長空北高校女子サッカー部の1年生も高校生活最初の夏休みを迎えていた。1年生の蛇島りりあが暮らす蛇島家は、長空市にある。この日は部活が休みだった。休みの日に大いに遊びたいと思うものだ。
同じく市内に住む蠍屋みくると一緒に映画を見に行った。
二人は視聴を終えて、帰る前に同じビルの喫茶店に立ち寄った。コーヒーフロートを飲みながら談笑していた。
蠍屋が、
「なんで私と行きたくなった?」
と言うと、蛇島は、
「悩みがあって」
と言う。
蠍屋は、先輩の泉岳きらりが、同じく先輩の神楽りおと交際中である事を思い出した。
「悩みって何の悩みだ?友達として相談に乗ればいいんだよな?」
「…好きな人」
「はぁ?」
「男子バレー部の人なんだけど」
「男子か」
「前田先輩っていうの」
蠍屋はホッとして、
「よかった。りりあは正常だった」
と言う。
「正常って?」
「泉岳先輩は素晴らしい御人だけど、女性同性愛は言語道断だと思うぞ。親から女の子らしくしろって最近言われるようになった。歩き方とか喋り方とか。性は目的論だよなってつくづく思う」
「そうなの?泉岳先輩と神楽先輩を応援していると思ったけれど?」
「デキちゃったら仕方が無いよ」
蠍屋の言うことはどこか世知辛いというか距離感があるというか。蛇島は、女性同性愛もアリだと思っていたし、自分を勧誘してくれた恩のあるきらりの性的趣向だと思って応援していた。
「…それで前田先輩の彼女になりたいなって思うと最近辛い」
蛇島が話を戻すと、蠍屋は嬉しそうに、
「夏なのに意識高いな。彼女になりたいなんて。気持ちがそこまでにならなくないか」
と言う。
蛇島は話し相手がいて、スッキリしていた。前田よしとはきらりと同じクラスだという情報は小耳に挟んでいて、なんとか接点が欲しい。新入生歓迎オリエンテーションで一目惚れをしたのだ。
蛇島は、
「小学生の頃に一緒にサッカーをしていた裕太君に似ているんだ」
と言う。
蛇島は、小学生の頃の思い出を話した。裕太という少年は、5,6年生の頃にクラスのリーダーだった。もともとは宮城県の仙台市出身で、震災を経験し親の仕事の関係もあって小学校時代は東京に居た。高校は仙台の強豪校に行きたいと当時から言っていた。中学からまた仙台に戻ったが。
蛇島のマンツーマンディフェンスも裕太と遊んだ日々が由来だと言う。親ぐるみで仲良くデパートなど行ったりもした。充実した小学校時代だったと言う。
「りりあは本当は裕太君がずっと好きなんだな。それで雰囲気が似ている前田先輩の彼女にまでなりたがるのがイイ感じだな。そうでないとな、恋愛なんて」
蠍屋は楽しそうに聴いていた。たまの休みに良い話が聴けたとご満悦だった。
インターハイ本選も文武創造学園が勝ち進んでいた。文武創造学園は全国区の強豪だ。予定では8月に練習試合がある。
蛇島は帰宅すると、母親に、
「今年も行っていい?『あれから文武創造学園は不合格になったけれど、紆余曲折を経て今は長空北高校でサッカーを続ける事が出来たよ』って伝えたい」
と言う。
母親は、
「お父さん。今年もお盆休みが貰えるみたいだから車で行きなさい。向こうの家にはまた一筆書いておくから」
と言った。
裕太は、中学2年生の時、大病を患ってこの世を去っていた。お盆に友人の墓参りをする事は、そこまで不思議ではない。先方の家族には、蛇島家から手紙で墓地に立ち入った事を連絡する。蛇島は、裕太が他界している事だけ蠍屋に言わなかった。裕太の墓参りは、あと一回だけしたかった。
「私は大人になるのに。裕太君は子どものままだ」
一緒に遊んだ時間が思い起こされるのも、そろそろ終わりにしなければならない。
2022年8月上旬。夏休みの長空北高校女子サッカー部は練習試合の為、東京の強豪校である文武創造学園まで遠征していた。23区内にあるから少し遠出だ。対戦校のグラウンドで行われる練習試合で、少し遠出をした部員達。
「東京で一番強い学校と試合できるなんて楽しみです」
電車の中ではいくらか笑みが零れた。星雲は屈託なく、きらりと談笑する。皇后杯東京都予選高校ラウンドでT.M.R学園に敗れたときは悔しさを露わにしていたが。翌日にはケロッとしていた。いくらか脇がしまるようになった気はする。
「自分らしく戦えたらいいです」
