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第49話「カラオケ」

2022年7月上旬。長空市内の閑静な住宅街に位置する三栖家。長空北高校1年生で将棋部の三栖じゅえりは、来月の期末テストに向けて数学の予習をしていた。じゅえりは化学に興味があって理系に進む予定だ。数学の成績が悪いのは致命的だと思っていた。


じゅえりは、小学校から塾通いをしたせいで塾や予備校と言う環境に辟易していた。夏休みも冬休みも塾通い。もう通いたくなかった。部活も思いっきり楽しみたかった。幸いそのマイペースな性分が徹底していたため、進学校でも周囲の学力に一喜一憂することなく自分のペースで勉強出来ていた。


じゅえりは、人見知りだが社交的で、話しかけられると気さくに話す。クラス全体で自分の居場所が確保されていて、所属するサブグループは無かった。ある意味でクラス全員が友達だが、基準を変えればクラスに友達がいないとも言える。


♪~♪きらり♪~♪


携帯電話の着信音が鳴って、メッセージアプリにメッセージが届いた。


「お疲れ」


泉岳きらりだった。女子サッカー部の大会へ観戦に行った時は、熱心に応援する神楽りおと親密な仲である事が容易に類推できたが、きらりは貴重な上級生の友達だ。もっと仲良くなりたい。


「お久しぶりです。いま数学の勉強をしていました。理系志望なんです。そういえばすっかり夏になった気がします。雨が突然降るようになりましたね」


つい長めにメッセージを書いてしまう。そして返事が遅いと自分から、


「長文すみません」


「ごめんなさい。ご用件はなんでしたか?」


と連投してしまう。じゅえりはメッセージアプリが苦手だ。返事が返って来ないので、


「付き合っている女の子がいるのを知っています。神楽先輩ですね。大会の応援に行ったからわかります。でも女の子同士で仲良くなりたいのです。中々親友が出来なくて」


と送る。


きらりは、


「同じクラスの浦川辺あやと友達になれば良いだろう。学校の人気者だぞ」


と、単刀直入に用件を伝えた。きらりは目的があってじゅえりに接近した。あやにインストールされた鬼道をアンインストールする為に、前回の時間ループであやと仲良かったじゅえりと先に仲良くなる。あやが鬼道をどう思っているか、便利な魔法だと思って大事にしてしまっているか、条件を正しく知っているかどうか、それらを把握したい。術者の前田よしとも、男子バレー部であやと信頼関係を築いているようだが、しくじる可能性もある。


じゅえりは、


「わかりました。あや様と仲良くなるのを頑張ります」


と送る。


「もう『あや様』なんて呼ばれているのか?」


「はい。綺麗ですから。まだあんまりお話していないですけれど」


前回の時間ループであやとじゅえりが友達になったのは2022年12月だ。


「泉岳先輩。私は会いたいです。サッカーの試合がカッコ良かったのです」


じゅえりは、事情も全く知らないが、貴重な上級生の友達にまた勢い余ってそのようにメッセージを送る。


「家はどの辺りだ?」


「市内です」


「公園くらいならいいぞ」


「千駄ヶ谷の将棋会館に行きたいです」


「私はルールも知らないのに、無理だ」


「そうでしたか。すみません。代々木公園に行きたいです」


「遠出は無理。あとりおが行かない所で頼む」


「カラオケ行かなそうですね(笑)」


「カラオケか。そういえば半年くらい歌ってないな」


「カラオケ行きましょう(はぁと)」


「カラオケなら友達とも行くし、普通だな。行くぞ」




来る日曜日の午前。夏めいた日差しが照り付ける駐輪場に自転車が二台、止まっていた。カラオケボックスは駅前にもあるが、午前中の部屋料金の安い穴場が有名だった。日曜日の午前は近隣の年配客や中学生が多い。


「高校に入ってから滅多に行かなくなったな」


きらりは入り口で会員証を見せると、2つドリンクバーを注文した。じゅえりが、グラスを受付の店員から受け取る。


「何がいいですか?」


じゅえりは後輩らしく、きらりのぶんも注ごうとする。きらりは、自分のぶんは自分でやると言って、氷がいっぱいのグラスにウーロン茶を注いだ。


「三栖はそんな気を遣わないでいいぞ」


「そんな。泉岳先輩とカラオケに行くの楽しみだったのです」


「じゃあ紙のストローを2つ貰って来て。貰い忘れちった」


きらりとじゅえりは部屋に行くとエアコンをつけて、雑談もほどほどにデンモクに得意な楽曲を入力していていく。あまり行く機会が無いだけで二人ともカラオケ自体はとても好きだ。二人はそれなりに歌が歌える。お互い楽しく歌ったり、聴いたりした。


「楽しいですね。先輩のレパートリーは少し古いですね」


「親が車でかけてる曲を覚えたんだ」


「知らない曲がいっぱいあって楽しいです」


「よ~し。じゃあ年代物を聴かせてやろう」


きらりは、C’har~hen~riceというロックバンドの楽曲を歌った。クラシックを追求したクリアな音源が気に入ると思った。




私が落とした♪雫が♪あなたの形になって♪ずっと駆けて来た♪




じゅえりは、


「良い詩ですね。人生を考えさせられます」


と歌詞が気に入った様子だった。


「携帯電話のミュージックアプリのライブラリに登録します」


C’har~hen~riceは親の世代に人気だったロックバンドだから、じゅえりは全く知らなかった。知識が増えて嬉しかった。じゅえりはニコニコしながら、携帯電話をいじる。


