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第32話「前田よしとの過去⑤」

2023年1月17日。共通テストが終わった週明けの長空北高校は3年生が自宅学習期間に入っていた。私立大学を受験する3年生もいる。今日から3月の学年末テストまでの期間を自宅で受験勉強に専念できる。


2年生の前田よしとと神楽りおは、来年に共通テストを受験する。よしとはバレー部を全国大会に導きたくて、受験勉強にはまだ注力出来ていない。秋の大会は4回戦まで進出した。道は険しいが頑張り抜きたい。


「前田君。湯島天神にお参りに行く?」


「来年じゃなくて今年行くのか」


「行こうよ」


冬は2度目。高1の時は友達。高2の今は友達以上恋人未満。この季節の雑草は、よく見るとどの季節よりも力強い。やがて来る春を待って寒さを凌ぐような野心も垣間見れるのが冬の雑草ではないか。


週末によしとは、りおと一緒に湯島天神に行った。どこからどうみても恋人同士のような二人は、背の高いよしとがとても大人びて見えた。それは傍らにいるりおの存在感なのだろう、凛とした姿で時折よしとを頼るように側を離れない。


よしとは、


「俺も筑波大学にしようかな」


と言った。受験勉強そっちのけでバレーボールをしている自分が、成績優秀者と同じ志望校は面白いと思って。


「受かるよ。きっと」


りおは、意地悪そうに言った。本当は、女の子と付き合って、女性同性愛者として生きていきたい。それでも、社会が、たとえば同性婚を認めない日本が、催促するものとは異性愛者としての一歩だから。たとえば、よしとと友達以上で居続ける。


よしとは、高校卒業までに女性同性愛者として誰かと関係性を築けなかったら、自分と恋人になると言ったりおが、本当は凄く行き先に不安があるのだろうと思った。それでも自分に出来る事は、たとえばりおから行きたいと言って来た湯島天神のお参りを、またボディガードのような感覚で、考えられる限り優しくしていれば良いのだと思った。


よしとは女性を他に知らない。異性愛者が大半の現実世界で、好きになった女の子が女性同性愛者だった事で、心の距離に境界線があって、手に入る喜びもあの日好きになった時に思い描いた絵画とは少し違うかもしれない。


よしとは、


「りおに彼女が出来ますように」


と絵馬に書こうとして、思わず声に出して読み上げた。筆を取って、まだ書いていない。


その小さな呟きが、りおに聴こえた。


りおは驚いて、よしとの顔を見た。


よしとは、


「書くぞ」


と言ったが、りおの顔が拒んでいた。


りおが沈黙で、気持ちを伝えようとするのだった。


今はもう、よしとから、それは言わないで欲しかった。


よしとは、


「わかった。インターハイ出場&筑波大学合格」


と言って、その通りに書いた。


りおは、


「前田君が書いてくれたから」


と言って自分の絵馬を書かなかった。


よしとは、もしかしたら、りおなりに歩幅があるのかとも思った。もしかしたら、それは女子なら皆そうやって、男子と違う歩幅を訴えながら前に進むのではないかと思った。来年も、再来年も、何一つ疑う事を知らずに同じ関係のままいられれば良いのではないか。俺は強い、俺は出来ると思いながら。


よしとは、もはや自分から言ってはイケない言葉だと知った。


りおとよしとが長空駅に戻ると、二人はゴショガワラ交差点まで歩いた。ここから先の道が違う。冬は、二人を試して、また春を与える。


「来年も同じクラスになれるといいな」


残酷は人を踏みにじるためにこの世にあるかのようだ。


事故が、起きてしまった。


交差点に進入してきた大型車両がハンドル操作を誤って、車道の際で立っていたりおは跳ねられて、けたたましいブレーキ音と共に、よしとの目の前で、事故が起きてしまった。




「りお!」




そして数秒の間もなく、不覚という感情がよしとに襲い掛かるよりも早く鬼道が発動して、世界の時間が巻き戻ったのだった。よしとは、どんな冬でも越える意志があったのに。




2022年4月8日。りおが目を覚ますと、自宅・自室のベッドだった。りおは1階の洗面台で顔を洗い、歯を磨いた。肩に届かないショートヘアを櫛でとかし、大きな丸眼鏡をかけた。




