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第47話「涙」

2022年6月19日。長空北高校男子バレー部はインターハイ予選の二日目を迎えていた。既に4回戦を勝ち、5回戦はシード校と対戦する。6回戦に勝てば三日目に進出する。


初日と比べて一層空気の張り詰めた競技場で、ベンチ入りマネージャーの浦川辺あやは、シード校のアップの様子を眺めていた。遠くから見ていると一人ひとりの動きが速い。


前田よしとは、


「同じ人間だなって思えてこないと試合にならないからね」


と言う。


あやは、


「試合にならないってどういうことですか?」


と言う。


よしとは、


「相手に飲まれたらダメでしょって意味だよ」


と言う。


あやは、選手達が肉体を今日まで鍛えてきた事に、自分とはそこまで真摯に関わっていただろうかと、ふと思った。アップする強豪校の選手と、長空北高校の選手の差。自分の限界を知るという訓示も大事だが、そうやって一人ひとりが己の壁に立ち向かっていく姿を見守るばかりで、彼らとは女子マネのあやが鍛えた選手とは言い難いかもしれない。


応援席にいるもう一人の女子マネージャー・雛菊さやも、そういえば同じような事を悩んだ日があったかもしれない。塩村の身長を縦に伸ばせないのが悔しいとか、そのような感覚の発言だったが。 あやは、与えられた肉体で限界に立ち向かう一人ひとりにもっと関わって、熱い気持ちで試合を迎えたいと思った。


「面白いなって思える?」


よしとは、あやがバレーボールを好きになれたかどうか気になっていた。自分(よしと)が女子マネに勧誘したような形になったし。退屈しているとか、していないとか、まだそのような所に精神があると思ったから。


「はい!もっと積極的に取り組みたいです!」


あやも思った事を言う。大会を通じて今の心境になった事を伝えた。4月の最初は塩村の頑張っている姿に呆気に取られた事もあったとか、5月の練習試合で強豪校に負けた時は一人ひとりが自分と向き合う修業なんだなと思ったとか。今はただ勝つ瞬間を見届けたい。


顧問・石黒は、


「浦川辺さんの真面目さは必ず伝わるからね」


と言う。


「さて、勝ちましょうね。勝ちたいと思っている。勝たないとね」


顧問・石黒は、選手達を鼓舞すると、選手に細かく指示も出していた。二日目となると、相手も強い。悔いの残らないように戦わせる事が、顧問・石黒の使命だった。もちろん勝って欲しい。勝てばインターハイ出場も見えてくる。


五回戦で戦う相手校の2年生が、


「よろしくお願いします。前田君、いい試合にしよう」


と言う。今大会屈指のセッターで有名選手だ。


よしとは、


「はい。宜しくお願いします」


とだけ返事をする。


バレーボールにはリベロと呼ばれる守備専門の選手が存在する。特にレシーブの苦手な者がローテーションで後衛になった際に、代わりに守備に就く。


「前田君は冬の間に凄く上達したよね。負けないようにしないと」


そう言って笑うのが相手校のリベロだ。こちらも2年生の選手だ。リラックスしたムードの相手校に対して、緊張感が充満した長空北高校の選手達は寡黙だ。


第一セットは、点差も内容も伯仲していた。シードの強豪校としては今大会の初戦である。無難に勝ち上がりたい強豪校に対して、果敢に食い下がる長空北高校。練習試合とは打って変わって奇策を打つ。特に塩村を移動攻撃で用いるなど工夫を凝らした。相手のミドルブロッカーが移動攻撃の塩村に釣られ、ライトのバックアタックも決まる。練習試合の時の愚直さがまるでブラフのように強豪校を翻弄する。


顧問・石黒も立ち上がって指示を出す。石黒の指示を受けて、よしとがサインを味方に出す。読み合いで勝るのは、常によしとだったが、フィジカル面や体格差で思い通りにはいかない。


