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第78話「新学期」

2023年4月7日。新高校3年生の神楽りおは、始業式の朝に携帯電話のメッセージアプリを確認した。着信のメッセージは1つあった。前田よしとからだった。


「神楽は俺と泉岳と同じクラスだから。横山と田原も。中嶋さんもだったはず」


過去の時間ループの記憶があるよしとが、関係者各位が同じクラスだと連絡して来た。りおは返事をして、携帯電話をしまった。


時間が巻き戻らなくなった世界。桜並木は、りおを優しく出迎えて。そこを自転車で駆け抜けるりおは、どうして桜の花の色で優しさを想起するのか思い起こした。


桜の咲き誇る中、きらりと裏門で待ち合わせた。


「今年も有望な新入生が来るといいね」


「今年も新歓はちゃんとやるぞ」


春の匂いはりおを綺麗に映す。


春の陽気はきらりを快活な女の子にする。


冬を越えた恋人に訪れる春の二人、そこへ風がすり抜けて。


りおは、


「5月のコンクールにはもう応募した。一次審査の結果がわかったら教えてあげる」


と言った。きらりは、


「今年の連休は順調ならインターハイの予選でスケジュールが一杯だ。でも4月30日と5月5日にそれぞれの誕生会をちゃんとやろう」


と言う。りおは、


「いいよ。お泊りしよう」


と言って、桜の花びらを浴びる教室棟までの道を手を繋いで歩いた。幸せな時間を大切にする魔法をかけて、お互いの顔を近くに感じても、少しだけ遠くに感じても。




浦川辺あやは、雛菊さや、三栖じゅえりと同じクラスだった。理系のクラスで、芸術で音楽、理科で物理の単位を取る生徒達のクラスで一緒になった。


さやは、


「運命だね♡」


と言って嬉しそうだった。


あやは窓から見える桜が、学校の桜が時を急かすようにも見えた。3月のオーディションの後に「地下で活動してみたい」と観音寺社長に言った際、「出来れば早く芸能活動に専念したほうが良い」と言われた。17歳、18歳、19歳と1年経つごとに潜在的なファンを引き付ける力が変わる。端的に言うと不利になる。19歳時点で、典型的な17歳の実力ではあえて19歳を選ぶ理由が無い。アイドルもシンガーも地下は大勢いて、聴く人もコアなファンから今日SNSでたまたま知った人まで様々だ。数ある中から自分を選んだ人を最後メジャーで輝いて喜ばせる事に、居ても立っても居られない意志が必要だ。


あやが後ろの席を見ると、席決めで後ろの席を選んだじゅえりが、相変わらず将棋の本を読んでいた。


午前中で終わった行事日程の後、男子バレー部のウォータージャグを運んでいると、体育館には新入生の人だかりが出来ていた。


新入生の一人が、


「男子バレー部をテレビで見て、長空北高校に絶対入りたいと思えたんです」


とよしとに言う。


よしとは、


「合格おめでとう!」


と言って、嬉しそうにしていた。また今年も女子マネージャーが加入するのだろう。




春は出会いの春でもある。長空北高校に入学する事が目標だった沢山の15歳が集まって、これから先の将来を展望したり、同じ匂いにたむろしてみたり。あやにも、きらりにもあった出会いの春が、今年もやって来た。


4月20日から始まるインターハイ予選に備えて最終調整をする長空北高校女子サッカー部は、文武創造学園が欠場した予選を勝ち抜いて出場した1月の全国大会で、サイドバックの蛇島を中心とするゾーンディフェンスが通用する事を体験していた。さらに磨きをかけて、東京最強の文武創造学園に勝ちインターハイに出場する。目標到達点は全国制覇だ。


女子サッカー部の練習するグラウンドに、入学式を終えたばかりの新入生が二人で見学に来ていた。きらりは、来週月曜日の新入生歓迎オリエンテーションの前に来るなんて意識が高いなと思った。そこで、


「女子サッカー部に興味があるの?」


と聞いてみた。


片方の女子は、背が低く、色白で黒髪を耳の下で二つ縛りにした顔をしていた。きらりを見ると、


「長空北高校の女子サッカー部は昨年から急に強くなったんですよね」


と言う。


りおと同じくらいの体格だ。サッカー経験者だとしたら、習い事で続けていたような感覚の子だろうなと思われた。あまり堂々としていない大人しい新入生だ。きらりが、その子の黒髪が風に揺れて、白い首元をかすめるコントラストをジッと見ていると、


「…あの?」


と不思議そうにされてしまった。きらりは、


「部長の泉岳です」


と落ち着いた声で言った。新入生は、ドキッとして、少しだけ視線を外した。


「栗花落(つゆり)と言います」


「それは苗字ですか?」


栗花落は笑って、


「はい!そうです!」


と言った。


すると隣にいたもう一人の新入生が、


「こいつと同じ中学から来ました。武藤と言います」


と言った。武藤の方は体格が悪くなかった。沢山練習する選手にありがちな上半身。武藤と栗花落は同じ中学の女子サッカー部の出身だった。


「全国行きたいか?」


「はい、行きたいです」


「全国制覇したいか」


「はい、したいです」


きらりは、久しぶりに野心に満ちた顔で、


「東京からぶっ飛ばさないとな!」


と言って笑った。


武藤と栗花落は顔を見合わせて微笑むと、


「今日は見学します」


と言って、制服姿で見学した。選手登録の関係で新1年生はインターハイ予選には出場できないが、根気よく続けてくれたらいいなと思った。きらりは、星雲、蛇島、蠍屋、稲本には「新入生が見学に来ているからあまりドン引きさせるな」と言っておいた。蠍屋は「甘い事を言いますね」と言って、見学の新入生二人に何かを話しかけていた。




3年生に上がって受験勉強に専念になった文芸部のりおは、校内の図書室で勉強をしていた。小説もコンクールに応募するくらい推敲を重ねた作品が書けて、少しの間は筆を休めようと思った。お笑いのショートショートでも書いて英気を養いたいとも思った。


交通事故で一切の記憶を失った女の子が兄を恋人と勘違いする話の結末は、当初は兄の紹介で出会った男性と恋人になる話だったが、実際は記憶喪失ゆえ異性として意識するようになった兄と恋仲になるも、兄の中に自分に似た人間性を見出して、妹のほうが兄妹である事を深く自覚してしまうという壮絶な内容に仕上がった。


6人掛けの机の真ん中に座って、この日は数学の復習をしていた。ふと顔を見上げると、よしとの幻影が座っていた。視線を問題集に戻して、また続きを解く。心臓の音が少しだけ速くなって、チラッと前を見ると、やはり真剣な顔で本を読むよしとの幻影が座っている。


「嫌だな。本物は男子バレー部の主将だよ。今頃体育館で一生懸命バレーボールをしているよ。全国大会に出たヒーローだよ」


心の中でそう呟いた。よしとの幻影は、何も言わずに姿を消した。 

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