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第45話「心境」

2022年6月12日。長空北高校男子バレー部の2年生レギュラーで司令塔の前田よしとは、学校生活で最も重要な日を迎えていた。インターハイ予選東京都大会初日である。今日は3回戦まで行われ、勝ち抜いたチームは、来週19日の二日目に進出する。長空北高校は毎年この初日突破が出来たり、出来なかったりする。


女子サッカー部は大健闘だった。同校の運動部として男子バレー部の快進撃も期待される。よしとは朝早く起きると、今日もよく寝て、バッチリ目が覚めた事を実感した。


早朝の洗面台で、今日も試合前の顔だと自分に言い聞かせる。


「あの日、神楽と約束したからな。過去の時間ループを役立たせる意味でも、全国大会に出場しないと」


よしとは、過去の時間ループで神楽りおと過ごした時間を、公式戦の試合前はいつも思い出す。楽しかった日々、女性同性愛者である事を打ち明けた日のりおと、最初にゴショガワラ交差点で事故に遭った日のりおが、いつでも蘇る。


よしとは自転車に跨って、集合場所の長空駅へ向かう。


空気を切って進む自転車に乗って、前方を見つめる目に過ぎ去っていく通行人が、いつも学校通いで走る道と違って、心なしかよしとの顔をよく見るように消えていく。


駅前の駐輪場に自転車を止めて、集合場所の改札前に向かう。何度も来た駅の日曜日の朝。平日と異なり疎らな人影が穏やかな晴れの日。


よしとは、集合場所に先に来ていたメンバーに挨拶した。先に来ていたのは、塩村だ。


塩村は歯を見せずに笑いながら、


「ついにこの日が来たな」


と言う。


よしとは、


「絶対勝ちましょう!宜しくお願いします!」


と言って、いつになく凛々しい顔をした。塩村とこのやり取りをするのも、もう何回目だろうか。時間の巻き戻し現象のおかげで、記憶を引き継げるよしとは百戦錬磨だ。たとえば公式戦を100試合戦う司令塔は強い。


よしとの次にやって来たのは、女子マネージャーの雛菊さやだった。自分が一番最初に来るつもりだったと言う。少し遅れて同じく女子マネージャーの浦川辺あやが到着すると、次々と部員達がやって来た。


「わ~♡公式戦♡全然緊張感が違うね♡」


「空気が違うね!」


空気が良い意味で重い。男子バレー部員一同が真剣勝負に向かう重厚な場の空気。まるで場の空気と力比べをするような感覚が、女子二人にはあった。いつもはむしろ和気藹々としていたのだなと思える。侍の集団のように寡黙な今日の男子部員達。


遅ればせながら顧問兼監督が小走りに到着して、


「じゃあ出発します」


と指でジェスチャーをしながら言う。顧問は、石黒先生という背の低い初老の男性だ。進学校の教諭らしく、落ち着いた雰囲気の人物だ。将来有望な高校生達を預かっているとか、そういう考え方をする系統の教員だ。


「前田がいるから大丈夫だろう」


と言って、笑う。頑張ろうと言いながら、部員一人ひとりの肩を叩く。一人ひとりの名前をしっかりと憶えていて、必ず名前で呼ぶ。笑ったまま、選手にも、選手でない者にも試合前の緊張が解れるように声をかけていく。


「浦川辺さんは、ベンチ入りマネージャーだから、少し大変だけど頑張ろう。雛菊さんは応援するメンバーと一緒に、応援宜しくね」


男子バレー部の公式戦でベンチ入りマネージャーは1名と決められていて、顧問・石黒があやを選んだ。さやは、松岡ら1年生部員を中心とする応援部隊と一緒だ。


競技場に着くと、すぐに第一試合に出場する高校のアップが始まった。長空北高校は第一試合に出場する。勝てば第三試合、第五試合と続く。第五試合に勝てば二日目に進出する。


