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第54話「恋人たちのマリオネット」

2022年9月1日。長空北高校は新学期が始まった。久しぶりに会う顔ぶれに心が和む者もいれば、また授業が始まる事に憂鬱な者もいる。


「りお。小説の続きは書けたか」


神楽りおと泉岳きらりは女子サッカー部が休みの日は必ず二人で勉強会を開いた。りおも受験勉強のペースメイクができて丁度よかった。


前田よしとは、


「泉岳は、女子サッカー部がどんどん強くなって良かったな。夏休み中の練習試合も1つ負けただけで後は全部勝てたって聞いたよ」


と珍しくりおときらりの会話に混ざった。よしとが、りおを見ると、りおは少し照れくさそうにした。よしとの鬼道はきらりから聞いた。りおは、自分の『身体に大きな怪我や損傷を伴う出来事が起きたとき』に時間が巻き戻る呪術を書けられている事を知っている。


りおは、自分の鬼道をアンインストールして欲しいと思わなかった。もちろん、過去の時間ループのように自分から車に飛び込もうとは思わないが。よしとは、自分(りお)が息災なく生きられるように、鬼道など会得して呪術を唱えていた。その事が嬉しく、頼もしいと思えるのだった。よしとの顔を真っすぐみるのが、少し気恥ずかしかった。




きらりは、


「前田に今日はお客さんがいるから」


と言う。蛇島との約束の事だ。きらりは、よしとに女子サッカー部1年の蛇島りりあを紹介する予定だった。


「お客さん?ごめん、すごく嫌な予感がする」


「女子サッカー部の1年生で前田と仲良くなりたい奴が出たんだけど」


「紹介してくれって頼んだ覚えはないな」


すると近くで聞く耳を立てていた横山みずき、田原えみか、中嶋ゆずが会話に混じった。


みずきは、


「泉岳のせいで向こうは準備したんだから会うぐらいしなよ」


と笑う。


えみかは、


「前田君はイイ男なのに勿体ない」


と言う。


中嶋も、


「ま、前田君の、か、彼女。ふへへへ、み、見てみたいな、グフゥッ!」


と言う。


「そんな急に言われても」


よしとは、怖くなってトイレに行きたくなった。トイレで一人になりたくなった。心はりおが好きなのだ。他の女子と紹介で会うなんてしたくない。


りおは、


「前田君に恋人が出来るのは賛成だな」


と乗り気だ。


きらりは、


「紹介する女の子は『蛇島りりあ』っていう真面目な子で、女子サッカー部でも中心選手だ。大人しく友達から始めろ」


と言う。


みずきも、


「彼女っていうのが欲しいんだろう?」


と上から目線で言う。


よしとは、


「紹介してもらいたいです。すみませんでした」


と言った。これには一同、満足気に小さな拍手をした。


りおは、


「私も立ち会うね」


と静かな声で言った。




午前中で日程が終わる。明日から授業だ。教室棟から生徒がいなくなるのに合わせて、蛇島は、きらりに連れられてよしと達の教室に来た。蛇島は緊張感も程々に、少し軽い気持ちのほうが良いかなと思っていた。


蛇島が教室に入って来ると、綺麗な歩き方でよしとの前に立ち止まった。よしとを見ると、蛇島には思った通りの凛々しい顔に見えた。所謂イケメンという感じではないが、鼻が整っているなと思った。