長空北高校は敗戦以来、低い位置からビルドアップする課題を1,2年生を中心に取り組んできた。蛇島は自分のプレイスタイルを悩んでいた。顧問も蛇島が組織力という感じの選手ではない事がネックだった。
「相手校も1年生エースだから。お前ら長い付き合いになるかな」
次期部長のきらりとしては、自分達のレベルを確認する格好の舞台だと意気込んでいる。文武創造学園との対戦は、過去いずれも8点以上取られる惨敗だった。今の長空北高校なら接戦に持ち込めるだろうか。ただ文武創造学園も今年から加入した1年生で、代替わりして新エースになった小笠原の評判が良い。中学時代からフォワードの有名選手だった。
「わくわくするなぁ」
半袖にジャージの集団が電車移動。文武創造学園に着くと、グラウンドでまず整列をして挨拶をした。ホームの相手校も礼儀正しく整列をして挨拶をした。学校教育としてスポーツマンシップが垣間見れるのは部活動の試合では基本だ。
練習試合の開始前にアップをしていると、きらりは、ベンチ組になった現部長・小関に話しかけられた。
部長・小関は
「泉岳は女の子と付き合っているんだよな?」
と言う。
「え?」
「写真部の笘篠に試合の写真見せて貰った時に、ついでに教えて貰えたんだ。そういえばT.M.R学園の試合後に二人でじゃれてたなって。友達だと思ったけど、女の子同士で『そういう事』をしているんだな」
「『そういう事』はまだです」
「なるほどな。大人しい子が好きなんだな。でも泉岳らしいチョイスだよな。『全然いいぜ』だからな」
「部長。私は試合中とか練習中とか真剣な時に頭の片隅に置いておきたくないです」
部長・小関は、大袈裟な声で、
「あぁよかったぁ~!」
と言う。
きらりは、少しホッとして、
「ただ最近じゃ分けて考えるのも優劣があるみたいで好きじゃないんですよね」
と言う。
「大丈夫。優しい子にはそうやって悩んでる感じがまるっと伝わるよ」
その後、顧問が全体に向けて本日の戦術について確認した。蛇島が1年生エースの小笠原をマンツーマンディフェンスする。センターフォワードは星雲。3年生に代わって2年生が、たとえば部長・小関の代わりに2年生の仁科がフォワード(ウィンガー)に起用された。また低い位置でのパス回しを多用していくという。
インサイドハーフの北浜が、
「めっちゃくちゃ練習したからな。これでボランチの稲本を鍛えた成果が分かるよな」
と今からそんな事を言っている。
きらりは、
「稲本が完成すればって思っていたけれど、課題は低い位置のパス回しだからな」
と言ってやった。
蛇島にとって文武創造学園の1年生エース・小笠原に挑むことには特別な意味があった。T.M.R学園の有村には最後破られてしまったが、マンツーマンディフェンスに定評のある蛇島としての再起があるかどうか。
相手校の1年生エース・小笠原が、上級生に混じってグラウンドに出て来た。遠目に見るとトレードマークの天然パーマが目立つ。体格は蛇島と同じくらい。文武創造学園を中学時代に不合格になった蛇島の密かなリベンジの相手でもある。
「宜しくお願いします」
両チームが試合前の整列をし、挨拶をした。小笠原は目立つそばかすと大きな丸い眼球で、きらりを一瞥すると会釈のようなお辞儀をした。各自定位置についた。主審が笛を吹くと試合は長空北高校のキックオフで始まった。
小笠原が前線に上がってきたのを確認し、蛇島がマンマークする。小笠原が右に行けば蛇島も右。左に行けば、左。前線にいる限り、蛇島が追って来て、小笠原へのパスという選択肢を巧みに消していく。
蛇島も、この特技しかない選手のようにマンツーマンディフェンスに執着する。それが自分らしいサッカーだと思える。
開始から10分程経って、小笠原は不意に足が止まった。蛇島のしつこすぎるマンマークに呆れた顔をして、ジロッと蛇島を見て無言。ボールが自陣にあるとはいえ、少し怠慢かもしれない。
蛇島のマンツーマンディフェンスは単なる追っかけっこではない。対象の次の動きを予測したり、フェイントを入れてコントロールしたりしながら、結果としてピタリとくっついて離れない様相を実現する高度な技だ。
蛇島は小笠原を睨み返した。小笠原は、要は文武創造学園を不合格になった蛇島は格下なわけだが、フッと溜息をついて、
「有村でわかっただろ」
とボソッと呟いた。
蛇島はギクッとしたが、小笠原が動かない。