きらりは、作戦でじゅえりと親しくなりたい。


「好きか?」


「え?」


「C’har~hen~rice」


「え?今の振りは何ですか?」


きらりがニヤニヤしながら、ジッとじゅえりを見る。じゅえりもクスっと笑う。


「先輩とこんな所に来たのはどうしてだ?」


「付き合っている神楽先輩がいるのにそういう事を言いますか?」


そう言って、自分の紙ストローを咥えてアイスココアを飲む。少し嬉しそうに下を向きながら、しばしの静寂の中、じゅえりは、親し気なきらりが心の中を搔き乱して、確かに先輩と二人っきりで遊びに来たなという気持ちが充満してくる。


「『俺の』パイオツを触らしてやろう」


きらりは得意の戦術に出た。前回の時間ループでりおをあやから奪った必殺の戦術である。あの時と同じ淫猥な光を放って、じゅえりを陥落させようとしている。やはりこのやり方が一番手っ取り早いと思うのだ。


「パイオツは待ってください」


じゅえりはそう言って、携帯電話を少しいじると画像を見せて来た。高円寺の盆踊りのポスター画像だった。毎年8月下旬に高円寺駅周辺でお祭りがある。


「お祭りに行きたいです」


「ダメだ。付き合っているのはりおだから。そういう遠出は三栖とはやらない」


「パイオツのほうがハードルが高いです。私も御見せしないといけないはずです」


じゅえりは、冷静に言い返した。りおとの関係はそれはそれとして、自分とも関係を持つのであれば順序通りにやって欲しいという事だ。前回の時間ループでりおは素肌をきらりに見せなかったが、じゅえりは将棋部らしく対戦型を望んでいる。


「要らないのか?」


きらりは胸を張って乳房を見せつける。きらりは、こうしていれば欲しがるだろうと思ったが、じゅえりは、あの時のりおと比べて性欲が弱いのか、我慢しているのか、動きが無い。それとも本当は作戦で接近しているせいで、きらりの引きが甘いのか。減るものではないし女同士なら良いと思うのだが。


「私も御見せしないといけないので手順を踏んでください。泉岳先輩の気持ちは良く分かりました。神楽先輩と付き合っているけれど、私にも関心があってお遊びなさいたい。であれば、神楽先輩と競争にしてもらいたいです」


じゅえりは、思った事を素直に言った。きらりの事はまだよく知らないが、男子生徒と交際したいと思った事もない。友達の次に親友があって、その次が恋人なのかなと曖昧にそう思いながら、自分も女の子同士の恋愛に参加したい。


「あの日、声を掛けて貰えた事が今でも凄く嬉しいのです。サッカーの試合も胸を打つものがありました。そんな気持ちでよければ私は泉岳先輩が好きです」


きらりに対しては、このような気持ちがあった。自分がクラスメイト以上の存在を作る事があまり得意ではない事にも幾ばくか自覚もあった。


「そうか本当に女が好きなんだな」


きらりは、あやの情報を聞き出したり、よしとがしくじった際にあやを懐柔する目的でじゅえりに接近していたから、じゅえりからどう思われるかは無頓着だった。ただ、じゅえりと生半可に親しくなっても、じゅえりをあやに奪い取られる形で計画が破綻する可能性だってあるわけだ。それに、じゅえりを起点として、あやとりおが親しくなるリスクだって出てくる。よく考えたら、じゅえりは完璧に飼いならさないといけない。


「三栖はそうやって正直に話すのが好きなのか?」


「はい」


「そんな立場でいいのか?」


「はい」


「寂しいのか?」


じゅえりは、少し息を飲んでから、


「はい」


と答えた。


きらりは、


「りお優先って分かるならいいや。二番手に置いておいてやる」


と言って、少し腑に落ちない顔をした。なんでそこまで自分に執着するのか疑問だった。本心は、別に二番手とか、そんな事をやるつもりは全くないが、器用に手駒にして置かないといけない。


じゅえりは、


「きらり先輩って呼びます。それを許してくれるなら」


と言って、笑った。


きらりは、人間そんなに寂しいものかなと思ったが、敵も味方も作らないように暮らしているとかえって酷く不器用な人間になるのはわかる気がした。


「歌うぞ」


きらりは、デンモクに曲を入れた。午前中から昼過ぎまでのフリータイムだ。


「昼飯はどうする?」


きらりがじゅえりに聞くと、じゅえりは照れながら、


「親にアプリで聞いてみます。よければご一緒したいです」


と言う。


「じゃあ問題無ければ、うどん」


「うどんで大丈夫です。言われた通り、あや様とも仲良くなっておきます。友達作りに自信が持てます」


「それはよかった」


きらりは、親睦を深めるためC’har~hen~riceの楽曲をまた歌ったのだった。じゅえりは、高校生活の人間関係がきらりの謀略によって牽引されている事を知らない。楽しそうにきらりの歌声を聴いて、笑っていた。そして荒唐無稽なきらりに少しずつ惹かれて行くのだった。 

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