2022年4月24日日曜日。昨日行われたインターハイ予選(東京都)で、女子サッカー部は健闘したものの結果は3回戦敗退だった。部長・小関や泉岳きらりが果敢に攻め込んだものの、シード校相手に歯が立たなかった。選手登録の関係で1年生部員は出場しておらず、2年生と3年生でチーム編成をして挑んだのだった。
この日は女子サッカー部にとって久しぶりの休養日だ。しかし、きらりは、自分が勧誘した1年生の有望株4人を連れてフットサルプラザ長空という、無料開放のフットサルコートに集まっていた。
きらりは、
「お前ら試合に出たくて仕方がなかっただろ」
と言う。
身長181cmで高校からサッカー部の稲本は、
「私まで誘ってくれてありがとうございます」
と言う。
きらりは、
「今日は遊び半分。息抜き半分だ」
と言った。そして、
「『俺の』妹が来るから」
と言う。
神楽りおは、昨晩急遽メッセージで呼び出されていた。集合時刻の5分前に、やって来たりおは、着替えと飲料水の入ったリュックを背負っていた。
「私もたまにはスポーツしたいから丁度いいな」
「そうだろ。楽しいぞ。私の昔のシューズがあるから、それを履いて。サイズは同じくらいだから」
星雲は、
「泉岳先輩!俺の妹ってどういう事ですか?」
と言って笑った。
きらりは、
「りおは、大切な『俺の』妹」
と言って、星雲を更に笑わせた。
りおは、
「はじめまして。私の名前は神楽りお」
と言う。
1年生達も、簡単に自己紹介をした。
きらりは、蛇島に、
「りおは、見ての通り素人だから」
と言う。
蛇島は、
「わかりました。少し早いけれど更衣室に行きませんか」
と言って、心なしか嬉しそうだった。
蠍屋も、嬉しそうに、
「わくわくするなぁ」
と言う。
フットサルコートでは、集まった人達で試合をしたり、チームを組んだり様々だ。
「17:00から20:00まで無料開放だから。りおが疲れたら帰ろうな」
フットサルはキーパーを含めて5人。試合は、6人で1人交代枠にしながら行った。
蛇島は、
「女子中学生のチームが試合やりたいそうです」
と、きらりに言う。
きらりは、
「いいぜ。みんなでやろう」
と言った。
試合が始まると、時折笑顔を見せながら、フットサルを楽しんだ。りおは、試合では懸命にボールを追いかけたり、パスを出したりした。
きらりは、
「稲本は、練習で覚えた動きを試してみろ」
と言い、
「皆もなるべく稲本にパス出して」
と言って、稲本を鍛えようとする。
稲本は、時間が経つにつれて相手の中学生を倒す場面が増えて来た。
きらりは、
「課題だな。稲本はファールしないように競り合う練習しないと試合で使えない」
と言う。
稲本は、
「試合に出られるんですか?」
と言う。
きらりは、
「何言ってるんだ。お前は主力だ。そうでなくても29日から5日までの練習試合は10試合もあるんだから。ファールしないように特訓だな」
と言った。
蠍屋は、
「反則を恐れないうちに、反則しないようになろう」
と言う。
星雲は、
「球際で何が反則か身体で覚えさせよう!」
と言った。
女子中学生との試合が終わると、空いているコートの隅を利用して、稲本を中心にデュエルの特訓をした。稲本が星雲やきらりを倒すたびに、蠍屋がルールブックになって、ファールかノーファールか教えた。りおは、その様子を見守っていた。
蛇島は、
「ボールの進路に足を置く動きが基本だね」
と言う。
星雲は、
「相手の身体を立体でイメージしながら、ボールの位置を把握するんだよ!」
と言う。
稲本は、
「ありがとう」
と頻りにお礼を言っていた。
りおが、
「加速したまま、相手のボールを奪うのがよくないんじゃないの?」
と言った。
星雲は、
「それは稲本の自由ですね」
と言って笑った。
きらりも同じ意見だった。
蠍屋は、
「倒す、イコール、ファールではないですからね」
と強気だった。
夜。フットサルプラザ長空を後にした6人は歩いて最寄り駅へ向かった。
きらりは、