「じゃあ、断ち切ってやるよ。その自分らしさみたいな考え方を」
小笠原は蛇島に追われたまま好機を探る。それを断固阻止する蛇島。T.M.R学園戦のように対象の動きを読み切れないシーンは試合中に何度かあるのは覚悟している。それを如何にゼロに近づけるかという発想だ。
T.M.R学園戦と同様に両サイドから相手MFが上がって来る。味方インサイドハーフが下がればスペースが生まれてくる。このスペースを遅攻で埋めて戦ったのがT.M.R学園だった。あの一戦との違いはボランチの稲本がかなり動けている事だ。稲本が前方向へのパスを消すように引いて守る。きらりが、稲本に「困ったら下がれ」と教えておいたのだった。
「あの7番(稲本)がド素人だったはず」
そう思った相手選手があえて稲本の守備範囲をドリブルで突破しようとする。しかし、稲本も練習通りデュエルしてボールを奪い取る。そして181cmの身長でドタドタとドリブルで縦に走る。この攻撃は相手DFに止められてしまったが一切油断できなくなった稲本が早くも活躍していた。
しかしその様子を見て小笠原の反応は逆だった。
「先輩。無理矢理パス出しちゃってください。カットされてもいいんで」
小笠原はクールな表情で上級生にそう願い出た。蛇島のマンマークを存在しないものだと思って自分を使ってくれと言う。
「一本通る度に必ず一本決めます。蛇島がカットする度に長空北が一本決めるのは不可能だと思うのでウチが勝てます」
小笠原は歯を見せるどころか微笑む様子もなく、無表情でそう言う。言われた上級生が「わかった」と言うと、本当にそのように試合を進めた。蛇島がどれだけ巧みに小笠原を消していようと、消している事実を消して、小笠原が何とかするだろうとボールを放り込んだ。小笠原もボールが飛んできてから考えた。
結果、確かに小笠原は一本通る度に一本決めるとは行かなかった。守りにはゴールキーパーの蠍屋もいる。ファインセーブもあった。しかし長空北こそ蛇島がカットした所で毎回カウンターに持ち込めるわけでもない。文武創造学園の安定した中盤の布陣が長空北の反撃を阻む。
前半20分。遂に小笠原のバイシクルシュートで文武創造学園が1点を先制した。背中で蛇島に寄りかかって強引に打った。
0-1
蛇島と小笠原の、仮に直接対決という事にしよう、空中戦然り、地上戦然り、小笠原がシュートしたら小笠原の勝ち、出来なかったら負け。このマッチアップで圧倒的に小笠原に軍配が上がっていて、早い話、蛇島がマンツーマンディフェンスをするだけ無駄である。
これまで全て弾き返していたゴールキーパーの蠍屋が、
「仕方ない。定位置の守備範囲を守ろう。ゾーンディフェンスで戦おう」
と蛇島に言う。
きらりも、
「通用しないのでは仕方が無い。貴重な練習試合だから色々試そう」
と言う。
蛇島は無言で頷く。ゾーンディフェンスもかなり練習してきた。貴重な練習試合だというのもその通りだ。
蛇島が右サイドバックの守備範囲を守るようになると、小笠原の方から執拗に蛇島の守備範囲に侵入して、マッチアップを仕掛けるようになった。わざわざ蛇島をドリブル突破で攻略してから、コーナーを折り返してシュートを放つ。
「わかってもらわないと」
小笠原はボソッと呟くものの、蛇島の顔は一切見なかった。蛇島も気持ちを切り替えて試合に集中しているものの、胸の内にコンコンと無念さが積もっていく。小笠原がシュートを放つ度に蠍屋が懸命に止めた。
蠍屋は自陣を縦に走る仁科をチラッと見る。星雲も同様だ。この練習試合は低い位置からのビルドアップという注文があったが、攻撃陣からのリクエストもある。蠍屋はロングボールで仁科にパスを出した。仁科からきらり、きらりから星雲とボールが回る。
「やっぱりオフザボールが上手いな。11番(星雲)」
小笠原は星雲を何処かで見た気がした。しかし星雲のシュートは相手キーパーに阻まれる。文武創造学園は守備も固い。
前半終了0-1。
文武創造学園の監督は、
「長空北は調子に乗せると高い位置でのポゼッションが上手く厄介だ」
と分析した。
きらりは休憩中の北浜を見つけると、
「働け」
と喝を入れた。
北浜が、
「ゾーンディフェンスはもっと練習しないと」
と言うと、きらりは、
「ハマは言い訳すんな」
と更に喝を入れた。
きらりは、強い選手とやり合って得るモノがある限り、ここに来た甲斐があると言う。きらりの目的は来年のインターハイ予選で今日の相手を倒す事にある。
