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第42話「対T.M.R学園 前編」

2022年5月下旬。この日も女子サッカー部が終わると、泉岳きらりは神楽りおの待つ文化部室棟、文芸部の部室へ足を運んだ。りおは書いている小説のプロットを、きらりに読んでもらった。


「こうやって話の設計図を前もって書くんだな」


きらりは、話の流れやオチを確認し、出来上がったら読んでみたいと言う。小説のプロットは、交通事故で記憶を失った女の子が実兄を恋人と間違えるストーリーだ。結末は兄が紹介してくれた男性と交際を始めるというものだったが、りお自身、いささか展開が普通過ぎる気がしていた。きらりは、昔親に連れられて行った映画館で、何の捻りもないストーリーの映画をみた事を伝え、何の捻りもない話を書き切るのも訓練になるだろうとアドバイスをした。


「途中の原稿もあるから読んで」


きらりは毎日部活を終えると一緒に帰るために部室にやって来る。りおには平穏な日常そのものとなっていた。以前の時間ループで何が起きていたか、正味10ヶ月分のストーリーを、まだ正確に聴けていない。りおときらりが少しの間付き合っていた事、前田よしとの鬼道という呪術で時間の巻き戻しが起きる事、鬼道の発動条件の一つがりおの『身体に大きな怪我や損傷を伴う出来事が起きたとき』である事、この三つだけ教えてもらった。自分の知らない過去、前回以前の時間ループで起きていた事は詳細に聴いていない。


りおは、きらりを交際相手として信頼すれば信頼するほど、きらりから得られる情報も真実だと信じるられるわけだから、まだ聞けていない事もいずれは教えてもらいたいと思うだろう。ただ、知ってはいけない事も多々ある気はするのだ。教えて貰った事も身に覚えが無いわけだし、貴方(りお)はそのような顛末になる人物なのですと言われるのも些か嫌なものだ。


「6月の試合も観に来て欲しい」


「もちろん行くよ。きらりに勝って欲しい」


試合は応援団や、応援団のPRで集まった長空北高校の生徒、写真部の笘篠も来るだろうし、また楽しく観戦できる。




6月の試合も長空北高校女子サッカー部は順調に勝ち進んだ。皇后杯東京予選高校ラウンドは鍋柴学園に三回戦で勝利してから、さらに3連勝をして勝ち進んだ。


鍋柴学園戦で活躍した星雲やきらりだけでなく、蠍屋のファインセーブ、蛇島のマンツーマンディフェンスも光っていた。さらに身長181cmで高校からサッカーをはじめた稲本も徐々に上達し、ボランチの位置から中央をオーバーラップして得点を入れた試合もあった。相手ディフェンダーを引きずりながらドリブルする様子など圧巻だった。組織力というよりは、むしろ個の力の結集で勝っている。一部有能な選手がいるから強いチームかもしれない。それでも快進撃でメンバーの心は一つだった。


次の対T.M.R学園戦で勝てば皇后杯東京予選高校ラウンドの勝ち抜きが決まる。インターハイ予選敗退校で2つのブロックのトーナメントが組まれ、勝ち抜き校は計2校。高校ラウンドを勝ち抜けば、次は一般ラウンドを勝ち抜いた大学生チームや一般のクラブチームを相手に決勝ラウンドを戦う。さらにそれを勝ち抜けば秋に行われる皇后杯に高校生チームだてらに出場する事になる。


T.M.R学園は、インターハイ予選準優勝校だ。優勝した文武創造学園と違い入部テストは無いが、女子サッカーの推薦入学のある強豪校だ。ちなみに文武創造学園とは、蛇島が中3の時に不合格になった強豪校だ。T.M.R学園も勝ち抜きの最終戦に相応しい東京の強豪校に違いない。




時は2年と少し遡る。


2020年春。T.M.R学園に期待のボランチとして入学した本田りみは、学校でも有名な新入生だった。背が高く、顔立ちが男前で女子にモテた。あまりにも男前なので彼氏ではなく彼女を作るのだろうと噂になった。髪型はショートウルフの黒髪。肌も黒かった。


「女子サッカー部の本田です。監督的にもオールオッケーなサッカー選手になります」


そう言って入部した期待の新人らしく練習試合でも活躍した。同学年に推薦入学した者は他にも2名いて、センターバックの鳩山まどか、ボランチの村雨きりこという名だった。目標は宿敵・文武創造学園を破ってインターハイ出場を成し遂げる、ゆくゆくは全国制覇。


