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第44話「対T.M.R学園 後編」

試合は後半戦が始まった。T.M.R学園のキックオフ。ボランチの本田がボールをキープし、司令塔・有村ら攻撃の選手が敵陣に侵入する。長空北高校は、稲本が本田にプレッシャーをかける。蛇島も、前半同様に有村をマンツーマンディフェンスで潰す。


本田はセンターバック・鳩山にバックパスして、時間を使いながら攻撃する。こうしている間に有村が蛇島を振り切れば自然とチャンスが生まれる。本田は、稲本が高校から始めたばかりの初心者である事を改めて感じていた。頻りに味方の位置を確認するし、自分の定位置を何度も視認する。


後半3分。長空北高校の守備が高めなのを見て、パスを受けた本田は、稲本と一対一になる。稲本はボールを奪いに行くがあっさり失敗する。稲本を抜き去った本田は、ハーフラインを少し越えた位置からループシュートを放つ。ボールは枠の最上段へ飛んでいくが、長空北高校はゴールキーパー・蠍屋が懸命に下がりながら食らいついて間一髪キャッチ。


「油断した!」


奇襲にめげず蠍屋は、脚力を活かして敵陣の中ほどまでボールを蹴り返した。ボールは長空北高校のインサイドハーフがトラップし、縦パスで一気に背番号10のきらりへ。


「これで決める」


ハーフタイムで話し合った通り、中央に星雲、ファーサイドに部長・小関が走り込む。泉岳きらりはニアサイドを得意のドリブル突破で前進する。T.M.R学園のサイドバックは下がりながらディフェンスする。このまま競り合ってゴールラインを割るという判断。しかしゴールラインギリギリの角度のない所から、きらりからファーサイドの部長・小関にパス。空中で部長・小関の頭にジャストミートしたボールがT.M.R学園のゴールネットを揺らした。


1-0で長空北高校が先取点を奪った。


「何度も練習した動きだ」


数少ないチャンスをモノにした。湧き上がるスタンドの長空北高校の生徒達。地鳴りのように喝采し、写真部・笘篠のシャッター音も鳴りやまない。


「ドンマイ」


そんな声が聴こえるピッチ上のT.M.R学園。本田は、蠍屋が予想外だった。そもそもループシュートが決まると思っていた。加えて男子顔負けの脚力で敵陣まで蹴り返して一気にチャンスを作った。


「ここで小関は意外」


部長・小関は笑みが零れたのだった。きらりと笑い合う表情に緊張感も無い。


小関は、


「勝つぞ」


と言うと、自陣の定位置に戻って行った。戻りながら、長空北高校の応援席を眺めた。応援席を眺めるのは、今日初めてかもしれない。


「70分集中な」


そう言ってまた憮然とした顔に戻るのだった。


試合はT.M.R学園のキックオフで再開する。後半の残り時間がほとんど残っている。先制した長空北高校は、稲本だけでは心許ないと見てフォワードの星雲も本田対策に動員する。星雲は、攻撃の選手としては、T.M.R学園の鳩山とボランチの村雨の二人がかりで良い所が無い。


「守って勝つつもりだな」


有村が駄目なら本田、本田が駄目なら村雨。星雲対策だった村雨が攻撃の起点として、当初の作戦通り遅攻をする。村雨はボールキープが上手く、味方を上手く使って長空北の守備を搔き乱していく。長空北は守備の組織力で劣る。


村雨は根気よく時間を使う。スピードで星雲、高さで稲本、T.M.R学園は本田が空かないが根気よく好機を待つ。


後半20分。村雨は敵陣をドリブルで本田に接近すると、短いパスを本田に出す。本田が村雨に戻すと見せかけてスペースに出すと、ここまで良い所の無かった司令塔・有村がスペースに飛び込む。駆けつける蛇島を交わして、オーバーラップの村雨にパスが通る。


「美味しくなってきたぜ!」


村雨がシュートを放つと、蠍屋がファインセーブで前に弾く。長空北のディフェンスが敵陣に蹴り返そうとするが、これが甘く、中央のこぼれ球になった。そこへ走り込んだのは、T.M.R学園の鳩山。ミドルレンジで空いたシュートコースを狙いすました。


「狭い世界にゴールしかいない!」


完璧なフォームで振り抜かれた一撃で弾丸のようなボールが長空北高校のゴールネットを揺らした。蠍屋はジャンプ一番が間に合わず。間に何人選手がいようとシュートコースが空けばそこに叩き込むだけ。


