2022年4月8日。前田よしとは、2年生に進級した。神楽りお、横山みずき、田原えみかとまた同じクラスだった。新1年生に元子役・芸能人の浦川辺あやが入学した。
「横山!神楽!田原も!また~よろしく!」
よしとは、昨年9月以来、りおの友達に徹して、ひたむきに男子バレー部の活動に尽力していた。
「前田君。また同じクラスだね」
りおは、半年以上の間、友達に徹したよしとの存在が有難かった。
春の陽気は人の心を高揚させる。
よしとは、またりおと同じクラスになれた事で、昨春出会った頃の感覚が、一度諦めた感情がまた湧いてきたのだった。春は、りおを綺麗に映す。心の隅に置いてあった諦めきれない思いがよしとを駆り立てた。よしとは、また積極的に話しかけたのだった。もしかしたら、りおが心変わりをするかもしれないと思って。
5月の体育祭、6月の梅雨、7月の暑さを駆け抜けて、りおとよしとは友達のまま。気がつけばりおの高校生活にはよしとがいて、勉強も、小説家になる夢も、同性愛も応援されていた。何も怖くない航路を行く船さながらに、幸せではないか。
「神楽は筑波大学を目指しているんだな。勉強熱心だな」
「前田君は、来年こそは全国大会に行けるといいね」
夏休み前のある日、りおは、空いている教室によしとを呼び出した。また大事な話があると言って。1年生の時より少し大きくなったよしとが、まだ自分の事を好きである事が嬉しかった。成長しても、気持ちが変わらない。女性同性愛者である事を打ち明けても、頑なに自分を守ろうとする。
「前田君。私を何かに喩えてみて」
よしとは、大切な質問だと思って、よく考えて、答えた。
「何にも喩えられない」
りおは少し残念そうにしたが、それが男の人だと思うのだ。そして、よしとの大きな手に、自分の手を重ねたのだった。よしとは、胸の高鳴りを堪えて一言も発さず、りおが何かを言うのを待った。もしかしてオッケーが出るのかと思って、爆発しそうな胸から逆流して、口から飛び出そうな心臓の、熱を堪えてジッとしていた。
「高校卒業までに女の子の恋人が出来なかった時、前田君がまだ私の事を好きだったら」
よしとは、ついにこの瞬間に立ち会ったのだった。
「恋人になろう」
りおは、また笑って、
「そう思える人となら何も怖くない」
と言った。
もう氷もないりおの解き放たれた笑顔は、あの日よしとが選んだ道の、言霊の、正しさの結末だとしたら、これからの時間は、より一層強い心で、大切な人を大切にできるように祈るような日々にもなるだろうか。
しかし、
「りお」
よしとは、思わずそう呼んだのだった。言葉が零れ落ちるように話すのは、よしとには珍しいかもしれない。よしとも男性だから、いつまでも性を鎖で繋いでは置けなかった。よしとは、りおを抱きしめた。拙速な愛情を許して欲しかった。
「前田君」
りおがそう言うと、よしとは腕をほどいた。りおに出会ってから今日まで、心の造詣が深くなって、深くなった部分にりおがいる。導くように自分という人間を構成していく女の子から、恋人になって欲しいと言われる事に勝る幸せの絶頂があるとは思わない。
よしとは、何回か深呼吸してから、
「りお。大事な呪文がある」
と言った。りおは、何の事か分からなかったが、よしとは覚悟を決めていた。
「りおの身に何が起きても、りおが無事でいられる『鬼道』の呪文を唱えさせてくれ」
「鬼道って?」
「俺がこれから唱える呪文が鬼道だから、一音も漏らさずに聴いてくれないか」
りおは、そんな冗談を平気で言うよしとが好きだった。男性への認識が、女性より屈強な人類の約半数という認識から育たなくても、男性である前にまず人なのだから、人となりで理解すれば好きにもなる。問題はその手の好意が、相手方の男性性を受け入れる際に、自分のセクシャリティである女性同性愛を切り捨てるだけの強さ、ないしは大きさに育つかどうかだ。屈強な肉体に付属する男性器を、いつか受け入れる決断に足る、人となりへの好意とは、容易い事では無い。
りおは、よしとの『インストールの呪文』を15分間聴いていた。これでりおの『身体に大きな怪我や損傷を伴う出来事が起きたとき』には時間が巻き戻る。時間の巻き戻しには大勢が巻き込まれて、いままで懸命に積み重ねてきた事もやり直しになる。それでも構わないと思えたから、鬼道をインストールした。
りおは、
「そんなヘンテコな呪文を唱えてくれるの?」
と言って恥ずかしそうにした。
よしとは、
「これで何も怖くない」
と言った。
「どうして前田君のような素敵な人がいるの」
りおはそう言って、自分独りでは生きていけないような背中に貼りついた不安を、剝がして欲しかった。それから友達以上、恋人未満の日々が続いた。昨年一緒に行きたかった長空市花火大会にも一緒に行った。修学旅行は違う班だったが、京都駅では同じお土産を買った。冬も、クリスマスやバレンタインも一緒に過ごした。