ここで第一セットは20-20の同点。


「接戦だね♡練習試合より相手に迫ってる♡」


応援席のさやは、両手を合わせて祈るようなポーズをする。松岡が、


「前田先輩から塩村先輩への移動攻撃はあともう一段階くらいスピードと高さを両立できる。たぶんこのセットをモノにするためにリスクを取って限界へ行くと思う」


とさやに言う。


岡部も、


「雛菊さん。このセットは取りに行きます」


と選手のように言う。


さやは応援席で選手達の背中を見つめながら、心の中で何度も「頑張れ、絶対に勝てる!」と叫んでいた。


放たれた相手校のサービスを長空北高校の後衛がレシーブし、よしとがトスをする瞬間、塩村はよしとに目で訴えたのだった。


よしとは、塩村の最高到達地点に真っすぐにトスを上げた。塩村の点とよしとの点が線で結ばれて、その直線をボールが行く。これが塩村の限界点だ。反応が間に合わない相手ブロッカーの上を塩村のスパイクが通過して行った。


20-21。


「絶好調だな。このトスが繋がるなら勝機がある」


顧問・石黒は、ベンチから選手達を鼓舞すると、ピンチサーバーを起用した。長空北高校でサーブが一番上手い3年生の井口。


「俺が無回転サーブでアタックラインを狙い打つ」


井口がそう言うと、選手達はここで競り勝つという意識を確認し合った。アタックラインを狙う意図はレシーブの相手ウイングスパイカー1名を攻撃に参加させない事だ。相手校の攻撃を制限して読み切ったブロックで迎え撃つ作戦。


「この瞬間の緊張感は、凍りついた湖の上を歩くようだ」


井口が何度も練習した無回転サーブは完璧に相手校のアタックラインに落ちる。作戦通り前衛の3人で懸命に防御した。そのうち一人が、よしとである。


バシーンと音がして、よしとのブロックが決まった。


「前田君。俺らの足の動きよく見てるね。動体視力と言うか、判断する知能と言うか、パッと見た瞬間に一番あり得る攻撃を予測して、絞って動くんだろうね」


「思い切りがいいよね。何試合も戦って、一つひとつ記憶しているんだろうね。身体が勝手に動くタイプなんだろうな」


相手校は強豪校だけあってどこか余裕が感じられたものの、このセットは長空北高校が勝ち取った。


20-25で第一セット先取の長空北高校。


あやは、ベンチに引き上げる選手達へ、両手を叩いて、


「いいですね!絶好調です!」


と言う。


選手一同、声を揃えて「おぅ!」と唸り声をあげた。3年生達はずっと前から抱いていた目標を大きく手繰り寄せた第一セットだった。選手達は、


「観ていてテンポよく動けているのが分かると思う」


と言って、あやを輪に入れる。


あやは、


「はい!」


と声をあげて返事をする。あやは、選手たちの緊張感が伝わってきて、自分も一緒に胸が締め付けられるような思いだった。彼らが全力を尽くしている姿を見て、少しでも力になりたいと願う。あやを輪に入れて、選手達も志気を高める。


よしとは、


「勝ちに行きましょう。塩村さんも、皆もよく動けています」


と言う。


相手の強豪校は予想外というわけでもない様子だが、今大会の初戦でリードを許して、長めに作戦を練っていた。相手校の監督が、厳しい表情で選手達に何か指示を出していた。


その作戦は、第二セット開始早々に打って出られた。相手校はデディケート・シフトを長空北高校のレフト側に敷いて塩村を徹底して潰しにかかる。デディケート・シフトは昔からある戦術だ。3人の前衛を右か左か、どちらかに偏って配置し、片側を封鎖するような陣形を敷く戦術である。長空北高校に対して空いたライト側からスパイクを打てと言っているに等しいが、ライトから来ると分かって守れない守備力ではない。




身長173cmの塩村に対して平均身長180cm超えの相手校はミドルブロッカーも当然大きい。塩村が最高到達点に達するタイミングに、背の高い相手ブロッカーは、やや遅れてジャンプしても身長が高いぶん間に合う。