そんな4月のある日だった。


「本田さん。女子サッカー部って今からでも入れるの?」


本田と同じクラスの有村びれおという女子生徒だった。美術部に入ろうとしていたが、女子サッカー部と悩んでいた。


「誰?」


「有村です。美術部と悩んでいて」


「サッカーやってたの?ウチ厳しいよ?」


「サッカーは小6までやらされてました。中学は美術部だったんだけど」


有村は、本田の顔をジッと見ると、照れくさそうにして言った。


「またやってみたいってダメかな?」


有村は、本田の長身と四肢を気に入っていた。最初は美術部員としてモデルになってもらおうかと思っていたが一緒にサッカーをしたくなった。恐らく練習についていく事からして難しいのではないかと思われるが。


本田は少し考えてから、


「可愛いからオッケー!」


と言った。そして監督に説明して、有村を入部させた。


「有村なりにしなやかなスタイルです!」


しかし有村はアップのランニングから大きく遅れをとった。一応小6までやっていたので全くできないわけではないが、パス練習やミニゲームで組まされた上級生達は不満そうにしていた。その怪訝そうな空気にもめげずに練習に励んだ。憧れた本田から不思議な一目を置かれていて。


「なんでこんな出来ない奴を入部させたんだ?」


そのように率直に言われる日もあった。雑用も率先して行い、輪も乱さず、少しでも信頼に繋がるようにと言動にも細心の注意を払った。


その年の5月。インターハイ予選で決勝で敗退したT.M.R学園で事件が起きた。敗退の苛立ちを隠せない3年生の部員らが有村を退部させろと騒動を起こしたのだった。


「目障りなんだよ。あんな出来ない奴がサッカー選手みたいにしていて」


有村は懸命に信頼されようと努めていたが、その古臭い態度が仇となったのだった。実力も無いのに選手ぶって輪に入ろうとする様子をかえって忌み嫌われてしまった。


「有村なりに確信犯のスタイルなんです!」


本田が懸命に3年生の部員らをなだめたが、一部不可解な発言もあり監督は首を捻ったまま答えを出せずにいた。このまま有村を退部させてチームが本当にまとまるだろうか、皇后杯東京予選高校ラウンドが残っている。その一方で有村自身の高校生活もかかっている。


すると鳩山が、


「直接フリーキックコンテストをやりましょう」


と言い出した。有村が5本中1本でも直接フリーキックを決めたら「持っている」という事でこのまま成長を見守る。


村雨は、


「3年生からも1名出場してください」


と言う。3年生がコンテストに合格して、有村が不合格だったら退部になる。両者不合格のドローは見逃してもらいたい。


有村は1年生の間では幾ばくか人望を勝ち取っていた。今は味噌っかすかもしれないが、練習には真剣に参加していた。4月は、1年生部員同士で甲乙つけがたい実力で、互いに牽制し合っていた。その頃、自主練も含め黙々と取り組んでいる姿を知らない者ばかりではない。あれだけ不遇を囲ってもひたむきだった。それが上級生には仇となったようだが。


監督は、


「それにしよう」


と言った。有村も、存在がチームの不協和音になるのであれば実力を示すしかない。3年生の代表者はエースストライカーが抜擢された。強豪校のエースである。その際守備は1年生、ゴールキーパーも1年生だ。もちろん有村の選手生命を賭けて全力で守る。有村が蹴る際、守備は3年生、ゴールキーパーは正ゴールキーパーだ。


恐らく有村が退部して終わるだろう。敗色濃厚な直接フリーキックコンテスト。ボールはゴールから30メートル離れた地点に置かれた。壁を越えてまず枠内を狙えるのかという距離である。


これを3年生の代表者は初っ端の1本目で枠内に決めた。唖然とする1年生部員達を他所に、当然の結果という顔をする3年生のエースストライカーだった。


その後、有村は懸命に蹴るが、枠内に飛んでいくこと自体難しい様子だった。


4本目までを外した有村に、本田を歩み寄って助言をした。


「サッカー選手として最後のシュートになるとしたら、次で到達点に行かないと」


本田の言う事は時折何かが不可解だ、しかし本田なりに考える事があり、精一杯助言をしている。有村は「悔いのないように」という意味かと思った。もとはと言えば本田に憧れて入部した女子サッカー部だ。こんなに早く追い出されるような目に遭って、寂しい気持ちもあった。次の一撃がサッカー選手としての到達点だというのは分かる気がした。


