2022年11月。長空北高校は、午前中は4限目まである。この時間になると空腹になる者や、昼休みはどう過ごすか考えて授業に集中しない者もいる。それでも授業中に私語をする者は皆無だ。皆黙々と授業を受けている。たとえば考え事をするにはうってつけだ。
浦川辺あやは、前田よしとと約束があった。約束とは、男子バレー部の全国大会出場が決まったら、あやが女子マネージャーとしてチームに貢献した事を認めて、あやの望み通り、あやと神楽りおのデートを実現させるというものだ。
浦川辺あやは、こんがらがった自分の悩みを少しでも解消できる相談相手を探していた。悩み事相談と言えば、雛菊さや、三栖じゅえりが、あやには定番なのだが。友達以外で、聴くだけ聞いてどんな反応になるのか個人的に興味のある者がいた。
あやは、4限目が終わった瞬間、男子バレー部の松岡の席へ行った。
「浦川辺さん。どうしたんですか?」
あやは、松岡の顔を見て、顔に何も書いてない事を確認してから、
「お昼一緒に食べない?」
と言った。
松岡は男子バレー部の選手で、あやは女子マネージャーだから、そこまで不思議では無いものの周囲は「あれ?」という反応だった。
松岡は、
「いいっすよ」
と言って自分の弁当箱を取り出すと、
「体育館行きましょう」
と言った。松岡は表情が落ち着いていた。
あやは、
「いいけど体育館のどこで食べるの?」
と言う。
松岡は、
「ステージの上にしましょう」
と言って、嬉しそうに歩き出した。松岡は、何かと考え事があるんだろうと思った。そのうえで自分なんかを頼るんだから、時に深く、時に浅く、ずっと悩んでいるんだろうなと、松岡なりに知恵を絞ってそう思った。
体育館に着くと、松岡はステージに上がって、中央に座り込んだ。あやは、相談する人選を間違えたかなと思ったが、自分から誘っといてそれは酷いので、同じようにステージの中央に座り込んだ。
「バレーボールが愉しいです」
松岡はそう言って、弁当箱を開くと、おかずを食べ始めた。
「前田先輩に誘って貰えてよかったです」
卵焼きを箸で摘まんで、よく味わって食べる。
「俺達、強いと思います」
次は梅干しを少し崩して、白米の上に乗せて、下の白米ごと箸でさらう。
「今大会台風の目」
白米が片付くと、お茶を飲んで、昆布と切干大根を交互に口に運んだ。
「浦川辺さんのお陰です」
松岡は食べ終わると、
「どうしたんですか?」
と心配そうに言う。
あやは、芸能界に戻ろうかと思っている事を、あえて松岡に話してみた。子どもの頃の自分が階段を駆け上がって、途中の踊り場で立ち尽くしてしまった。後から16歳の自分が追いかけて来て、踊り場で膝を抱えた自分と対話している。役者の階段自体はもう伸びてない気がするという事も付け加えた。芸能界自体にウンザリしていた気持ちと向き合って、今では歌や踊りに興味があったり、メイクさんに興味があったり、役者の階段云々とはまた違った方向性でも模索している事を話した。
松岡は、聴くだけ聞いて、
「ちょっと待ってください」
と言って携帯電話を出すと、指先でポチポチと画面をいじって、またポケットにしまった。
松岡は、
「俺なんかでよければ言いますけど、浦川辺さんは凄い人っすよ。自分が好きで没頭している分野でレベルとかランクとか考えるのは、楽しくなくなっちゃいます。先輩方も『自分の限界に立ち向かう』とか言って、本当は今俺が言ったように、バレーボールを愉しんでいられるメンタルを維持していると思います。似たような別の道って言ったら失礼ですけど、そういう『心のゆとり』を持てるんなら歌ってる浦川辺さんを見てみたいです。結局大変な道なのかなってド素人なりに思いますけど」
と言う。
あやが、
「塩村先輩や前田先輩もそうだと思うの?」
と言うと、松岡は、
「あの二人は凄い人です。俺は中学時代は、二言目には『だるい』とか『しらけた』とかそういう事を抜かす奴らに『勉強もスポーツもやってて真面目ですね』と茶化されてからかわれてたんです。この学校に来て本当に良かったです。あの二人は何言われても平気だと思いますよ。そうなりたいっす」
