2022年11月下旬。朝のホームルームで、前田よしとはクラス担任から男子バレー部の健闘を称えられていた。東京都予選を勝ち抜き見事第一代表になった。チームの司令塔として大健闘だった。
よしとは、
「全国でも勝ちます」
と凛とした声で言った。
神楽りおは、
「すごいね」
と着席するよしとに言った。
よしとは、
「勉強と引き換えだな、部活は」
と、言って渋い顔をした。
よしとは、
「りおは学年3位おめでとう」
と、りおに言った。
今週は、先々週に行われた実力テストの結果が返却されていて、成績優秀者が各教室の後ろの壁に貼り出されていた。
りおは、
「納得のいく順位だった。ありがとう」
と、微笑んだ。
放課後。よしとは、りおに、
「言ってなかったけど浦川辺さんの鬼道を解除できたから」
と伝えた。
りおは、
「そっか」
と言って、視線を落とす。
「浦川辺さんの進路の悩みに乗ってあげて欲しい」
「それは良いんだけど。前田君。私、本当の気持ちなんて知りたくない。過去の時間ループで私が何をして、どんな顛末を迎えていたかで、私を知っていないで欲しい。私の知らない事で私を判断されたり評価されたりするのは嫌な事だよ」
「神楽。本当の気持ちとか、本当に好きとか、そんな事ばかり気にしていないでくれ。神楽は優しい。他人が傷つかないように考えている時が一番神楽らしい」
よしとは、りおの友達をまっとうする決意を固めていた。今まで、まだ心のどこかでりおを異性愛の対象として見ていたかもしれない。「これが神楽らしい」なんて率直に自分のイメージを押し付けて、何かを促すのは友情の成せる業だとして、それをりおに躊躇わなくなった。それ以上のイメージを持つ必要がないとひそかに決断していた。
りおも、それでこそ友達だと思える。よしとは、女子の友達と比べると大雑把で、考える事も本当にゴロッとしたジャガイモのようなものだから、今まで以上に納得のいく接し方をして貰えた気がした。あと、過去の時間ループの傾向と統計から今更あやとくっつけようとしているわけでもないのだと、信用した。
泉岳きらりが、後ろから歩いて来て、
「前田は大会お疲れ様。女子サッカー部も今月の新人大会は東京都で優勝した。…と言っても強豪の文武創造学園が一つ上のリーグで戦っている関係で出場辞退だったから」
と言う。
りおが大袈裟に振り返って、
「きらりも頑張ってるよね~!」
と言う。
よしとは、きらりにも言うつもりで、
「浦川辺さんの芸能界復帰の支えになってください」
と頭を下げてお願いした。
りおは、
「前田君…」
と言いかけて、続く言葉を飲み込んだ。きらりが、背後からりおをそっと抱きしめて、
「りお。何も疑っていないぞ。相手の心や気持ちを無下にしない性分と葛藤するまでも無い」
と言う。
よしとは、
「浦川辺さんにも浦川辺さんのゴールがあるから」
と言って、りおを励ました。
りおは、
「わかった」
と言って、あやの相談を聴く事を受け入れた。よしとときらりは、自分の知らない過去の時間ループを知っている。二人から直接聞こうにも恐らく教えてくれないだろう。自分とは何なのか。しかしそれを他者から得た情報で知る事はりおには矛盾だと思われた。
「私にも得るものがあると思う」
りおはそう言って、文芸部の部室へと向かった。
もうすぐ冬らしい冬になる。
きらりと春先に出会い、過去の時間ループからやって来た姉だと言われた。あっという間に心を許し合って、幸福を感じ、何が起きても壊れないと信じ抜ける感覚が、いま試されている気がしてならなかった。
文化部室棟に行くと、文芸部の部室の前であやが仁王立ちしていた。
「神楽先輩!こんにちは!」
「浦川辺さん。全国大会出場おめでとう」
りおは、文芸部の部室の扉を開けると、
「いいよ。入って、中で話そう」
と言った。
二人は心ゆくまで話した。
あやは、りおの人となりが何となく感じ取れる一方で、そこに匂う別人物の人となりを峻別しては、これが交際相手のいる女性同性愛者の香りなのだろうなと思った。些細な言葉の中に、りおが生来持っていたものとは別の人間性が見え隠れする。きらりという正反対の恋人を持ったりおの合成された心。
あやは、りおと触れ合いたい気持ち以上に、交際相手がいる事への納得のほうが凄まじかった。きらりと親しくなった経緯も聴くに聞けなかった。
その一方で、確かな知性に惹かれて行くのだった。
りおは、倫理の授業で習った「美的共感」について説明してみた。人(A)がいて、その人の周りに沢山のAを視る人(注視者)がいて、中央に花が置かれている。Aが花を見て「綺麗だ」と言う理由は、注視者らが「綺麗だ」と思っているからだという。皆が美しいと思う物が美しい。これが「美的共感」だ。
あやは、感心して聴いていた。
りおは、次に「一元論」の話をした。人間には根源があって、その根源が生み出す世界にその人はいる。花が綺麗なのは、綺麗に見える根源があるから。仕事で忙しかったり、体調が悪かったりして、とても花が綺麗だなどと思えないのは、根源が荒んでしまっているからだ。根源が浄化されれば、また花が綺麗に見えてくる。これが一元論的な考え方だ。
きらりが与えた鎧のような人間性から零れる、りおのオリジナルが、あやの心を掴んでしまうのだった。きらりには「奪った恋は奪われる」と言ったが。
りおは、
「浦川辺さんが歌を歌っている所は見てみたいな」
と言う。
あやは、
「本当にそう思いますか?」
と聞いた。
りおは、
「浦川辺さんにしか無いものが既にあって、それを他者と競って優劣がつく感覚から解放される分野に没頭したら良いよ。浦川辺さんにしか書けない歌が書けたら、歌って聞かせれば良い。同じように楽曲を創作する人と優劣がつくかもしれないけれど、好きで没頭できるならそれで良いじゃない。私はレベルとかランクとか、そういう話を聴いた後でも『でも好きな事に没頭できるならそれで幸せかな。だから小説家になりたいのかな』って思えるよ」
と言った。
あやが、
「どうしてそう思えるの?」
と聴くと、りおは、
「読んでくれる人が一人でもいたら、その人のために書けばいい」
と言って、締めくくった。
その日の晩。
浦川辺家の食卓で、あやは母親のみちよに芸能界復帰のための面談を、観音寺芸能プロダクションと行いたい事を伝えた。ただし舞台俳優やドラマ俳優ではなく、ボーカリストややシンガーソングライターをやってみたいという希望がある事を添えた。
みちよは、
「メイクさんもやりたがってたみたいだけど」
と言う。
あやは、
「一番楽しいと思える事にする」
と言って気合十分だった。
小説家として好きな事に没頭する心。
司令塔としての限界に挑む心。
仲間の為に闘う心。
壊れない身体を作る限界に挑む心。
運動量の限界に挑む心。
様々な心に出会った。