2023年1月17日。神楽りおは、泉岳きらりに言って、昼食を前田よしとと一緒に食べていた。自分の確固たる意志で浦川辺あやと別れた事を伝えた。きらりとの顛末を、あやとの交際を応援していたよしとに話した。
よしとは、
「俺は雛菊さん(雛菊さや)に、神楽の恋愛に関わるなって言われたんだ」
と言う。
りおは、
「私はきらりが男の子好きでも構わないから」
と言った。
よしとは、
「以前は軽率な発言をした」
と謝った。
りおは、
「もしも前田君に『時間を巻き戻す』事が出来ても、絶対にやらないで欲しい」
と言った。
りおにとって、よしとが『時間を巻き戻す』事ができる可能性こそ最大リスクだった。よしとが時間の巻き戻しに関与している可能性を何度も疑って来た。この一言は必ず言わなければならない。
よしとは、
「わかった」
と言った。
りおは、確固たる意志を持ってきらりを選んだと伝える事ができた。今まで、あやとの交際を応援していた、よしとに。
教室に戻ると、きらりが嬉しそうに、りおに近づいて、
「りお。明日は雪だってさ」
と言う。
よしとは、携帯電話のアプリで、すぐ近くにいるにも関わらず、きらりにメッセージで話しかけた。
「放課後。神楽について大切な話がしたい。真剣め」
きらりの携帯電話はマナーモードだった。
きらりは振動に気が付いて、携帯電話をポケットから取り出す。
そして、今よしとが送ったメッセージを読んだ。
きらりは、その場で読み上げてやろうかとも思ったが、得意気に、
「いいぞ!」
と、よしとに直接言った。
何かが不敵だった。
怖いものなど無いかのように。
この日のよしとには、やるべき事が二つあった。りおが打ち明けてくれたおかげでやるべき事に気が付いたのだった。
きらりは安穏としていたが、午後の授業はよしとにとってただならぬ緊張感を伴っていた。可能な限り早く終わって欲しい。放課後になったら、やるべき事がある。
放課後の教室棟で、よしとはきらりと二人になった。
椅子に腰かけたよしとは、
「神楽にはなんて言った?」
と念のため聞いた。
きらりは、
「前田と話し合う事は言ってない。適当言って、先に帰らせた」
と言い、
「事情通の前田と話し合う事案が全く無いとは思わないからな。前田は変な奴じゃないし、いつも手短だもんな。全然いいぜ」
と言って、椅子に座った。
次の言葉を、真っすぐ届けなければならなかった。
教室棟の静寂の中で、よしとは、
「この世界は時間が巻き戻る」
と告げた。
きらりは、ゴクリと唾を飲んだ。
「より厳密に言うと、2022年4月8日の朝に時間が巻き戻る。時間が巻き戻ると、原則皆、2022年4月8日朝(再開時点)以降の記憶を失って、またやり直すことになる」
よしとは、きらりが、信じない可能性のほうが遥かに高い事は理解していたし、最悪聞く耳を持たないとも思っていた。しかし、それらを辞さず、いま絶対に言わなければならない事だった。
きらりは「全く同じ事をりおからも少しだけ教わった」と言おうか悩んで、
「前田がやってんの?」
と聞いてみた。
よしとは、
「信じるのか?」
と聞き返した。
きらりは、質問の答えに興味があったので、
「そうだ」
と言った。
よしとは、
「俺の『鬼道(きどう)』だ」
と言った。
きらりは、顔が紅潮してきた。全部本当の話だったとして、この世界が何なのかも気になるところだが、よしとが今までしてきた事は凶悪なのではないかと思えるのだ。女の子同士の恋愛を応援していて、このうえ気に入らないと時間を巻き戻すというのか。
「もしかして、私とりおが付き合っちゃいけないのか?」
と質問してみた。
よしとは、
「違う。聴いてくれ」
と言った。
きらりは、無言で頷いた。聞いてやろうと思った。重大な関係者が、真偽不明にせよ、接触してきて話があるのだから、聴くに限るだろうと、きらりは判断した。
よしとは、次のように説明した。
『鬼道』とは、複数の『呪術』であり、『かけられた人』が『一定の条件』を満たすと発動し『再開時点まで時間が巻き戻る』、そして『通常人々の記憶が消える』
呪術は、『インストール』、『アンインストール』、『バックアップ』の三つから成る。インストールは、鬼道をかけること。アンインストールはかけられた鬼道を取り除くこと。バックアップは、時間が巻き戻っても、記憶を失わずにいられること。
インストール済みの人物にバックアップの呪術はかけられない。バックアップ済みの人物にインストールの呪術はかけられない。
