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第70話「知恵の鬼道 後編」

神楽りおと前田よしとが豊島区の大塚駅に着くと、改札を抜けて南口へ早歩きで進んだ。りおとよしとは、南口をくぐり抜ける際、正面の方角から歩いて接近してくる男性の人影が目に入った。


晴男が南口で待機していた。


「前田君だね」


晴男はよしとに話しかけた。晴男は、浦川辺あやの携帯電話のカメラアプリにあった画像で、よしとの顔を把握していた。男子バレー部の大会で撮った記念の集合写真で。もちろん来春の全国大会出場が決まって順風満々だった事など、観音寺芸能プロダクションの観音寺社長や晴男には正直関係ない。


「はい。前田よしとです」


帰って来る返事を聴いた晴男は、第一声で凶悪な人物ではない事がよくわかったのだが、それで納得して許してやるわけにはいかない。最低限よしとには反省させないといけない。よしとの時空の鬼道で、観音寺社長も晴男も、世界の人々も同じ時間の繰り返しから抜け出せていない。


「そちらが神楽りおさんかな」


晴男は精一杯作り笑いして、同行者のりおにも話しかけた。よしとが術者である以上、りおは被害者に違いないと思われた。


「はい。神楽りおです」


りおは特別恐れる事はなかった。そもそも、よしとが時空の鬼道を解除しない限り、自分に危害を加えれば鬼道が発動して時間が巻き戻る。そのような事にはならないだろうと思われた。相手方の関係者と思われる晴男も落ち着いた態度で、恐怖はなかった。


「はじめまして。観音寺芸能プロダクションの晴男です。ついて来てください」


時刻は20:00を少し過ぎた頃だった。観音寺芸能プロダクションの事務所のある雑居ビルに到着した瞬間は恐怖が増大したが、晴男がやたら暖かな声で、


「エレベーターに乗って」


と言うので、よしとは手が震える感情をこらえて、


「はい」


と返事をした。


観音寺芸能プロダクションの事務所で、あやと対面した。あやは、急に呼び出して申し訳ないと思いつつも、場の空気を頼って、


「前田先輩。時空の鬼道って本当だったんですね?」


とやや強い口調で言った。


よしとは、


「本当だ。申し訳なかった」


と言う。よしとは、座っている観音寺社長が鬼道使いである事は類推出来ていたが、どのような鬼道かは詳細に知らない。肉体の記憶を呼び覚ますとは何だろうか。


観音寺社長は、このやり取りを見て小さく頷くと、挨拶を抜きにして、


「前田君は、あやちゃんと、神楽りおさんに時空の鬼道をインストールしたので間違いないんだね?」


と言う。


よしとは、時空の鬼道について自分の知っている限りの情報を観音寺社長に白状した。あやもりおも聴いていた。神楽りおの『身体に大きな怪我や損傷を伴う出来事が起きたとき』に時間が巻き戻る。浦川辺あやは、『神楽りおを愛して、しかしそのことで深く傷つき、自分の行いを後悔する』と時間が巻き戻る。この場にいないが泉岳きらりにはバックアップの呪術がかけられている。りおは、鬼道を自分の便利な魔法だと思って、何度も自分の意志で鬼道を発動させてしまっていた。あやの鬼道発動条件は、りおもあやもこの時初めて知らされた。


観音寺社長は、ずっと聴いていると、


「神楽りおさん。はじめまして、観音寺といいます。前田君の言う事は本当かな?」


と、今度はりおに尋ねた。


りおは、


「私に鬼道がインストールされているのは間違いありません。鬼道を発動させた人は、発動する条件を断片的に把握できるんです。私は『ゴショガワラ交差点で大型車両に跳ねられると時間が巻き戻る』便利な魔法だと思っていました」


と、自分にもインストールされている事には同意した。恐らくそういう事が知りたいのだろうと思った。


観音寺社長は大きく頷くと、りおをソファに座らせた。そしてりおの手に手を重ねて、呪文を唱えて知恵の鬼道を発動させた。2022年4月7日から超高速再生をした。これで最初の時間ループで、よしとがりおに鬼道をインストールする様子を確認できた。その後、最初の発動までを確認すると、次に今回の時間ループを超高速逆再生して、前々回の時間ループの終端である2023年12月6日までりおの記憶を確認した。


りおは、


「これは本当の記憶ですか?」


と言う。


観音寺社長は、


「私の鬼道は『知恵の鬼道』と言って、手で触れた対象者の記憶を探って共有する事ができる呪術よ。探られた記憶を対象者が思い出す効果もあるの。知恵の鬼道は肉体に宿る記憶を探るから時空の鬼道で消えた記憶も確認できるの」


と、りおにも説明した。


観音寺社長は、りおを説き伏せた。


「時間の巻き戻しは困る人もいる。たとえば前回の時間ループで、神楽さんは時間が巻き戻って欲しくなかった事が何度もあったはず。今回の時間ループでも、何度もそうだったはず。それと同じ気持ちでいる人が大勢この世界には暮らしていて、悲惨な事や哀しい事がリセットされたら幸せな人ばかりではないの。前田君の神楽さんへの優しさは、最初の時間ループで湯島天神の帰りに偶然車に跳ねられた事故がリセットされた所までだった事にして諦めなさい。何があっても頑張って続きを生きる事こそ、一番逞しいアライブなのよ」