「蛇島りりあです」


蛇島は、笑って照れくさそうにした。


「はじめまして」


高鳴る心臓の鼓動と深い息を感じながら、可愛い子ぶった様子もなく自然体で言う。


よしとは、蛇島の頭のてっぺんが自分の鼻先をくすぐるように動いているのを眺めて、鼻から息をフーッと吹くと、


「前田よしとです」


と言う。きらりは、よしとの様子をジーっと観察して、


「『草』という事にしたが、やはりこのような餌を与えて正解だった」


と思った。


きらりは、


「それじゃあ。私の顔を立てると思って目の前で連絡先交換をしなさい」


と言う。


よしとは、照れくさそうに笑いながら、


「はい」


と言った。蛇島は、よしとの返事を聴いてドキッとした。


「あ。あの水族館が好きです」


そう言って、下を向くと顔を赤くした。


よしとは、今まで何かを凄く難しく考えていたのかなと思えて来た。


「水族館くらいなら」


そう言って、自分の携帯電話を差し出すと、蛇島は驚いて、


「行くんですか?!」


と言う。表情の驚愕によしとが、何か間違えたかなと思って黙っていると、蛇島は、


「ペンギンが好きなんです」


と言う。要は自己紹介として水族館が好きなのを伝えただけで、一緒に行きませんかという意味ではなく。


「ペンギンが好きなんだね。教えてくれてありがとう」


蛇島がQRコードを読み取るとメッセージアプリの連絡先交換が出来た。


「個人的なメッセージを沢山送っても大丈夫ですか? 」


「いいけど。返信遅いよ」


よしとはそう言って笑った。蛇島も、


「了解です!」


と言って笑った。


りおときらりは二人仲良く並んで様子をみていた。顔に「良かったね」と書いてあった。全員、この後は部活である。


よしとは、


「それじゃあ」


と言って嬉しそうに教室を出て行った。心なしか、男らしくウキウキしていた。


よしとが居なくなると、蛇島は、


「思ったよりずっとイイ男だった~!」


と言う。


まだ夏の熱気が冷めきっていない9月1日に、思わぬ形で出会った女の子を、よしとは幾ばくか気に入った様子だった。大会は男子バレー部の主将として、気を引き締めてかからなければならないが、一歳年下の女の子が自分に好意を寄せてくれていた事が、不思議な感触で心にへばりついたのだった。




りおは文芸部の部室に行くと、写真部の笘篠が待ち構えていた。


「笘篠先輩。どうしたんですか?」


「ちょっと付き合ってもらえるかな」


「え?いいですよ!」


笘篠がりおを連れて体育館に行くと、忙しそうに部活前の準備をしている浦川辺あやがいた。


あやは、運搬中のウォータージャグを抱えたまま、


「笘篠先輩!」


と言い、りおに気が付くと、


「こんにちは!浦川辺あやです!」


と言って挨拶した。


りおは、


「浦川辺さん」


と言って、あやをジッと見ていた。


笘篠は、


「写真見て『会いたい』って」


と言う。


りおは、


「ありがとうございます」


と笘篠に言って、


「浦川辺さん。はじめまして、神楽りおです」


とあやに挨拶した。


あやは、


「微妙に初対面じゃないですよ!」


と言う。


りおは、


「あ~!そうだ!入学式の前だっけ?」


と言う。


りおは、笘篠に、


「でもどうしてですか?」


と、会わせてくれた理由を聞く。


笘篠は、


「いいじゃん!仲良くなりなよ!」


と言う。


二人は嬉しそうに顔を見合わせると、世間話などして話し込んだ。過去の時間ループで起きた事は二人とも覚えていないが、それでも何度も恋仲になる二人だから、会えば会話も弾む。


しばらく話していると、体育館の中からよしとが出て来た。


あやは、よしとに気が付くと、


「前田先輩!すみません準備中に立ち話しをしちゃって!」


と言った。


遂にあやとりおが出会ってしまった。りおは、きらりと付き合っている。でも前回の時間ループでは、りおが浮気をしてしまって。


よしとは、


「浦川辺さん。仕事を…」


と優しく言って引き離した。


よしとは、その場で立って、あやが仕事の続きをするのを待った。


りおは、


「私も文芸部の活動があるから。またね。前田君もごめんね」


と言って、文化部室棟へ去って行った。


あやは、りおがきらりと付き合っている事を知らない。


「笘篠先輩!ありがとうございます!」


と笘篠に礼を言って、ウォータージャグをまた運んで行った。




男子バレー部は、最新式のマシンが届いて以来、レシーブの練習に磨きがかかっていた。1年生の松岡、岡部、井沢、新垣もレギュラー当確で、一段と気合を入れて練習に励んでいた。この日は開始時刻が早かった事もあって、早い時間に終会した。自主練で残る選手もいる。