今現在、鬼道(呪術)は『神楽りお』と『浦川辺あや』にインストールされていて、神楽りおの一定の条件とは『身体に大きな怪我や損傷を伴う出来事が起きたとき』である。浦川辺あやの一定の条件とは、『神楽りおを愛して、しかしそのことで深く傷つき、自分の行いを後悔する』である。
神楽りおには息災なく人生をまっとうして貰いたい想いから、浦川辺あやには、神楽りおのパートナーをお願いしたい想いからインストールした。
鬼道(呪術)をかけられた者は、一定の条件を満たして時間を巻き戻した場合、時間を巻き戻したという既成事実と、巻き戻す方法を一部覚えている。なお、今現在バックアップの呪術は、術者である『前田よしと』だけがかけてある。
いま、浦川辺あやが一定の条件を満たす可能性が高まっていて、このままだと泉岳きらりは全てを忘れてしまうから、泉岳きらりにバックアップの呪術をかけるために呪文を唱えたい。その後、早急に浦川辺あやにアンインストールの呪術のための呪文を唱えたい。
きらりは、全部聴いていた。途中、笑いを堪えるような仕草もあったが、
「前田がこれから唱える、胡散臭い呪文をずっと聴いていればいいのか?」
と言った。
よしとは、
「そうだ」
と言った。
きらりは、
「信じるから早くやれ。りおから少し聴いていた情報とも一致しているし、冗談だったとしても、前田なりに私を応援したいのだろう」
と言った。
よしとは、静寂の中でバックアップの呪文を唱えた。
呪文は15分間。
きらりは、最初から最後まで聴いていた。
きらりは、
「これで浦川辺が時間を巻き戻しても、私はりおを忘れないのか?」
と言う。
よしとは、
「一音も漏らさず聞けた?」
と言う。
きらりは、
「耳は良い方だから大丈夫だ」
と言う。
よしとは、「ふ~っ」と息を吐いて、
「まずそれが出来て良かった」
と言う。
きらりは、笑いそうになりながら、
「どんなだったんだ?いままで。前田の小説だと思って聴いてやる」
と言った。
よしとは、
「泉岳が神楽と仲良くなった時間ループは初だ。2022年11月29日以降は一切読み切れず、殴打事件が二回も起きてしまった」
と言い、
「また今度、聴きたかったら教えてあげます。今はとにかく、善は急げだ。いますぐに浦川辺さんの鬼道をアンインストールしてくる」
と言った。
きらりは、
「浦川辺はバックアップできないんだろう?時間ループさせても勝つのは私だろう」
と言った。
よしとは、「どうしてそういう発想になるんだ」という顔をして、席を立つと、
「いや、神楽が何も覚えていないのは心が折れるから」
と言う。
そして、
「とにかく文化部室棟に行ってくる。もう形振り構っていられない」
と言って、走って教室を出た。
文化部室棟で向かう先は将棋部の部室だった。
よしとは、
「こんにちは。男子バレー部の者です。すみません」
と言って、入り口に立った。
「あ、男子バレー部の方?あ、誰かに御用ですか?」
「あ、男子バレー部の方か。あ、どうかなさいましたか?」
よしとは、
「三栖じゅえりさんに、折り入ってお願い事があって来ました」
と言う。
じゅえりは、
「はい」
と言う。
「すみません、浦川辺あやさんにお会いしたいのですが」
「あや様は、本日はお休みです」
「ご自宅にいるのですか?」
「はい。ご自宅です。朝から体調が悪くて。ずっと泣き崩れているようです。お父様の病院にも行かれたそうです。心配してくださり、ありがとうございます。急な用件であれば、メッセージでお伝えします」
「しばらく休みそうですか?」
「はい。『さようなら』と言われてしまいまして、私も心が凹んでおります」
よしとは、
「そっか。三栖さんは凄く感じの良い方ですね。教えてくれてありがとうございました」
と言って、将棋部の部室を去って行った。
浦川辺家で、あやは朝から泣き崩れていた。深い後悔に包まれていた。あやは、『神様を頼って』時間を巻き戻せることを、また思い出した。そういえば、私(あや)は大泣きすると時間が巻き戻る魔法を使える体質だったなと、また思い出していた。このまま時間を巻き戻せば、哀しい想いをせずに済む気がしたし、もしかしたら、りおとまた仲良くなって交際できるかもしれない、さやともう一度親友になれるだろう。そう思って力いっぱい泣いていた。りおときらりの成立した愛情は顧みなかった。そんなものは消えてしまえばいい。
そしてこの日の、深夜11:30に、鬼道が発動した。
時間が巻き戻って、りお、あや、さや、じゅえり他、皆が2022年4月8日以降の記憶を失うなか、よしとときらりだけが記憶を保持して巻き戻しになった。