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第77話「STAND BY ME」

浦川辺あやは、1月18日に応募したボーカリストオーディションの書類審査に通った。3月19日に本戦の最終審査が行われる。最終審査で合格すれば大手レコード会社と契約が約束される。書類審査の合格率は1%だった。5000人が50人に絞られた。最終審査の課題曲が伝えられていた。課題曲は男性のシンガーソングライターが書き下ろした1分40秒間の音源だった。


2023年3月上旬。この日の男子バレー部には卒業を間近に控えた前部長の塩村が来ていた。塩村は慶応義塾大学に合格していた。夏の猛勉強が功を奏して、秋も冬も全力疾走した魂の勝利だった。


塩村は、あやに、


「芸能界復帰に向けて頑張ってるんだってね」


と言う。


あやは、


「おめでとうございます。勉強も限界に挑戦したんですね。私も限界まで行きますよ」


と言った。


塩村は法学部に進学して、卒業したら法科大学院に進学したいと言う。弁護士を目指すと言っていた。男子バレー部に携わった人が夢や目標に羽ばたいていく事が嬉しいと言っていた。


写真部の笘篠は立教大学に合格していた。あやが、神楽りおと恋人を応援する事にしたと伝えると、笘篠は、そんなに深入りすると思わなかったと申し訳なさそうにした。


国立大学の前期試験の合格発表は来週から、公立大学の中期試験もはじまる。その後に国公立大学の後期試験が行われて、下旬にはほぼ全ての者の進路が決まる。


夕方も暖かい日が戻って来た季節の変わり目に、木々に宿る緑もやがて咲く花のためにあると思える。それぞれの道に期待感を募らせる者もいれば、不安と戦う者もいる。


雛菊さやが、


「あやちゃん♡暇な日あったら原宿行かない♡あやちゃんと歩いてみたい♡」


と言い出した。


あやが、


「いいよ」


と言う。さやは誕生日が3月だった。誕生日のお祝いを親友のあやと過ごしたかった。あやは前回の時間ループを思い出していた。前回の時間ループでは花火の夜に突然キスをされてしまった。


「いいけど…友情だよ?」


「うん♡友情だからだよ♡チーズタッカルビのお店があるの♡」


原宿の街は昨年11月に行ったきりだ。二人でオシャレな格好をして、あやの最寄り駅で待ち合わせた。市街地を駆け抜ける列車は休日らしく閑散としていた。あやはボーダーのセーターを、さやは桃色のシャギーニットを着て来た。


あやは、


「原宿は11月に芸能界復帰を悩んでいる時に来たよ」


と言った。それから沢山の事を離した。時空の鬼道の事は言わなかったが、さやが親友で頼もしいと伝えた。ここ最近の半年間で、一時期は泣きたくなるような事が続いたが、今は持ち直していると、それがさやのおかげだと伝えた。


「芸能人になっても、誰と付き合っても、私はあやちゃんを知ってるよ♡」


さやは、そう言うと、両手でハートマークを作って、


「あやちゃんも私を知っているから♡」


と言った。


チーズタッカルビのお店は休日なのに少し閑散としていた。あやは、さやの大学進学について聞いてみた。どの辺りの大学で悩んでいるのか、大学では何を勉強したいのか、教えて欲しかった。


さやは、


「理系」


とだけ答えると、下を向いて少し考えてから、


「都内私立はちょっと嫌だな」


と言った。そして少しずつ、具体的な大学名や学部学科を語り始めた。あやの悩みやコンプレックスに立ち入っていた事を考えたら、あやが自分の進路を聞いてみたい気持ちもわかる。


「古典が面倒くさいの♡埼玉大学工学部かな♡」


「そんなに細かく悩んでるんだ」


「大っ嫌いなだけ♡」


さやは思い切って沢山愚痴ってみた。あやより自分の方が大変な道を歩んでいるつもりで。それが一番滑稽で気楽な話だろうと思って。


「本当はどこ行きたいの?」


「う~ん?東工大♡」


「あははは!東大でいいよ!」


「大学院行きたいの♡」


さやは、遠慮の無いあやが、やっと膨らんだ風船のようだった。もっと笑い飛ばして欲しかった。あやの進む道が気高いものだと、あやは思っているべきだから。自分で決めた価値に従順である事は、気高いだろうと。




