浦川辺あやは、観音寺芸能プロダクションと面談した事を、神楽りおに、携帯電話のメッセージアプリで伝えた。以前に相談に乗ってくれた御礼も添えた。
あやは、
「神楽先輩。泉岳先輩は私が相談している事を知っているんですか?」
と送った。
りおは、
「知ってるよ~!気にしないで!どんどん頼ってね!」
と送る。りおは泉岳きらりと恋人だ。恋愛対象は女性。女の子が好きな女の子にとって、自分達とは止まり木のような理解の場でもあるとも思う。自分のセクシャリティや、女性同性愛者である事が理解されないのは心細いと知っている。
「きらりは大切な恋人だから、何を話したかは伝えるけれど」
りおは、修学旅行前にきらりが切った髪が本当に似合うと思って気に入っていた。男勝りだったきらりが、あの日から少しずつ女の子らしく変わろうとしている。自分達の関係性はあえて語るまでもなく強固なものだと思う。それだけは伝わるようにコミュニケーションをとった。今後もあやのような立場の女の子は出現するかもしれない。自分の中でガイドラインを持っておく事が大切だと思われた。
あやは、前田よしとにも学校で御礼を言った。男子バレー部の部員達も「皆の努力する姿を見て心を打たれたからだ」と言われて嬉しかった。
時が少し流れ。
あやが観音寺芸能プロダクションと訪れる2回目の日。あやは午後からスタジオでレッスンを受けて、夜に帰宅する予定だった。コースの終わり頃に観音寺社長がスタジオにやって来ると、
「あやちゃん。少し事務所でお話しましょうね」
と笑顔で言う。
あやは、
「はい!」
と明るく返事をした。この日はボイストレーニングの基礎から復習していた。子役時代に訓練した内容ではあったので大体知っていたが、ブランクがあって喉のストレッチなど出来ていない部分が多々あった。
「どうかしら、やっていけそうかしら?」
「楽しいです!」
「そうね。自分が愉しくないと周りも楽しくないものね」
観音寺社長の主な仕事は営業活動だ。公募の仕事ばかりではないから、コネクションで決まる仕事を如何に自社に手繰り寄せるかは手腕そのものだ。営業スタッフを雇うのではなく、自分が一元的に営業をするスタンスの社長だった。自分の手が空くのをあまり良い事だと思わない系統の経営者だ。
事務所に着くと、あやを初日同様にソファに座らせて、自分は隣に座った。向かいに座ると思ったが、あやは少しも気に留めなかった。観音寺社長は、あやの手に自分の手を重ねると、
「時間が巻き戻る魔法があるの。私達困っていて。聞いたことないかしら?」
と単刀直入に聞いた。あやは戸惑って、
「…そ、そういう噂を聞いたことがありますね」
と知らない振りをした。あやなりに知らない振りをすると、観音寺社長はあやをジッと見たまま、
「あやちゃんが芸能界に復帰したい気持ちはレッスン中の姿を見ればわかるわよ。ここに来るまで色んな事で悩んで、やっと辿り着いた新天地である事も理解しているの」
と言う。
あやは、心の中を見透かされたような観音寺社長の言葉に、怒らせないほうが良いかなという気持ちが湧いてきて、
「男子バレー部の前田先輩が鬼道で時間を巻き戻していましたよ。今でも半信半疑ですけど解除をしてくれたんです。もう巻き戻らないようにって」
と正直に話してみた。
観音寺社長は、時空の鬼道で時間が巻き戻ると困る。また自分自身も鬼道使いなので、鬼道の情報を聞き出すのは緊張感を伴う。要はヤバい話なのだ。うまく平静を装った。芸能プロダクションを起業して以来、所謂怖い人のお世話になった事もあるが、そういう修羅場のような匂いを脱臭しきって、あやに世間話の感覚で口を割らせた。
しかし次の一言は、甘く見られては困る。
「前田先輩に会えるかな?」
重く冷たい氷のような声で言った。あやはギクッとして、目を見開くと、洒落が通じない観音寺社長の顔がすぐ隣にあって、手は自分の手の上に置いたままだ。
「あの…連絡先知らないので…共通の知り合い経由じゃないと…」
観音寺社長は、少し穏やかな声に戻して、
「あやちゃんは鬼道が何なのか分からないのよね。いいわ。目を閉じてこれから唱える呪文を聴いて頂戴」
と言う。
あやは言われた通りに目を閉じた。
観音寺社長が呪文を唱えると、脳裏に先程まで見てた観音寺社長の顔がボヤッと浮かんできた。
「そのままジッとしていてね」
観音寺社長の言われた通りに目を閉じていると、レッスンを受けたスタジオ、母親の車の中、自宅で着替える所、男子バレー部の活動をしていた所など、今日の出来事が高速の逆再生で脳裏に浮かんだ。
あやが声も発さずにいると、観音寺社長は、
「前田先輩ってこの人ね」
と言い、逆再生がさらに10倍速、100倍速に加速していった。三栖じゅえりを交えて3人で鬼道をアンインストールした時の様子が確認された。
ここで観音寺社長は、
「頭が疲れるでしょう。少し休みましょうね。目を開けなさい」
と言って、あやに目を開けさせた。
あやの目の前には優しい顔をした観音寺社長の顔があった。
「私の鬼道は『知恵の鬼道』と言って、手で触れた対象者の記憶を探って共有する事ができる呪術よ。探られた記憶を対象者が思い出す効果もあるの」