1-1の同点。


今度はT.M.R学園の応援席が沸き上がった。一喜一憂する長空北高校の応援席。母校の応援も白熱した試合に興奮する者もいて大盛りあがりだ。写真部の笘篠は勝ち抜き決定戦に相応しいと大量のシャッターを切る。


気持ちを切り替えたい長空北高校は部長・小関が、まだ同点だと味方を鼓舞する。


蛇島が、


「有村のレベルの選手になると完璧に封じるのが難しい」


と弱音を吐露する。実際は村雨のレベルの選手が自由過ぎるのが痛い。守備の組織力という課題が時間と共に明白になる。


ファールをして止めるのは最悪だ。有村の直接フリーキックが火を噴くに違いない。


緊張感の高い中で焦りも見える時間帯に突入する。


そして次のチャンスを引いたのはT.M.R学園だった。


後半32分。長空北のディフェンスがファール。T.M.R学園はゴールを狙える位置で直接フリーキック。蹴るのは有村。まるでPKのような緊張感で、前評判通りならドライブシュートが飛んでくる。分かっていてやられるわけにはいかない。有村のドライブシュートは壁の頭上を越えてから急落し、ゴール前でワンバウンドするから、蠍屋は前に飛び出してキャッチすべきか、であれば少し前で構えるべきだろうか。


有村は、ボールの側面をこするように蹴り上げ、ボールの回転は縦回転ではなくジャイロ回転がかかる。蹴る瞬間で判断できなかった蠍屋は落ちてこないボールに翻弄され、最後は横っ飛びも虚しく、両手の間をジャイロボールがすり抜けて行った。


見事なジャイロシュートだった。


1-2。T.M.R学園の勝ち越し。その後、長空北高校は守備が崩れ、有村を起点とする攻撃で本田に3点目を叩きこまれて終わった。


試合結果は1-3。強豪校相手に善戦したと言うにはあまりにも悔しい敗戦だ。長空北高校のメンバーは悔しさを露わにした。泣いてはいけないと自分に言い聞かせるほどだ。


皇后杯は一般のクラブチームやプロも出場するから、皇后杯東京予選高校ラウンドとは高校生の彼女達にとって長い旅路。勝ち抜き決定戦も一里塚かもしれないが、それは観ている側の発想だ。力のある者も、力なき者も、懸命に戦って、何かに平等なものがやってくる。


きらりは、試合終了の笛を聴いたとき、かつてない程の重力で頭が下がった。上を向きたくない事は何度かあったが、今ほどではない。長空北高校は低い位置からビルドアップできない。その弱点があるうちは強豪校には勝てないのか。


同学年のメンバーがやって来て、


「悔しいな。でもここまで来た。もっと強くなろう」


と言った。悔しさが顔に滲んでいたものの、勝ち抜き決定戦まで上り詰めた事自体が喜ばしかった。そういう者もいる。


「勝てるくらい強くなるのか」


きらりは、ワンマンチームだった頃、いつかチームメイトに思った事を思い出して、下から強い表情で言った。


「ああ。一番楽しい試合だった」


この部員は北浜という。前回の時間ループできらりと一悶着あった2年生だ。どこか呑気な性格だが、きらりを尊敬していた。速やかに立ち上がれる者ほど精神的に優秀だ、どのスポーツでも変わらない。


「鍛えてやるからな」


きらりは、泣きたい気持ちが、頭の裏側に空いている穴から出て行くのを感じた。


星雲と稲本は悔しさで歯を食いしばっていた。蛇島と蠍屋は泣いた。


「出れると良いな、皇后杯」


部長・小関はT.M.R学園の3年生達と握手をしていた。同学年で、やはりここまでやって来た労いの気持ちが勝るのだろうか。それとも悔しさを紛らわせているのか。




長空北高校の応援席。スタンドでは残念そうにする生徒達と、女子サッカー部の健闘を称える生徒達が試合の余韻に浸っていた。


写真部の笘篠は、


「写真家として、何度も敗退の瞬間に立ち会って来たけれど、これほど次が楽しみな試合はありませんね」


とリポーターのような事を言っていた。


「あんなに頑張ったのに」


きらりが小さく見えるスタンドで、神楽りおは一筋の涙が頬をつたっていた。不意に零れ落ちた一つの雫が、自分自身も気が付かず平然しながら、左目を縦に流れていた。


「私が勇気づけなきゃいけないな。私の事を『俺の妹』とかふざけるんだもの」


横山みずきは、


「りお。選手の通用口で待っていよう」


と言う。りおは、


「そうする。今日は現地解散だから」


と言うと、やっと気がついたのか、左目の涙を拭った。三栖じゅえりは、そんなに好きになる人がいるのかと、きらりへの認識を改めざるを得なかった。


りおは、選手の通用口で待ち構えて、きらりが出てくると大声で呼んだ。きらりは目を丸くして驚くと、微笑んで、走り寄ってきた。


ジャージ姿のきらりは、


「また負けちったな」


と言う。


りおは、


「観てたよ」


と言って、1アシストのシーンの蹴り方を真似して笑った。りおは、きらりと同じ苦労も目標も無い。その事で生まれる空間を埋め合わせるように優しさを分け合う。きらりは、りおが、あの日、あの時のりおと急速に束になるのを感じた。