塩村の移動攻撃がライト側から放たれる際は、最もライト側のミドルブロッカーが反応して追いかける。


第二セットに入り、急に塩村が相手ブロッカーに捕まりはじめる。よしとのツーアタックも待っていましたとばかりにレシーブされる。


「根気よく戦わないと」


長空北高校の選手達は一喜一憂することなく、励まし合いながら戦う。


第二セットは25-12で落とした。歓声が静まり返り、選手達の悔しい気持ちに追い打ちをかけた。本気を出されたと言うべきだろうか、第三セットは強豪校が様々な作戦を試してきた。よしとも、塩村も、ピンチサーバーの井口も使って食らいついて行くが健闘は虚しく第三セットも落とす。


選手たちの目には、試合の勝利が全てだという決意が宿っていた。失敗を恐れず、全力で戦う姿勢は、彼らの心の奥にある情熱を物語っていた。


よしとも塩村も結局愚直な所がある。最も有力な技に頼ってしまう。よしとは、様々な場面で読みが働いているが、攻撃のキーマンである塩村を、良く言えば信頼している、悪く言えば頼り切っている。結局、塩村を要所で使うだろうと統計が示す所で相手校の守備が待ち構えている。奇策に打って出ても追いつめられると性根がものを言う。愚直である事は悪い事では無いが、勝ち負けはある。


第四セットは、長空北高校も、第一セットのように様々な作戦を試していくが、相手校の守備力が徐々に温まって来て強かった。


「長空北は良いチームだけど、全国レベルでは無いね」


結果そのような余裕を見せつける相手校に5回戦で敗れてしまった。全力を出し切ったと言えば悔いがないが、塩村ら3年生は高校生活最後の試合になった。


顧問・石黒が3年生達を出迎える。一緒になって悔しがってもいけない、しかめっ面をしてもいけない。残念そうに渋い顔をしながら、選手達の肩を固く受け止め、


「よく頑張った」


と言う。


塩村が、


「さっきまで途中だった。全部勝つつもりだったのに」


と言って、泣いた。


よしとが、


「すみません。先輩方は最後の試合になってしまった」


と冷静に振り返る。


あやは、目の前で泣く塩村をジッと見ていた。人目も憚らず泣く。自分の限界を知って受け入れるとは、ダメならダメでいいやという思考とは全く違うのだと改めて思った。敗者である事実が頑丈な塩村に襲い掛かって、泣かせた。


あやは、目から涙が出た。もっと塩村と同じ時間を過ごしていれば、少しは理解できたのかと思うと、この立派に戦った人物達の輪に本当は入れていない悔しさと、彼らを、たとえばコートに置き去りにしたような罪悪感も沸いて来た。


ロッカールームに帰ると選手達は皆それぞれのタイミングで泣いた。よしとも、少し目に涙を溜めていた。


最後に競技場で集合した際には、少し引きつった笑顔が選手達に戻っていた。心がまだコートにある中で、自分達の精神を持って帰る。


「俺達やり切ったな」


「戦ってたんだな」


「浦川辺さんもありがとう」


塩村がまた少し泣き出したが、全員で励ました。


「終わっちったよ。悔いはないかなんて、あるに決まってる」


塩村は大学では選手として活動しないつもりだ。大学の男子バレー部は、特に塩村が行くような大学であれば全国区の選手達で構成されるハイレベルなステージだ。塩村は前から決めていた、高校生活で自分のバレーボールを締めくくると。


再び顧問・石黒が塩村の肩を抱くと、ポンポンと背中を叩いて慰めた。


あやは、本当に頑張った者にとって結果とは残酷なものなのだと改めて知った。塩村が教えてくれた。高校生活は男子バレー部の女子マネージャーをまっとうするが、その後の進路は、よく考えてみようと思った。あやは、塩村のように、ああやって泣きたくなった。本気でぶつかって、本気で砕け散りたい。塩村の男泣きに比べれば自分の今までなど虚仮もいいとこだと、感情が高ぶってそう思った。


あやは、前回の時間ループで恋人だった神楽りおと過ごした時間を忘れていた。りおも全く別の方法であやの芸能界復帰を促そうと苦心していた。今回の時間ループでは泉岳きらりがりおの恋人だ。恋愛は時間の巻き戻しを越えて復活するだろうか。 

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