有村は、ボールを足の甲で、下から上にこすり上げるように蹴った。足首を返さず、掬い上げるような蹴り方になった。蹴る瞬間の距離が微妙に合わず、重心をやや後ろに残したまま偶然そのような蹴り足になった。


その偶然でボールには縦の回転が大きくかかったのだった。ボールは壁役の3年生の頭上を越えた後に大きく縦方向に落ち、ゴール前でワンバウンドして枠内に決まった。正ゴールキーパーはゴール前のワンバウンドの処理に対応できなかった。


奇跡の一撃で有村は退部を免れたのだった。


憮然とする3年生達を監督が諫めて、事態は収拾した。有村のドライブシュートが目に焼き付いたのは1年生達の方だった。


鳩山は、


「有村をもっと鍛えてやろう。そもそもちゃんとチームメイトとして扱っていたかも非常に曖昧で」


と言う。代替わりすれば、いずれは今の1年生が中心のチームになるのだから、その時を意識していなければ。有村は自主練や雑用に励む一方でチーム構想の頭数に入っていないと言えば、今回の事件の原因かもしれない。


村雨は、


「美味しくなってきたな。私達試合に出れるんじゃないか」


と言う。確かに下剋上の機運は異様に高まった出来事だった。


それから来る日も来る日も1年生達で有村を鍛えた。有村を鍛えるという所業を通じて1年生部員達は結束が生まれ、チームの輪が出来上がっていった。やがて、本田、鳩山、村雨がいち早くスタメン起用されるようになり、その年の皇后杯東京予選高校ラウンドは勝ち抜きが決まった。


翌年もインターハイ予選こそ宿敵・文武創造学園に敗れるものの、東京都の強豪校としての地位を守り続けていた。有村は2年生の11月の新人戦大会からスタメン起用され背番号は10だった。有村自身、必死で自分を苛め抜いて掴んだ背番号10、役割は攻撃の起点、司令塔である。あの日見せた幻のドライブシュートを寸分狂わず決めるようになった。




時が流れ、2022年6月4日。


インターハイ予選で3年連続の決勝も、文武創造学園に惜敗したT.M.R学園女子サッカー部は、不思議と心穏やかだった。インターハイにはもちろん出場したかった。しかしあの日の有村が成長し、司令塔を務め、懸命に戦ったうえでの結果だ。むしろ勝った文武創造学園を讃えたかった。


この日は土曜日で部活も休養日だった。本田は、原宿駅にいた。


「りみ。お待たせ」


待ち合わせ場所にやって来た、有村は白いシャツに身を包んで、嬉しそうに本田の肩を撫でる。


「有村は大学でもサッカーをやるんだろうけれど、その前に受験、その前に皇后杯東京予選高校ラウンドだな」


「りみは3年連続出場だね」


「大学では彼氏作れよ。私の事をボーイフレンドに見立てて喜んでばかりいるな」


有村は、嬉しそうに本田の腕に寄り添って、片時も離れなかった。今年3年生の有村の高校生活とは、本田と過ごした時間そのものだ。原宿の街を本田と歩く。遠目にはカップルに見えるだろうか。女の子同士が恋人のように見えるだろうか。


「有村はホンモノだよ」


本田はそう言うとまんざらでもない顔で、有村を見る。やがてフッと上を向いて天を仰ぐのだった。


「到達点はどこだろうな」


サッカーを続けて来て、出会った魂の多い事。その中で一際大切な出会いになった、有村。それはそれとして、到達点とはどこにあるのか。


有村は、


「ホンモノってどういう意味なの?」


と言う。


本田は、


「宝物」


と言って、有村の肩を抱いた。自分を慕い、今では肩を並べる者がどれほど心強いか、それこそ有村に教えてあげたいのだ。二人は、来週の一戦を迎える。戦いの相手は、きらり達の長空北高校だ。


「長空北はもう泉岳のワンマンチームじゃない」


急に真剣な顔になった本田は、前を向いて、あえて有村に横顔を見せる。有村も、あの時憧れた本田の横顔が、今は隣にいる。全力で戦うのは言うまでも無いことだ。

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