「りお、楽しかったか?稲本はウチの秘密兵器だからな」
と言う。
りおは、
「今日は仲間に入れて楽しかった」
と言った。
蠍屋が、
「ゴールデンウイークは練習試合ばかりですか?」
と聞くと、きらりは、
「そうだ。蠍屋は正ゴールキーパーの座を狙っていけ。星雲と蛇島はスタメン当確。稲本はまだわからないな」
と答えた。
稲本は、
「期待されてるんですね」
と言う。
電車の中で1年生四人が談笑し合う。
きらりは、
「りおの誕生日、何か出来ないかなって」
と言った。
りおは、
「連休中は文芸部の共同制作で学校にいるから。一緒に帰ろう。また星の見える丘に行こう」
と言う。
「星が見たいのか?」
「きらりが見せてくれたんじゃない」
「そっか。星が見える丘が気に入ったのか」
「なんで自分から見せておいて。大切じゃないの?」
「大切だぞ。あの丘は想い出の場所」
蛇島が、きらりに、
「今の正ゴールキーパーより蠍屋のほうが出来ますよね?」
と言った。
きらりは、前回の時間ループの事が思い出されて、
「今の正ゴールキーパーは3年生だからな。すぐ押しのけてスタメンは、難しいかもしれない。ウチの顧問は監督だけど、学校の部活動という考え方が徹底しているからな」
と言った。
インハイ予選(東京大会)のトーナメント敗退校は、皇后杯東京予選高校ラウンドに出場する。皇后杯東京都予選高校ラウンドは、インハイ予選(東京大会)を敗退したチームから順に試合が組まれる。2回戦は1回戦を勝ち上がったチームとインハイ予選2回戦敗退校が参加。2回戦を勝ち上がったチームとインハイ予選3回戦敗退の参加校により、再抽選。以降、同様に勝ち上がり校とインハイ予選敗退校で再度抽選をしていき、準々決勝の抽選時に決勝までの対戦が決まる。
長空北高校は、皇后杯東京予選高校ラウンドには3回戦(5月7日)から参加する。そのスタメンに、蛇島と星雲は当確だと言うのである。そして蠍屋は顧問の判断に依る所があると言うのだ。
蛇島が、
「だってさ。蠍屋」
と言う。
蠍屋は、
「基準があればいいんですけどね」
と意味深に言った。
星雲は、
「確かに基準があるといいな!」
と屈託なく言った。
きらりは、
「星雲は中学でどこまで上に行ったんだよ?」
と言う。
星雲は、
「全然!へっぽこです!」
と言う。
蛇島は、
「泉岳先輩。星雲は聞いても教えてくれないんです」
と言う。
きらりは、
「そっか。話したくなったらいつでも言えよ」
と言った。
連休中の練習試合は、強豪校が大会中だった事もあり、対戦校は高校生だけでなく大人から中学生まで、中には障碍者福祉団体など様々な対戦相手と計10試合を執り行った。
2022年5月5日の夜。4月29日からの日程で計10試合の練習試合を終えた長空北高校女子サッカー部は、これから、明後日の皇后杯東京都予選高校ラウンドの試合メンバーが発表される。
「参加申込みの締切日である4月中旬の段階で、参加登録選手26名に対して、当校の部員数は25名。全員ベンチ入りする。連休期間を含む練習試合10試合のスタッツは、主に先発選手11名と交代要員14名の峻別の参考にした」
長空北高校女子サッカー部の部員は、皇后杯予選で全員ベンチ入りする。
「先発選手11名をいま伝えておく。ゴールキーパーは蠍屋。練習試合10試合中5試合にフル出場してうち4試合無失点。選ばざるを得ない」
強豪の大会中、練習試合を組んでくれた対戦相手に対して鉄壁だった。
「ディフェンスに、…蛇島」
「ミットフィルダーに、…稲本」
「フォワードは、小関(部長)、泉岳、星雲」
「以上11名。フォーメーションは4-3-3で行く。オフザボールの上手い星雲がセンターフォワード。稲本はボランチ。蛇島は右サイドバック。他はインハイ予選と同じ。一つひとつの試合を丁寧に勝っていこう」
連戦で疲れ切った部員達が更衣室から出て家路についた後で、制服姿の泉岳きらりは、顧問に、
「蠍屋が正ゴールキーパーでいいんですか?」
と聞いた。