2階席には長空北高校の応援団、応援団のPRで観戦に来た生徒達が来ていた。写真部の笘篠も来ていた。笘篠は「雛菊さんを撮りたいな」と言うと、また冗談めかしてカメラを構えて見せた。そして、さやの写真を一枚撮影したのだった。後ろに松岡、岡部、井沢、新垣らも入ってポージングした。1年生5人の写真が撮れた。


「次の大会は俺達が試合に出るので、記念です」


松岡は、写真は自分達の応援部隊時代の貴重なものになると笘篠に力説していた。笘篠は嬉しそうに、ずっと松岡の冗談を聴いていた。


試合が始まると、長空北高校は練習通りの動きで相手校に完璧に立ち回った。塩村も、良い動きで、スパイクが決まるとガッツポーズをしていた。


第一試合をストレート勝ちすると、両チーム互いに健闘を称え合った。全力で戦うために今日まで鍛え上げて来た。その成果を見せつけ合う。最後、称え合って完成する。それは勝ち負けを超えた部活動の意義。1回戦ではよくある光景だ。


第三試合は、この後すぐに行われる。よしとはベンチ入りマネージャーのあやに、


「観ていてどうかな?いつもの練習通り出来ているかな?」


と話しかけた。以前の時間ループでは、同じ部活動に所属する事はなかった元子役・芸能人のあや。あやとりおを交際させて大団円を迎えるためにインストールした鬼道を、今度はアンインストールする目的で、先輩・後輩の関係を上手く作り上げた。


あやが女子マネージャーになって2ヶ月の間、何かと声を掛けて思ったのは、あやが思ったよりずっと真っすぐな性分だなという事だ。もっと身勝手な性格の人物なのかと思っていた。過去の時間ループでは、何度やっても結局りおとの交際が上手く行かなかった。


「前田先輩はミスが無いです。サインも完璧に伝わっています」


時間の巻き戻しを繰り返しながら、何度も聴いた声だった。よしとは、笑って、


「動けているんじゃよかった。自分達では出来ているつもりでも、出来ていない時はあるから」


と言うと、自分の給水を持って、その場を離れて行った。


「いつでも言ってください」


あやは、よしとを信頼していた。あやは学校で一番容姿端麗だが、よしとは時間ループ現象を通じてもう何度も見た顔だから、要はあやにデレデレしないのだ。かといって全く不愛想だというわけでもない。


「第三試合もこのコートで行われるからね」


「石黒先生もありがとうございます」


顧問・石黒も、大人になった我が子のように接する。女子が男子の中に混じる事の大変さをおよそ理解して接している。


塩村は、


「試合中は離席出来ないから、休憩はとってね」


とわざわざ言いに来た。何かと手厚く接して貰えるあやだった。




長空北高校は第三試合も、ストレート勝ちだった。すこぶる順調に勝ち進む。


「今日は絶好調だな。前田がミスしない。まるで百戦錬磨だな」


顧問・石黒はよしとを褒め称えた。あやも、笑顔を見せて、よしとを労う。


よしとは、懸命に戦う自分達の姿を見て、何か感じ取るものがあれば良いと思った。いままでの時間ループで、あやに足りないものは何か、詳細には全く分からないが、やはり芸能活動で壁にぶち当たったとかそういう悩み事があるのだろうと見当はついていた。その辺りが、プロの小説家を今から目指すりおと、何かがすれ違うポイントなのかもしれないと、よしとなりに考えていた。今回の時間ループでは、りおには泉岳きらりがいる。しかし、あやが男子バレー部員達の姿を見て何かを閃いてくれたら嬉しかった。未完成な人物として、意識した女の子だから。


昼休憩を挟んで、第五試合が始まる。整列した選手達は緊張した面持ちだった。下馬評では同レベル校同士の一戦だろう。おそらくこの相手校と3回戦で当たることは、5月下旬に組み合わせが発表された際、予想していた。


あやは、試合前の男子部員達を見て、たとえば塩村に抱く感情にも変化が生まれていた。勝って欲しい。長空北高校男子バレー部に所属しているから、チームに勝って欲しいというのは当たり前だ。ただ報われて欲しいと思うのだった。


