2022年9月18日。文化祭2日目の長空北高校は昨日以上の盛り上がりを見せていた。文芸部の神楽りおは、本日たこ焼き屋の仕事から解放されて自由に文化祭を見て回る事になった。文芸部の3年生達の厚意で、昨日は一日中売子を務めたりおを思いやってそうなった。
りおは、交際相手の泉岳きらりにある事を頼んだ。それは、男子バレー部の前田よしとと一緒に文化祭を見て回る事を了承して欲しいという事だった。きらりは突然の申し出で戸惑いながら、午前中だけ時間をよしとに譲る事にした。
昨日のメッセージで、りおから「一緒に文化祭を見て回りたい」と言われたよしとは、交際中の蛇島りりあに相談していた。蛇島は、午前中だけなら構わないと了承した。
朝。正門広場でよしととりおが対面すると、居合わせた蛇島は、
「清算ならいいですよ。清算でお願いします」
と堂々とした口調で言った。りおは、昨年よしとが好意を寄せて友達の関係を勝ち取った相手方の女子生徒だ。交際相手である蛇島も、少し悩んでいた。この日の午前中に一緒に文化祭を見て回って、スッキリ関係性が清算されるなら構わないと言っている。
りおは、
「蛇島さん。ごめんね、無理を言って。用件はすぐ済むから」
と言った。
それからよしととりおは、文化祭を楽しく見て回った。りおは、自分への接し方に変化の無いよしとに、昨年自分に語った想いに嘘は無いという事なのか、あるいは蛇島と付き合って間もないからだろうかと思った。
時折笑顔も見せるよしとが、丁寧にりおをエスコートする。エスコートと言っても慣れ親しんだ長空北高校の校内だが。
「神楽は小説の執筆が順調なんだな。来年は5月のコンクールに応募する決心がつくといいな」
よしとは、りおが何故自分と文化祭を見て回りたくなったのかについて、触れなかった。大事な話と言われても様々な今までの接点がある。もしかすると鬼道に関係する話かもしれないが。
「前田君は彼女と一緒じゃなくて嫌にならないの?」
りおは今更ながら、蛇島との時間を奪った事をどう思うか尋ねた。突然相手方の申し出で出来たばかりの交際相手をどう思っているのかは興味のある事だったが。よもや彼女と言っても出来たばかりだから、りおの方が好きだと言われるだろうか。
よしとは、
「神楽が友達で良かったと思う事は何度もあったよ。りりあは今大切にしたい女の子だ。想いの大きさや重さを比べて機械みたいに答えを出したくない」
と言う。
りおは、
「『りりあ』って呼んでるんだ」
と言って、よしとの背中をポンと叩くと、
「その調子!」
と言って励ました。
人が行き来する廊下で、恥じらいも無く二人の姿を周囲に見せつけて、大小様々な人影の気配を塗り潰すような時間を共有する。
午前中も終わる頃、蛇島によしとを返す約束の時刻の、30分前に二人は正門広場に戻った。来校者の声が、雑踏のBGMが、立ち聞きなど不可能なくらい賑わっているのを確認して、りおは用件を伝えた。
「きらりから聞いた話だと私には『鬼道』が『インストール』されているんだよね?」
よしとは、やはりその話かと思った。
「そうだ。要は大怪我をすると2022年4月8日に時間が巻き戻る」
「何故その日付なの?」
「術者がかけた鬼道が最初に発動した瞬間に、術者が最も戻りたいと思った時点から、再開時点は前後8時間程度ズレて固定される。それ以降の発動は、他者にかけた鬼道についても同じ再開時点になる」
りおは、少し訝し気によしとをジッと見てから、
「やっぱり私以外にもインストールした人がいるんだね」
と言う。
よしとはギクッとしたが、りおがそれ以上追求してこないので、
「神楽はもう時間が巻き戻って欲しくないのか?」
と言った。
りおは、
「絶対に巻き戻らないで欲しい。でも私の鬼道はもしも取り外しが出来ても、しないで欲しい。大型車両に跳ねられるような大事故の続きはしたくない。きらりは記憶を覚えていられるから、何度でも迎えに来てくれる。それで、単刀直入に言うね、『蛇島りりあ』に同じような鬼道をかけないって約束して貰えるかな」
と言った。
よしとは、鬼道を使って時間を巻き戻す事については漸く反省の念が募っていて、これ以上世界をややこしくしたくない事を伝えた。
「あと何人インストールされているの?」
「…あと1人だ」
「誰?」
よしとは、りおが追求する理由は、要はきらりとの時間が失われないようにしたい一心だとわかる。そういえば前回の時間ループでも「きらりは男の子が好きでも構わない」と、よしとに言った。
「『浦川辺あや』だ」
りおは、本当だと思ったし、ならば何故なのかもピンと来た。
「浦川辺さんは良い子だし可愛い子だなって思うよ。本当は私と浦川辺さんで付き合った時間ループでもあるのかな?」
りおはそう言うと、しかし返事を求めなかった。よしとも答えられなかった。
「これは答えて欲しい。前田君は過去の時間ループで私と付き合った事があるの?」
「ある。しかし女性同性愛を応援する道を歩んだ」
りおは笑って「うん」と頷くと、「謎が解けました」と言って嬉しそうにした。よしとは、お節介と思いつつ、きらりが前回の時間ループでどうだったか、かいつまんで教えた。特に女子サッカー部を退部する出来事があった事を伝えた。そうならないようにと、きらりへの義理で伝えた。
りおは予定の時刻より早くよしととの時間を終わらせた。りおはきらりの元へ行く。よしとは、昇降口から教室棟へ入っていくりおを見届けながら、約束は守ると誓った。そして蛇島に終わった事をメッセージで伝えた。
文化祭2日目は部活対抗ブレイキンと軽音楽部のライブが見物だ。夜は後夜祭もある。りおときらりも、よしとと蛇島も楽しく過ごす事が出来るだろう。
蛇島は正門広場にやって来ると、開口一番に、
「よしと。一緒じゃなきゃ嫌だよ」
と言う。蛇島も、自分達の出会い方が人工的な、不自然なものだと薄々感じていた。りおは、自然に生み出された友情だ。周囲の手助けも借りて、彼女だから彼女だと擬制した関係性に、よしととは埋没してくれる男だと信じても、そんな理性でも欲望でも無いものの上に生えていく草とは人工芝に違いないと思う。
「よしと。神楽先輩の事、好きじゃ嫌だよ」
それを少しずつ本物の恋人に匹敵するものへ昇華させる術を、動物が、たとえば馬が生まれて30分で走り出す感覚の本能で編み出していく。
「りりあ。もう神楽との用事は済んだ」
疑う事を知らないのはよしとも同じだった。これから没頭していくものの姿形を、五体に刺し込んで、不思議と痛みが無いのであれば、いつかより深い所へ到達して、内側から自分を塗り替えると思える。
そして二人でほっつき歩き始めた。行く当てもなくブラブラと。蛇島の白いシャツと真っすぐな背筋を、血の通った内側を、時折恐ろしくなりながら。
りおが言っていた懸念はその通りだ。蛇島に鬼道をインストールしてはいけない。あやにかけられた鬼道のアンインストールもすべきだろう。