時が少し流れて。


2023年3月19日の最終審査の日がやって来た。都内の会場には書類選考を突破した50人が集まっていた。最年少は12歳の小学6年生だった。上は25歳くらいまでだったと思われた。平日は会社員をしている者もいた。椅子に腰かけた応募者達は一人ずつ呼ばれて、全員の前で課題曲を歌唱し、その直後に審査員5名から簡単なフィードバックを貰えた。


「観音寺芸能プロダクションから来ました、アイスマソです」


「アイスマソ?」


「本名は鈴木りかです」


「ほ~ん」


鈴木はいつもの厚手の白いパーカーで本番に挑んだ。鈴木の歌声が鳴り響いて、高い音も声が裏返らずよく通った。


「う~ん。高い音で何を表現したいの?」


「一生懸命練習して…」


「練習すればいいと思っている時点で何も分かっていない!」


鈴木は酷評だった。


あやに順番が回って来た。あやは課題曲の歌詞で「空っぽの冷蔵庫を開けてラーメンを食べたくなるから」の部分で鈴木がしくじるとは思わなかった。あやは、どう唄えば良いか見当がついていた。


「上手いね」


空っぽの冷蔵庫は独り寂しい気持ちだから、ラーメンは出て行った恋人だ。ハスキーな裏声が正解だと思った。鈴木はラーメンが好き過ぎた。


審査員達は顔を見合わせて、


「ラーメン…ね」


「ねぇ…ラーメン」


と言って褒め称えた。


ただ最後は、


「う~ん。ま、初オーディション?だな…もっと聞きたいね!頑張って!」


と言われた。


優勝したのは23歳のフリーターの男性だった。




観音寺社長からは、


「楽勝?」


と聞かれた。


あやが、


「りかみたいに地下やりたいな…」


と言うと。観音寺社長は


「修行だな!」


と言って励ました。




2023年3月20日。長空北高校は3学期の終業式を迎えていた。三栖じゅえりは、


「あや様。来年は理系ですか?確か理系にするって言ってた気がします」


と聞いて来た。


あやは、


「そうだよ。じゅえりも理系だよね。同じクラスだといいね」


と言う。


「あや様からそう言ってもらえるのは嬉しいです」


さやは、


「あやちゃん♡オーディションお疲れ様♡」


と言う。


「さやちゃん。私、ダメだった。もっと専念しないとダメかもしれない。高校3年間は男子バレー部の女子マネージャーを続けたかったけれど」


「え~♡悩んでるんだ♡でもそうだよね♡二足のわらじも大変だよね♡」


「前田先輩の引退は絶対に見届けたい」


「前田先輩♡本当にお疲れだよね♡」


じゅえりは、


「貴殿らは今日は部活動があるのですか?もしかしたら同じクラスは最後かもしれないから記念に歌でも歌いませんか?」


と言う。


あやは、


「あぁ。じゅえりにも確かに世話になったかな」


と言って、時空の鬼道のアンインストールの時や、神楽りおの事で悩んでいた時期にも相談に乗ってくれたなと思い起こした。それ以外にも日頃の学校生活で、根気よく親しくしてくれた存在でもあるなと思った。


「明日が春分の日で部活も休みだよ」


さやは、


「いいね♡あやちゃんプロだから聴いてみたい♡」


と言う。


じゅえりは、


「貴殿らと一緒にカラオケに行きたいです」


と言うと、あやに、


「皆、あや様が好きですよ」


と言った。


あやは、嬉しかった。じゅえりの後頭部にポンと手を添えると、


「そういう優しい人には懲りたんだよ」


と言って、そっと抱きしめた。


じゅえりは、戸惑いながら、


「あや様の生きる道に前向きさがはびこりますように」


と言うと、あやは、


「いいよ」


と言って、最後はまたじゅえりの稚拙な優しさを許したのだった。これから咲き誇る桜の花にような友情に包まれて、あやは本当の未来時間へと旅立つのだった。 

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