すっかり落ち込んだ蛇島は、小さな声で、
「はい」
と言った。
練習試合は結局1-5で長空北高校が敗れた。文武創造学園の監督が指摘する通り、長空北高校は高い位置でのポゼッションが上手く、星雲が1点をもぎ取った。ただやはり守備力が追いつかず後半4失点だった。これがインターハイ本選常連校の実力だと思い知ったものの、課題を体験出来て有意義だったと、きらり、北浜や仁科はそう思った。
試合後の整列と、帰る時の整列の間に、少し両校の選手同士で話す機会があった。試合が終われば普通の高校生に戻って、談笑する者もいれば、相変わらずドライな者もいた。
星雲は、小笠原に、
「はじめまして。星雲です」
と挨拶をしに行った。同じ1年生同士で挨拶くらいしておかないと。
小笠原は、
「星雲って。もしかしてU-15のトレーニングキャンプにいた『星雲まいか』か?」
と言う。
「そうだよ」
「なんで長空北高校の女子サッカー部なんかにいるんだ?」
「命の洗濯だよ。疲れてしまって」
星雲は気恥ずかしそうに、体格や技術面の伸びしろに悩んで、そもそも高校では卓球部に入る予定だった事などを打ち明けた。サッカーはもう辞めようかと思っていたんだよと。
「そっか。お前って可哀想な奴なんだな」
「え?な?なんだと?!」
小笠原は、聴くだけ聞いて、
「皆、最高のハイジャンプで手に入れた価値が自分だと言って語るんだぞ。自分だけが知っている自分が自分だなんて可哀想に違いないだろう」
と言う。
星雲は、キョトーンとして首を傾げた。
小笠原は、
「遊びに来たんじゃよかった。全国には行かせない、絶対に」
と言う。
異様な空気に感付いたきらりが駆け寄って来て「大丈夫か?」と言う。きらりが、小笠原を見ると、小笠原は、
「泉岳さんはチームが強くなって良かったと思います」
と言った。
きらりは、
「あぁ。そうだよ」
と、意外にも穏やかな声で言った。場が少し和んで、小笠原は去って行った。きらりは、この手の言い合いは何度も経験していて、場数を踏んでいた。きらりが星雲をなだめると、星雲は悔しそうに無言になってしまった。
長空北高校に帰ると、顧問が試合中の録画を見せて、様々なアドバイスを送った。
星雲は、小笠原に言われた事が、心に杭を打たれたように、嫌な感触がしていた。星雲はU-15のトレーニングキャンプに呼ばれるレベルの選手だった。しかし様々な事で悩んでしまった。そのキャリアで高校のサッカー部に進む選手は確かに少ない。競技レベルの低いリーグで、強豪でもない高校でサッカーを続ける事は「遊び」だと言われた。
察した蠍屋が、歩み寄って、
「『一回しかない高校生活だからやっぱり一番楽しいスポーツを選んだ』」
と言う。星雲がハッとして顔を上げると、
「『…だけ』」
と続けた。これは前に星雲が蠍屋に言った、女子サッカー部に入った理由だった。
蠍屋は、
「信条が様々でも仲間で括られた事実は重い」
と言った。
星雲は、
「『だけ』?」
と言った。
蠍屋は、
「まいかは勝つために必要だ」
と言った。
蛇島は幾らか険が取れた顔で佇んで星雲と蠍屋を見ていた。一度はサッカーを諦めて進学校に進んだが、行った先の長空北高校できらりに勧誘された。
きらりは、蛇島に、
「蠍屋が言ってたこと本当か?」
と話しかけた。
蛇島は、
「何がですか?」
と聞き返した。
きらりは、フフッと笑って、
「蛇島が前田の彼女になりたがってるんだってな」
と言う。
蛇島が驚いて言葉を失っていると、きらりは、
「新学期が始まったらウチのクラスに遊びに来い」
と言う。
蛇島は、
「前田先輩ってどんな人なんですか?」
と言う。
「前田は『草』だ」
「草かぁ~!よろしくおねがいします!」
きらりは、よしとの個性を誇張して言った。実際はりおと付き合って鬼道のインストールまでしたのだから「草」は言い過ぎだと自分でも思う。しかし蛇島とよしとを出会わせたかった。
蛇島は嬉しそうに、笑った。翌日から蛇島はマンツーマンディフェンスを捨て、長空北高校はゾーンディフェンスで守るチームを目指していく事になった。蠍屋は、星雲がリーダーシップを発揮できるくらい前段階的にチームが強くなれば万事うまく上手く行くと思った。
そして夏休みは続く。男子バレー部の様子はどうだろうか。