石黒は、よしとに声をかけて一緒に部室に行った。次の大会に向けて打ち合わせたい。部室は、夏休みに雛菊さやとよしとで片付けてから日も経っていない。まだ整理整頓された綺麗な姿だった。


「この部室だって滅多に掃除しないのに前田が片付けてくれたんだな。1年生にやらせればいいのに」


よしとは、


「自分でやれる事は自分で引き受けようかなと思います」


と言う。


「なるほどな。そういう男だよな、前田は」


石黒は語った。たとえば松岡には松岡の個性があって、よしとを軸としない所にも持ち味や真骨頂がある。そういうのを時折上手く引き出していくと、もっと良くなるだろう。


「前田のチームだ。ただ一つひとつのプレーに主役がいる。塩村も最後の移動攻撃は凄まじかっただろう。1年生レギュラー達は、1試合ごとに成長していくから。どんどん発掘していこう」


「石黒先生。ありがとうございます」


そして体育館に戻ると日が落ちてからもずっと松岡、岡部、井沢、新垣らと練習をしていた。ボールの弾む音が嫌になるくらい、体育館の床を踏みしめる音が嫌になるくらい、ずっと。


夜中になって松岡が、


「ギブアーップ!!!」


と叫んで床にへたり込むと、岡部、井沢、新垣も床にうずくまった。


岡部が


「今日はもう俺の上腕二頭筋も限界です」


と言う。


井沢は、


「前田先輩は鬼です」


と言って肩で息をした。


新垣も、


「浦川辺さんも帰れなさそうにしているんで終わりにしましょう」


と言う。


よしとは、


「本当によく頑張った」


と言った。


四人はドッと笑うと、松岡が、


「何言ってるんですか、明日もやりますよ。明日も鍛えてくださいね」


と言った。




よしとは更衣室で着替えていると、一時間以上前に蛇島からメッセージが来ている事に気が付いた。


「一緒に帰りたいです」


よしとは驚いた。


1年生達に「用事が出来ていた」と言って急いで着替えて外へ出た。暗がりにうずくまっている人影が見えた。人影がよしとに気付いて、立ち上がると、


「ずっと待っててごめんなさい」


と言って、お辞儀をした。


「蛇島さん」


まだ夏の暑い空気が、暗がりに充満した9月初旬の夜に、今日知り合ったばかりの女の子がずっと待っていた。蛇島はきらりに言われた通り、今日が一番頑張る日のつもりで待ちぼうけをしていた。


