感謝の気持ちを届けたくて」
と言う。
「それはよかったね。教えてくれてありがとう。私が5月のコンクールに応募した小説は、1次審査を通過して、2次審査の結果を待っている所だから。浦川辺さんに言った事を自分で守らないと。一人でも読んでくれる人がいたら、その人の為に書かなきゃって思うよ」
「その読んでくれる一人とは泉岳先輩ですか?」
りおは、フッと息を吐いて、
「浦川辺さん。悩んでいる事があったら何でも相談して欲しいけど、私はきらりと一生一緒にいるつもりだよ」
と言った。
あやは、
「そうですね。それで相談事があって…」
と言う。
あやは教室に戻ると、後ろの席で将棋の本を読んでいる三栖じゅえりを見つけた。
あやは、
「じゅえりは、悩んでいる事はないのか?」
と言う。
じゅえりは、
「あや様は唐突に何を言われますか?」
と言う。
「じゅえりに言われた事を思い出したら、最強女子高生コロシアムでイイ感じに歌えた」
「本当ですか?」
「その御礼に何でも聞いてあげようと思って」
「大丈夫ですよ。あや様がメジャーデビューしたら、ダウンロードして聴きます」
じゅえりは、あやが最近よく話しかけてくれる事が、本当は嬉しかった。
2023年9月2日。土曜日、この日は午後から雨だった。じゅえりは、午前中に二つ離れた駅に用事があった。傘を忘れて来たため、長空駅で少し雨宿りをしていた。この時期の雨は線状降水帯と言って、少し粘ればあがる。
お姫様と王子様。
お姫様と王子様。
森の中で出会いました。
魔法使いと赤い鳥。
青い竜に跨った女の子。
花も綺麗に咲いていました。
太陽が落ちて氷の月は、王子様に味方をします。
王子様はお姫様を守れるのでしょうか。
お姫様は王子様が大好きです。
お姫様も王子様が大好きです。
じゅえりは、親戚の家に行った帰りだった。2歳の子どもがいて童話を読んであげた。雨宿りの最中に思い出した。
心は澄み切っていても生憎の雨。
事件が起きてしまった。
じゅえりは見知らぬ男性達に声を掛けられた。
ナンパだった。
「可愛いじゃん」
「雨が上がるまでボーリング行こうよ。足あるよ」
「ダーツでもいいよ」
「うどんでもいいよ」
じゅえりは困った様子で、
「行きません」
と言った。
相手は大人で、とにかくしつこかった。
あの…その子の知り合いなんですけど…
松岡だった。
これから遊びに行く松岡、岡部、井沢、新垣が偶然駅に来ていた。
ナンパの男性達と口論になってしまい、関係無い周囲の人達は迷惑そうだった。
「お前ら長空北高校だろ…!喧嘩できない高校じゃねーか…!なぁ…!」
恐ろしくなって顔面蒼白のじゅえりに、駅の係員が来るより先に、井沢が、
「逃げれないんで、逃げてください」
と言った。
じゅえりは、状況が理解できて、雨の中を走って逃げた。
じゅえりを逃がすと、松岡が、
「じゃあ、すいませんけど」
と言って改札口の中へ歩いて行った。岡部、井沢、新垣も後に続いて行った。4人とも背が高くガタイが良いので、スタスタと歩いて抜けて行った。ナンパした者達は追いかけては来なかった。
濡れながらトボトボと歩いていると、家までまだ距離がある。
じゅえりは、
「『僕は』弱いんだ…」
と言った。
じゅえりは、怯え切った自分が不甲斐なかった。
不意に思い出したのはあやの顔だった。
あんなに綺麗な人と一緒にいて、同じ目に遭った時に、自分とは何も出来ない。
雨に濡れた住宅街のど真ん中で、誰も通らない十字路のミラーが雨粒でずぶ濡れだ。
「何を言っているんだどう見ても女の子だよ」
そう思って、気が晴れるまで雨に濡れていた。頬の雫を洗い流すように。
やがて雲が通り過ぎて、晴れ間にも似た曇り空になった。
そしてまたトボトボと歩き出した。
家に帰ったらずぶ濡れの自分を家族が心配するだろう。
帰り道の事を知ったらどんな気持ちになるだろう。
すると、行く道の真ん中にきらりの幻影を見た。
きらりの幻影は、
「からかってゴメンな…」
と言う。
「いいえ。きらり先輩が好きでした…」
するときらりの幻影は指先をじゅえりに向けた。
じゅえりは、少し悩んでから、ハッとして、後ろを振り返った。後ろに誰かいるのかと。
振り返ると誰もいなかった。
ゆっくり向き直すときらりの幻影は消えていた。
2023年9月4日月曜日。
この日もあやがりおの教室を訪れていた。何やら話し込んでいる様子だった。
会話が終わった後で、きらりが、
「りお。なんで?」
と聞いた。
何故あやの相談に乗っているのかという事だ。
りおは、
「私ときらりは恋人だけど同じ悩みで理解を必要とする人達のための存在でもある」
と言った。
きらりは正論だなと思いつつも「それじゃあダメだ」と思った。
みずきは、
「よくわからないけど、浦川辺さんは断ったほうがいいよ」
と言った。そして、きらりに、
「放課後、話がある…」
と言って来た。勉強以外にやる事がない今の時期に何の相談だろうか。
放課後。
みずきの相談は恋愛相談だった。
みずきは彼氏の園崎に言われたのだ。
自分の眼で見て価値があると思ったのならそれまでだろ
俺がみずきを好きなんだ
俺は信用される側
みずきは、
「意味がわからなかった」
と言う。
きらりは、
「園崎は自分が下で、横山が上だと思ってる」
と言った。
「上に値しないと思われたらどうなるんだよ。てっちゃんが怖い」
「横山もそう思っていればいいんじゃないのか?」
「それは絶対に違う。仏門の修業じゃないんだから」
「じゃあ既に横山の価値を疑ってるんじゃないのか?」
「価値ってなんだよ~!」
「相手が急に難しい事を言い出したら、わかんない自分を好きになって貰えばいいんじゃないのか?」
「りおはそうなの?」
「そうしてきた」
「はぁ?やはり女の子同士は全く参考にならない…!」
「勇気を出して『千葉大学に落ちても別れたくない』って言えよ」
みずきは、
「自分でやる」
と言って、話を終えた。
その夜、きらりは携帯電話のメッセージアプリでりおに聞いてみた。
「いままでは浦川辺と話している事をかいつまんで私に教えていたのに、最近サボってないか?今更大切だぞ!」
直ぐに既読がついて、
「きらりが知る権利の無い話。浦川辺さんの今を応援する資格は無いでしょ」
と返事が来た。
「1回だけハッキリ言って。信じるから」
りおは、何を話しているのかメッセージアプリできらりに丁寧に伝えた。
きらりは読むだけ読んで「それは仕方が無いな」と送った。