試合は終始、長空北高校の優勢で進んだ。サービスの強い選手が少ない事がチームの課題だったが、サーブレシーブは対外試合を繰り返して鍛えて来た。


そのうえで公式戦は練習試合とはまるで違う。選手たちの気迫が、ベンチにいて怖いくらいに、伝わってくる。この真剣勝負の空気を、フェアプレイの精神と共に生み出す。そして、チームは誰一人として自分自身に冷めていない。自分がどれほどの才能で、どれくらいの実力か、限界云々、どこかに置き去りにしてきたかのように戦う。これが当たり前の事だと、選手たちの背中に書いてある。


彼らの真剣な姿に、あやは、いつの間にか心が引かれていた。


「私も、何かを成し遂げたい」


そんな気持ちが、彼らと同じ舞台で戦いたいという願望を強くしていく。




選手達もサーブを打つ瞬間、心臓が高鳴る。失敗したらどうしようという不安を振り払い、ただ前を見つめる。勝利のために、一球一球に全てをかける。




心が、決めた世界で暮らしている。これも、前回の時間ループでりおがあやに説いた一元論的な考え方だ。全力で戦うという事に没頭する心が決めた世界で、見るもの、感じるものがある。それらはすべて心が決めた世界の産物だ。あやは、時間ループに際して記憶を引き継ぐ事ができないから、りおから教えて貰った事は忘れている。それでも聞けば共感する考え方は、またきっかけがあれば知り、胸を打つ。いま選手たちは、自分自身の心が決めた世界で存分に戦っている。日頃は己の限界を知るとの訓示がある部活動だが。


あやも、同じ心で、同じ世界にいられたら良いなと思ったのだ。たとえば塩村と、たとえばよしとと、同じ心でバレーボールに、マネージャーとして没頭出来たら良いと思った。勝利とは、そのうえで世界の外側から与えられる評価であり、認められた証拠の価値だ。敗北とは真逆の肯定。報われて欲しいとは、勝利という肯定を与えて欲しいと願う気持ちだ。特に塩村は何かと3回戦というレベルを基準にしていた。塩村が自分で引いた限界が3回戦なら、そこから上へ行ければ、本当の限界に接近した事にもなる。


試合は長空北高校のストレート勝ちだった。3戦連続でストレート勝ち。


相手チームの3年生は、試合後の挨拶で、よしとに、


「君は、何試合戦ったんだ?」


と言った。


よしとは、


「沢山戦いました」


と濁して言った。失礼の無いように、自分自身を貶めないように。




何度も同じ試合を経験したかのような感覚。ミスを恐れる気持ちが、過去の時間ループで起きた失敗の記憶を蘇らせることもある。その時の失敗を教訓に、もっと強く、もっと賢く戦う。




相手の3年生は、まるで百戦錬磨だと言おうかと思ったのだ。動きが機敏でミスが無く、読みもよく働いていた。長空北高校男子バレー部は、強くなっていた。


二日目に進出した長空北高校だった。


「勝ちましたね!もっと勝ちましょう!」


あやは、手を叩いて喜んでいた。選手一人ひとりに、笑顔で。試合中は侍のようだった選手達も、照れくさそうに笑い返した。


あやは、実感していた。特段の才能の無い者達の通常の人生をなんとなく知ったのだ。長空北高校の男子バレー部員で、大学以降でも選手を続ける者は少ない。それはあらゆる部活動に言える事だが、その一方で彼らは遊んでいるわけではない。それはプロの役者だった、元子役・芸能人のあやから見て、恐縮するくらいの真剣勝負だった。あやは、多くの者が黒いスーツに身を包んで大人になるとして、それまでの間に養っておく精神を養う時期に、かと言って凡人とも言い切れない長空北高校の生徒達と共に過ごすのだ。




男子バレー部も女子サッカー部も真剣勝負の中で精神を練磨している。 

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