「凄いですね。鬼道なんて本当にあるんですね。半信半疑でした」
「もう夜なのに御免なさいね。今日は調べ終わったら終わりだから、また目を閉じて頂戴」
あやが目を閉じると、観音寺社長は知恵の鬼道で、さらに超高速の逆再生をして、2022年4月7日の深夜まで記憶を巻き戻した。そして次の瞬間に前回の時間ループの終端である2023年1月17日の深夜に記憶の時間が飛ぶ事を確認した。
「なんで…?私…泣いてる…」
「…やっぱり再開時点は2022年4月7日から8日の間の深夜ね」
観音寺社長は、過去に自分自身に知恵の鬼道をかけた際にも2022年4月7日から8日の間に、時空の鬼道の再開時点がある事を特定していた。ただ時空の鬼道とは何なのか、直接の術者ではない為、厳密に把握していないかった。再開時点は改めて念入りに確認した。
観音寺社長は別の呪文を唱えた。
すると2022年4月7日の昼の記憶が蘇った。
「これは覚えているかしら?」
「…はい。入学式の前日です。お父さんにお祝いして貰ったのをよく覚えています」
観音寺社長はそこから、今度は超高速の再生をして一番最初の時間ループから慎重に確認した。そして少し時間がかかってしまったが、通産2回目の時間ループの秋に、よしとがあやに時空の鬼道をインストールする様子を確認できた。
「あの…これ…全部本当の記憶ですか?」
「時間の巻き戻しは『時空の鬼道』と言って本当にあるの。知恵の鬼道は肉体に宿る記憶を探るから時空の鬼道で消えた記憶も確認できるの。前田先輩が犯人で間違いないわね。神楽りおという女の子が大きく関係しているとしか思えないわね」
あやは、驚きの感情が大きかった。りおと付き合っていた事があったんだという一抹の喜びに似た期待感もあった。
観音寺社長は、
「前田君は男性だよね。本当に大丈夫かしら?厭らしい目的かしら?」
とあやに聞いた。
あやは、よしとに限ってそれは無いと思いつつ、
「どれくらいの長さを忘れていますか?」
と聞いた。
「自分の記憶を全部確認しているから知っているけれど100年以上あるわよ」
「観音寺社長。知恵の鬼道で前回の時間ループだけ見せてください。前回の時間ループで、私をナンパしたり、口説いたりしていたわけではないなら、それでもう大丈夫です。全てを知るのは怖すぎます。100年以上では、さっきの再生速度でもとても時間がかかりますし、誰が犯人とか無しで危ない目に遭った事が1度くらいはあると思います。今の前田先輩に納得がいけばそれで構いません」
と言った。
観音寺社長は、前回の時間ループだけ、再生で確認した。
あやは、泣きそうな目を擦って、気持ちの整理をつけながら、
「前田先輩が時空の鬼道を使って、時間の巻き戻しを行っていた事が本当だとわかって、複雑な心境ですけど…よければ神楽先輩と合わせて今ここに呼びます」
と言った。あやは無性に、りおに会いたかった。今すぐ、りおにも知恵の鬼道をかけてくれと思うのだった。私達は付き合っていた。優しい言葉を何度もこの肉体は受け取っていた。それに比べたら今回の時間ループのりおは恋人がいて冷たい。前回の時間ループではりおが浮気をして終わっている。りおの今の恋人は、きらりは、そもそも浮気相手だった。せめて思い出させて勝負したい。あやはそう願った。
時刻は19:00の少し前だった。塾や予備校の終わる時刻に比べたらまだ早いだろう。呼び出して構わないはず。
あやは、観音寺社長に諸々を訴えた後、携帯電話のメッセージアプリで、
「鬼道の使い手に捕まった。前田先輩の時空の鬼道がばれた。助けて」
と送り、事務所のある雑居ビルの住所も添えた。
「7Fです」
観音寺社長の言う通り、りおが関与しているのは鉄板だった。なりふり構わず「鬼道」という単語を出して呼び出した。しらばっくれないで欲しいと願いながら「助けて」と付け加えた。
すぐに既読がついて、
「悪戯じゃないよね?」
と返ってきた。
「本当です。大変な事になっています。前田先輩に必ず来てもらわないといけません。でも前田先輩と直接連絡先交換をしていなくて、直接呼べないんです」
「わかった。信じる。私も行く。私も行くなら前田君も絶対に来る」
りおは、念のため通話もした。あやの声を聴いて現地に行くべきだと判断した。よしとを携帯電話のメッセージアプリで呼び出すと、二人で長空駅に集合して豊島区へ向かった。
「前田君。急ごう。でも危ない場所ではないって。帰りは浦川辺さんのお母さんの送りだって言うから。芸能プロダクションの人も鬼道使いで『利害が一致しないと困る』ってもっともな話だと思うから」
電車で行くと1時間かかる。道中の会話はほとんど無かった。りおが気を遣って話しかけるのだが、よしは口を噤んでいた。他の鬼道使いにバレてしまったという事実が恐ろしかった。恐らくタダで許してはくれないだろうと思われた。
よしとは、懸命に口を開いて、
「りおは帰れ」
と言う。
りおは、
「帰らない」
と言って同行した。自分が現場に必要な事は間違いない。それに行く先に真実がある気がしてならなかった。
「知恵の鬼道は肉体の記憶を呼び覚ませるんだって」
りおの言葉はよしとの不安を煽るばかりだった。