「そうやって笑うよな」


弛緩した空気を女子サッカー部に持ち込むのは嫌だったが、今日くらい良いかと思った。前回の時間ループで女子サッカー部を退部した日もこんな笑いだったが、時折見せるりおの茶化したような仕草が、きらりは好きだ。


「きらり。二人で帰ろう」


女子サッカー部が解散した後、きらりは、りおと二人で帰った。笘篠達とは競技場の最寄り駅まで一緒だった。長空駅までの列車の中で、疲れ切ったきらりの横顔が、りおの肩に寄りかかる。りおがサッカーの話をしようとすると、きらりは「疲れた」と言わんばかりに、そっぽを向く。


りおは、鼻でため息をつくと、


「教えて欲しい」


と言って、前回の時間ループでは何が起きていたのか聞いた。りおは、きらりの知っていることを聴く決意を固めていた。前回の時間ループで何が起きていたのか、教えて貰いたい。きらりが言いたくないと言ったらそれまでだが、自分の身に起きた事の顛末として、身に覚えがなくても知っておきたいと思った。




きらりは次のように説明した。


りおが女性同性愛者である事を知って、修学旅行の日にからかったら、それが発端となって一緒に勉強したり、星を見たり、初詣に行ったりする関係になったんだ。私は前田に相談して記憶を引き継ぐ呪文を唱えて貰っていたんだ。その後で偶然、りおが車に跳ねられてしまった。前田が言うには、りおは便利な魔法だと思って、受験勉強が辛くなると自分から跳ねられた事が何度もあったらしいが、その辺りは私は知らない。




きらりは、少し嘘を混ぜて、恋人だった浦川辺あやの事を隠した。自分(きらり)は、りおにとって数ある出会いの一つだと、どこかで割り切った考え方をしていても、たとえば今日、きらりにとって存在した妹(りお)は、誰にも渡したくないと思えた。前回の時間ループで、情念で充満した心でりおを受け止めるなと、あやに言われた。


人間の根源は、花が美しいと思える澄み切った心だと、あやは信じていた。必ずしも澄み切っていない心を、なんとかして浄化して、澄み切った心が出す答えに従うべきだと思っていた。澄み切った心で唯一求める者と愛し愛されるべきだと言う。それが自分(あや)とりおだと言った。


「そうだったんだ。私の事を知って、からかったのが始まりなんだ」


しかし、きらりはその考え方に全く同意できない。互いの気持ちが寄り添って絆になっていくことで開ける道がある。その先にある数あるものの中で選んだものを大切にすれば良い。別々の道を歩んでも、折に触れて絆が浮かび上がるのはそれ以上でも以下でもない。本当は何万光年も離れた星と星とが地球の夜空で近くを輝いて見えれば、結ばれて星座と呼ばれる。交際も、そのような感覚の関係性だろう。あやは役者の世界があるかもしれないし、りおは小説の世界があるかもしれない、そのような二人で全く問題ないし、そのうえでりおはきちんと選ぶべきなのだ。


きらりは、やはり、あやにりおを渡す義理だけは無いと思える。言いたい事はわからなくもないが、りおは誰のものでもない。その辺りのバランス感覚が「私は姉だ。どうだろうか?」という言葉になるのである。


「きらりの事、好きだよ」


りおは、相変わらず、これから自分達が過ごす時間が楽しみだった。きらりは、もしもあやが再度そこまで言うのであれば、もう一回ゼロから始めろと思うのだった。


「もう時間が巻き戻りませんように」


今度は、りおの顔がきらりの顔に寄り添う。もしもりおがずっと一緒にいたいと願ったとして、きらりは自分の将来のどこからどこまでをりおに分け与えるつもりなのだろうか。りおは、女性同性愛者として生きていく自信が、決心に変わりゆく過程で、きらりと、前田よしとの二人に心を支えられている。




女子サッカー部の大会は、これで一区切りだが、よしとが率いる男子バレー部のインターハイ予選は来週だ。 

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