「気持ち悪いですよね」


蛇島は小一時間待っているという非常識な事をしてしまったと思った。ドン引きされてしまったかと思うと、きらりのアドバイスを受け入れたのも裏目に出たかなと思う。


「なんで?」


よしとは、理由を聞いてみた。会って話した事もないのに何故そのような事をするのか。長時間待っていた事自体はタイミングの問題だから別に気持ち悪くはなかった。


蛇島は、


「小学校の頃の友達に似ているんです」


と言う。


よしとは、


「そっか」


と言う。


蛇島は、正門を指さして、


「あそこまで一緒に帰ってください」


と言う。そういえばすっかり夜遅くになった。


よしとは、りおが部活の終わりを立って待っていた何時ぞやの事を思い出した。あの時は、正門広場の石段にりおが腰かけて、「私は女性同性愛者です」と打ち明けてくれた。


よしとは正門広場までスタスタと歩く。


蛇島が小走りで後を追うと、よしとは上級生らしく、率先して石段に腰かけて、


「お話ししませんか」


と言った。


蛇島は胸の高鳴りと不安が、電灯の灯りでよく見えるよしとの輪郭をなぞっていくのを感じて、目を閉じてよしとの隣に座った。


そして無言で座っていた。静寂を許容する不思議さも、溜息一つつけない緊張感も、どうしてか二人して生み出していく。


よしとは、蛇島を見ると、蛇島はゆっくり両目を開けて、語り出した。1学期の事、女子サッカー部の事、自分の中学時代も。


「前田先輩はカッコいいです。今日知り合えて嬉しかったです」


よしとは、それを聞いて立ち上がる。


蛇島が下を向いて立ち上がろうとしない。


また静寂をどうしてか二人して生み出していく。


よしとは、


「水族館行きたいですか? 」


と言った。


蛇島がカッとなって上を見上げると、顔の熱が噴き出した頬を隠せない。


ただ蛇島の目に映ったよしとの顔も、顔の熱がよくわかる色合いになっていた。


蛇島は、


「はい。行きたいです」


と言った。今までのどこか甘えたような感じを拭って、凛とした声で。


よしとは、言われた通り正門まで見送ると、


「自転車通学なので俺は裏門から帰るから」


と言って、敷地内を引き返そうとした。


蛇島は、


「待ってください」


と言って、よしとの腕を掴んだ。


そして小指と小指を結ぶと、


「友達以上ですからね。デートするんだから」


と言った。


よしとは、優しく笑って、


「わかった」


と言った。そして指を解いて手を引っ込めた。今日突然迷い込んだ女の子の右手と、くっついて離れない時間、それらを求める理由が、寂しさが、本当は自分の中に存在する事を、蛇島が知ってしまわないように。草が鋭利に蘇らないようにと。


水族館はその週末に行った。大人のカップルや家族連れが多い中、高校生だてらに白いシャツとロングスカートの蛇島は、よしとと一緒に、楽しそうに魚を見ていた。踊るように、はしゃいで。


蛇島の足の運びが、ステップが、よしとにはよく鍛えられたものに見える。肩幅も、女の子とはもっと華奢だったはず。そこはかとない力強さは、蛇島が打ち込んでいるサッカーへの信念だろうと。それが恋に我を忘れて自分に迷い込んだとでも言いたいのか、よしとは控え目だった。


「本格的なデートになっちゃいましたね」


蛇島はそう言って笑う。


「失礼の無いようにって思ってるから」


昼食は水族館内のカフェにした。少し高かったけれど、いつになく価値があると思えてくるのだった。蛇島も、よしとの態度に優しさ以上の解釈を添えず。


屋外エリアでは、草原に見立てた区画を歩くペンギン達を見る事が出来た。仲良く二羽で歩くペンギンを見つけ、蛇島は、


「私達みたいですね」


と言って、笑った。よしとが笑い返すのを待っているように、さっきから根気よく笑う。


よしとが、


「俺達みたいだね」


と言うと、蛇島は嬉しそうに繋いだ手をギュッと握りしめた。よしとは、遠くの空まで連れて行かれるような感覚の中で、連れ合った女の子に漸く心を開き始めた。蛇島の肩幅がクルっと旋回して、言葉が、


「よろしくおねがいします」


と改めて送られてくる。




デートから一週間ほど経ったある日。噂で知った松岡から、


「一瞬付き合うのはやめてくださいね」


と言われた。


岡部も、


「俺の上腕二頭筋も前田先輩と蛇島さんを応援しています」


と言う。


井沢と新垣も、


「『りりあ』って呼んであげてください」


と言う。


さやは、


「大会前に司令塔が色ボケしたなんて誰も言いませんよ♡」


と言うのだった。


よしとは、蛇島と校内での時間をよく共にした。蛇島の丈の長いスカートが、部屋の壁紙のような時間の深みの中で、疑うことを知らない蛇島の精一杯の明るさに惹かれて行くのだった。




あやは、


「前田先輩は恋人が出来て羨ましいです。私も気になっている女の子がいます」


と、ポロリと自分が女性同性愛者である事をよしとに零した。もちろんよしとは過去の時間ループを経て、知っていた。 

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