りおは、気持ちの整理は難しかったが、頭の整理はすぐに出来ていた。むしろ小さな謎が沢山解けた事でスッキリした気持ちさえあった。


「何があっても頑張って続きを生きるの。その先にあるものを手に入れるの」


りおは、きらりを思い起こしていた。今回の時間ループもそうだが、前回の時間ループで起きた事も含めて、きらりという人物への理解が完成されたものになっていた。自分の身に何があっても、きらりが傍にいてくれる気がした。あやとも、前回の時間ループであんなに幸福な時間を過ごしていた。


「わかりました。もう鬼道は要りません」


観音寺社長はりおにニコッと笑ってから、よしとの方を向いて、


「前田君。私の前でアンインストールしなさい」


と言った。


よしとは、言われた通りに、りおにかけられた鬼道をアンインストールした。


アンインストールの呪文は15分間だった。


完了するとりおの脳天にも、鬼道使いしか見えない赤い光の小さな輪が出現した。


「神楽さん。これで大丈夫ね。恋人との時間がふいになる事はなくなったのよ」


「前田君には申し訳ないんだけど、前田君が言っていた事が本当か念入りに確認します。ご家庭には今日中に帰れなくなった事を今伝えてください。他の女の子に鬼道をインストールしていないか確認するからね」


りおは、ここで開放となった。あやと一緒に、あやの母親のメルセデスベンツで、自転車が止めてある長空駅まで送って貰えた。車内でもあやは黙ったままだった。


東京を西へ疾走する浦川辺家の車の中で、冬の景色を見る心の余裕が幾ばくかあった。りおは時空の鬼道を手放した。たとえば今この車で事故が起きたらどうなるのだろうなと思ったりもしたし、きらりが嘘をついていた事が気になったりした。


あやは車の中で、りおが話始めるのを待っていた。自分との過去を選ぶのならば、何か言葉をかけてくれるはず。


しかし、りおは黙っていた。


長空駅で降りたりおを追いかけるように、あやも車から降りた。


りおは、


「時間の巻き戻しが終わったね」


と呟いた。


あやは、黙って頷いた。


車の中では静かだったあやが、


「本当だと思いますか?」


と言う。


「本当だと思う。小さな謎が沢山解けたよ」


気の早いイルミネーションは、まるで残念な恋人達を囃し立てるように意地悪に光る。


「私、好きなんです。神楽先輩の事。『りお』って呼んでた時間ループがあった。全く知り合いもしなかった時間ループもあった。前回の時間ループでは泉岳先輩に取られてしまった」


あやは勇気を振り絞っていた。


今の感情と過去の記憶が合成されて。


「浦川辺さん。私は知識として蘇っても気持ちがついてこないよ。きらりが前回の時間ループでしてくれた事が嬉しいくらいなの。前回の時間ループできちんと自分の意志できらりを選んでいたのが確認できたのが本当によかった。それが不安だった」


「私の事を好きになれそうにないですか?」


「浦川辺さん。ごめん」


すると、母・みちよが車から降りて、あやに「帰ろう」と言った。


りおはみちよに再度御礼を言うと、みちよは微笑んで、


「何か巻き込んでしまっているみたいで申し訳ないです」


と丁重に謝って、


「気を付けて帰ってください」


と言うと、あやを車内に連れ戻して、走り去っていった。


りおは、きらりにメッセージを送ろうか悩んで、辞めた。明日直接会った時に、鬼道に関する事はもう一度話そうと思った。確かめたい事があった。


りおが空を見上げると、冬の大三角があった。


「きらり。もう迷わないから、最後に一個だけ貴方を試します」


りおは、大粒の涙を流したのだった。


あやから奪い取った事実への正義感の反発よりも遥かに、春先からりおに接し続けて来たきらりの心が読み取れてしまった。本当に時間が巻き戻っても自分を迎えに来ていた。哀しい事も嫌な事も沢山あったのに。


「きらりは遊んでいるだけかと思った事もあった。一緒にいて欲しいと願う事は犠牲なのかと思った事もあった。あんなに何度も選べとか、一緒にいられるかどうかわからないとか、『難しい』とか」


星の下で今夜は独りだった。りおはずっと胸の奥でつかえていた思いが溢れた。


「あぁ。きらりが自分のしている事を分かっていなかったらどうしよう。もっと長い時間をかけるだけだと信じられるのかな」


よしとは、まだ事務所にいた。親には「自分に限って素行不良はありえません。明日には必ず帰ります」という趣旨の連絡をして、観音寺芸能プロダクションで一晩徹夜する事を一方的に伝えた。そうやって事務所に単独で居残った。りおが帰宅した頃も知恵の鬼道で確認中だった。 

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