「ゴショガワラ交差点で大型車両に跳ねられた?」




りおは、悪い夢でも見たのかなと思ったが、何故か、ゴショガワラ交差点で大型車両に跳ねられると時間が巻き戻るという謎の確信があった。まるで投げた物体が、しばらくして床や地面に落ちてくるような必然の感覚で、じゃあ時間が巻き戻る前は何が起きていたのかと言われても全く覚えていないが、とにかく自分がゴショガワラ交差点で大型車両に跳ねられると時間が巻き戻る、そんな魔法を手に入れたという謎の確信があった。もちろん鬼道としてそういう仕組みなのである。


「何か良くない事が起きて神様を頼ったんだ。ゴショガワラ交差点で大型車両に跳ねられると神様が願いを聞いてくれて時間が巻き戻るんだ」


りおは、ゴショガワラ交差点で大型車両に跳ねられた微かな記憶と、時間が巻き戻った既成事実への謎の確信で、そのような御伽噺(おとぎばなし)を肯定した。


りおが学校に行くと新学期の教室には、横山みずきと田原えみかがいた。


「りお!またよろしくな!」


「神楽さ~ん。同じクラスで本当によかった~。またテスト前に教えて欲しいな~」


本当は2回目の2年生の新学期を、みずきとえみか、他大勢の生徒達が迎えていた。


りおは、みずきとえみかに、


「昨晩、時間が巻き戻ったと思う?」


と聞いた。


みずきとえみかは、全く言っている意味が分からない様子だった。


「前田君は、昨晩に時間が巻き戻ったと思う?」


「神楽。その時間の巻き戻しについて大事な話がある」


「え、いいよ」


「放課後」


「えぇ~!放課後?」


よしとは、2022年4月8日以降の自分との関係性をさっぱり覚えていないりおに心が凹んだ。ただしそれ以前の事であれば正確に覚えていた。だから高1の頃に自分と交わした言葉のやり取りは覚えていて、友達という関係性は納得していたものの、友達以上恋人未満になった覚えは全く無いと言う。鬼道をインストールしたのは2022年7月だから、鬼道の事もすっかり忘れていて話が噛み合わない。自分の鬼道のせいだと示すことが出来なかった。


「前田君。鬼道って邪馬台国の呪術だよね。どうして前田君が会得しているの?」


「た、確かに前田君は友達だけど、時間が巻き戻ったせいで友達以上恋人未満になれてたのに私が思い出せないだけなんだよって言われても困るなぁ~!」


「でも時間が巻き戻ったのは本当なんだね。私がゴショガワラ交差点で大型車両に跳ねられると時間を巻き戻せるのは本当なんだ」


よしとは、時間が巻き戻る直前に見た事故現場の残酷な惨状に比べたら、いま元気なりおを見れるだけ幸せだと思えた。やはりあの時に鬼道をインストールして良かったと思えたのだった。


よしとは、


「わかった。神楽は頑張って彼女を作ろう」


と言った。


よしとは、りおが全く覚えていない事のショックが大きかった。共に過ごした時間が水泡に帰すと言っても物理的にこの世から消えるとは衝撃的だ。前回の時間ループのように、またやって来た春がりおの妖艶さを思い出させても、女性同性愛者のりおに二度も異性愛の道を強制する事は良心の呵責があった。自分のセクシャリティで恋愛が出来ない事は、好きな女の子と恋人になれない事とは根本的に違う。


りおは、


「そうだね。ありがとう」


と言った。


よしとは、もう時間を巻き戻すという暴挙を実現させたのだから、この際どんな手を使ってでも高1の夏の言霊通りに、生涯最愛の乙女をりおに巡り合わせる事の方の覚悟を固めたのだった。どんな冬でも越す覚悟があった自分を、ここで切り捨てた。 

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