顧問は、あそこまで実力に差があったら学校教育としても選ばざるを得ないと言う。
「ところで泉岳は星雲が中学時代にどこまで上のステージでプレイしたか知っているか?」
と言う。
きらりは「へっぽこです」としか言わわない事を伝えると、顧問は、今しがた部室で一人で視聴していた練習試合の録画をきらりにも見せた。
「星雲の動きなんだが、相手ディフェンスの死角に入るのが異様に上手い」
キュイィ
「まずサイドラインをドリブルする泉岳の動きに合わせて相手ディフェンダーの死角をスプリントする。相手ディフェンダーを闇雲に下がらせて」
ピッ
「出来たスペースに入って、サイドラインにいる泉岳のパス&ムーブを助ける。この後コーナーキックになって1点に結びついているが、よく見るとゴール前でフリーになって待機している。ドリブル突破の好きな泉岳の良い相方だな」
と言って、喜んでいた。
時間の巻き戻しという超常現象の力を借りて、長空北高校女子サッカー部は見違えるように強化された。新人の個の力によって強くなったとはいえ、きらりにとって強いチームとは前回の時間ループでも切望していたものだ。ここから更にチームの団結が生まれれば、もっと強くなるかもしれない期待もある。
蛇島は、
「星雲はこんなに疲れてても走って帰るのか?」
と言う。
ジャージ姿の星雲は、
「そうだよ」
と、いつになく落ち着いた声で言った。
蛇島は、スタメンが決まって、気持ちが落ち着いたのかなと思い、
「泉岳先輩の左のボレーはいつ見ても綺麗だよね」
と言って、制服姿で左足を真似して見せた。
星雲は、
「レフティかと思った」
と言う。
蛇島は、
「両利きだよ」
と言う。
星雲は、
「蛇島も朝練しよう!」
と言って、走り去っていった。
りおは、文芸部の部室で、きらりからの連絡を待っていた。りおが、いま書いている小説のプロットは、交通事故で一切の記憶を失った女の子と、恋人と間違われる兄の恋愛小説だ。
きらりは、文芸部の部室に行くと、
「お疲れさん」
と言って、ショルダーバックをドサッと床に置いた。
りお以外は帰宅した文芸部の部室。
「汗臭いかな?」
「平気」
「臭いの?」
「平気だから」
「疲れた」
りおは、小説の続きを書く手を止めて、
「大会明後日でしょ。観に行っていい?」
と言う。
きらりは、少し考えて、
「妹連れはちょっとな」
と言う。女子サッカー部に弛緩した空気を率先して持ち込むのは良くないかなと思う。
「ダメなの?フットサルは一緒だったのに」
「あれは遊び半分の息抜き半分だったからな。あんまり部活の真剣勝負には連れていきたくないんだけど」
「行きたいな」
「それは、私がりおの書いた小説を読むのと同じ?」
「え?読んでくれるの?」
きらりは、りおの背中から軽く抱き着いて、
「読みたい。私は欲しいものが手に入った」
と言う。
「そうなの?」
「チームが強くて、嬉しい」
「私も、きらりが読んでくれるのは嬉しいよ」
りおは、自分の文筆家としての能力には少し自信が無かった。応募したいと思った小説のコンクールが毎年5月にあるものの、応募せずにいた。一つの長編を書き上げるのに大体半年か、それくらいの時間がかかる。
りおは、
「私は時間が巻き戻る以前にどうだったかを知らない。この前、練習している所を見たよ。カッコ良いなって思った。そんなことで、胸が小さく熱くなるのを、大切にしているから」
と言う。
りおときらりしかいない文芸部の部室で、二人の優しさが翼のような、一匹の竜が、空を飛び立つ時を待って伏しているかのようだ。
「きらりは、青い竜に乗った女の子」
りおは、嬉しい事も、楽しい事も突然やってくる感覚の中できらりに心を開く。
きらりは、
「大会を観に来い」
と言って笑った。
りおときらり、二人の女の子が仲良くじゃれ合う文芸部の部室は、前回の時間ループでは違う組み合わせの二人がそのようにしていた事を知っているのだろうか。文芸部の部室は、超越的な何かが暮らしていて、もしも感情があれば、りおを頑なに応援して止まないだろうか。