と言う。
すると、岡部が体育館の入り口から入って来た。井沢と新垣も続いて来た。
「浦川辺さん。どうしちゃったんですか?」
松岡は、ステージの上から、
「大会に向けて、俺らにアドバイスがあるんだって」
と言う。
あやが、
「え?」
と言うと、松岡はステージから降りてスタスタと、岡部達の方へ歩き出した。あやが、後を追うと、松岡が、
「浦川辺さん。試合の動画を何度も見てくれてるじゃないですか。俺達に教えてくださいよ、思った事をなんでも。いつもは前田先輩を差し置いてアドバイスしちゃいけなさそうにしているじゃないですか」
と言った。
そして、ネットの張っていないコートに4人がそれぞれの定位置に移動した。あやが戸惑っていると、松岡はいつになく真剣な顔で、心の中でネットが張ってあるのだろうか、上を見上げている。4人とも制服姿でそうしていた。
あやは、漸く口を開いて、
「松岡は塩村先輩の移動攻撃を参考にしているんだろうけど、フェイントの数が少ない」
と言う。その他、様々なアドバイスを送った。
井沢が、
「俺達で考えた動きがあるんですけど、前田先輩の構想とは余りにも違うので言い出せないんです。見て貰って良いですか」
と言う。
あやが、
「いいよ」
と言うと、4人でダダッと動き出した。ネット際の攻撃の多かった現3年生達のチームでは、あまり多様されなかったバックアタック。高い打点を実現するために手前で跳ぶ必要のあった旧チームと違い、背の高い新チームではアタッカーの跳ぶタイミングを可変にできる。それは既にセッターの前田よしとも取り入れているが、井沢と新垣がコート上を走るルートが教科書的だった。
あやは、
「井沢が先に跳んで、新垣が後から跳ぶ際に、移動を増やすんだね。運動量がかなり増えるけど平気なのかな?」
と言う。
井沢は、
「前田先輩が日頃めっちゃ走らせてるから平気ですよ。運動量で自分の限界に挑戦しましょう」
と言った。
そうやって昼休みの終わり頃まで、ずっと体育館で飛び跳ねていた。
教室に帰る廊下で、松岡が、
「勝つところを見せてあげます」
と、いつになく真面目な顔で言った。
あやは、自分独りで向き合って答えを出す者もいれば、仲間と共に歩んでいく事の中に答えを出す者もいるのだろうと思った。芸能活動をしていた頃は、仲間らしい仲間はいなかった。
時が過ぎて。
11月中旬になると男子バレーボールの大会は予選二日目が行われた。4回戦、5回戦、6回戦の日程で、最後の6回戦でベスト8常連の強豪校と対戦した。司令塔の2年生前田よしとが松岡、岡部、井沢、新垣を率いて戦った。
「長空北高校は全国レベルではない」
と高を括る強豪校相手に、予選一日目では見せなかったバックアタックを多用して、勝利した。
敗戦が信じられない強豪校を尻目に、よしとは1年生4人や他の選手達と抱き合って祝福し合った。よしととしても、過去の時間ループでこの予選二日目を突破した事は無かった。よしとは、自分が考えてチームを最適化して、その際過去の時間ループで起きたプレイを思い起こして予測して、いつか全国に導こうとしていた。しかし勝利とは1年生部員達と女子マネージャーのあやの結束が手繰り寄せた。
次は準決勝。勝てば東京の第二代表以上が確定する大事な試合だ。
よしとは、
「浦川辺さん。1年生達にアドバイスをしてくれて本当にありがとう。こんな時に言うけれど『約束』は果たします」
と言った。全国大会出場なら、あやに義理立てして、神楽りおとのデートを実現させる約束を、よしとは果たす。それはあやにとって大切な事だ。よしとは過去の時間ループを通じて、あやが何度でもりおを好きになった事を理解している。りおの恋人の泉岳きらりにとってはリスクだとしても、良い結果に収まると信じて約束を果たす。
そのためにも翌週の予選三日目は勝たなければならない。