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第25話「湯島天神」

2023年1月3日午前。神楽りおは、泉岳きらりと長空駅で待ち合わせた。りおは、昨日突然思いついて、メッセージで呼び出した。きらりと湯島天神に初詣に行く。きらりは突然の決定でも、二つ返事で了承した。幸い予定が空いていた。


りおは、


「来年は共通テストの直前だから、行くなら今年かなと思って」


と言った。


「そっか」


「今年一年の勉強が大事だから、今年のお正月に行ったほうが良いよね」


「息災ないようにか?」


「うん」


「真面目だな」




改札の前で、りおは


「きらり。手を繋ごうよ」


と言う。


きらりは、


「しゃらくせぇよ」


と言った。


りおが、


「やめて。ほら。やって」


と言うと、きらりは、


「大切?」


と言う。


「大切だよ」


「いまさら」


りおは、


「いまさら大切だよ」


と言うと、きらりの手袋を掴んだ。


改札を抜けて、駅のホームへ。


世相が芳しくない中、正月は家族の幸せを人の顔に描く。


電車が颯爽と東京の市街地を抜けて、行き先は上野。


りおときらりは、上野駅から、歩いた。


大通りを抜けて、上野広小路へ、御徒町とは逆方向に歩く。


冬でも暖かな日当たりのよい坂道を登って、向かうは湯島天神だ。


繋いだ手が、細い道を、すれ違う人を縫うように、行く。


「りお。筑波大学に受かるといいな」


「ありがとう」


「息災ないようにな」


「きらりは、明治大学だよね」


「沢山受けるよ。浪人したくない」


「私、併願するから。明治大学」


「いいのか?併願は学習院大学とか上智大学とかじゃないのか?」


「吹っ切れたから。絶対に筑波大学に行く」


「そっか。どっちつかずより良いよな」




りおときらりは、湯島天神に着くと、お参りをして、賑わう人混みの中で絵馬を書いた。


絵馬の中に個性的なものがあった。


『20年前の僕が東京大学に合格しますように


 そして妻に会えますように 


 筑波大学教授  Hidehiko Ozuma Harayama』


きらりが見つけると、面白いと思って、りおに教えた。


「りお、志望校の教授が愉快な絵馬を書いたみたいだぞ」


「本当だ」


「東京大学で奥様にお会いできたんだな、この教授」


「良かったね」


「まあ大学でも出会いはあるよな」


初詣の客で込み合う湯島天神は、やはり受験生の者も多く、皆が合格を願って訪れる。大学でも新しい出会いはある。女の子にも、女の子が好きな女の子にも、いくらでも出会えるだろうと、きらりはりおに言ってあげたい。今、りおへの優しさとは、きらりなりに、何も悩むことはないんだぞと言ってあげる事だと思っていた。


りおは、


「それは一般論?」


と言う。


「なんだ一般論て」


「じゃあやめて」


きらりは、


「え?」


と、面倒くさそうに言う。


りおは、


「やめてよ」


と言った。


「どうしてだ?」


きらりは、りおが沢山の出会いの中で、いつか女性同性愛者としての幸せを手に入れるだろうと、どこか呑気にそう思うのだ。りおの恋人が当初から憎かったわけではないが、奪い取る事にした。きらり自身もまた許しを希うように、沢山ある出会いの一つだと思っていたい。そのうえで、今はきらりが大切にしたい。りおがきらりを選べば、より一層大切にしたい。


「男の子みたいだね。きらり」


りおは、そもそも異性愛者だったきらりが、男の子っぽく振舞って見せる様子が嫌いではなかった。きらりの愛情表現だと思っていた。でも気になるのだ、そういえば、そのようにする理由を聞けていなかった。


りおときらりは、湯島天神を出た。思ったより早く帰り足だ。


りおが、


「お昼にしよう」


と言うと、きらりは、


「アメ横にする?」


と言う。




「そういう所が好きだよ」


「え?」


「なんで『アメ横』なの?」


「かなと思って」


「そういう所」


「いけねぇみたいに言うな」


「怒らないで」


「怒ってない」


来た道を引き返すように、アメ横までの道を行く。


きらりは、りおが歩く、女性同性愛者という道をそこまで深く考えずにここまで来たかもしれない。大勢の人混みの中にいる、女の子が好きな女の子を、固く握りしめる手。「今なら、なんとなくわかるよ」と言ってあげようかと思った。りおが、手を繋ぎたがる理由を、ものの2時間で分かったと。この握りしめる力が、何ら冗談ではなく、女の子が好きだということなのだ。


りおは、


「女の子同士は嫌じゃないの?」


と聞いた。


きらりは、


「りおだけだ」


と言う。理解者としても、パートナーとしても女性同性愛者特有の引力に惹かれてはじまった、りおへの気持ちは、りおの優しさや人柄に惹かれて強い気持ちとなった。そして、ここに来て自分以上にか弱い存在を守りたいという気持ちが急速に合成されていく。


行き交う人の中には男の人も沢山いる。背の高い人も、ハンサムな人も、屈強な人も通り過ぎていく。


「りお、何がいい?」


真っすぐな声が、りおの耳に届く。すっかりその気になったと言えば、きらりの少し悪い所かもしれない。


りおは、


「麺類」


と言った。


数あるお店の中から、りおときらりは、ラーメンを選んだ。


店内の雰囲気は、落ち着いた感じの、良い店だった。


そして、注文したものが届く。


きらりは、


「食べ方、知っているか?まず、こうやって、スープを一口」


と言って、やって見せた。


りおは、


「知ってるよ」


と言って、箸でチャーシューを崩した。


きらりは、真っ先にチャーシューから食べるりおを見て、


「食い方も違うから面白いのにな」


と思った。そう言ってやりたかった。


上野駅で「浅草も行ってみたいな」ときらりが言うと、りおは「帰るよ」と言って、りおの腕を引っ張ったのだった。


混雑車両の中、降りる人、乗る人、駅に着くたびに雑踏が追い立てるように、二人は小さな空間を佇んでいた。


ベルの音が、聞こえる。


きらりは、りおを守るように、壁の手摺を背に、りおのコートの肘を掴んで。


りおは、きらりの胸を居場所のように、きらりに寄りかかって、身体を重ねて。


きらりの目はりおの目を探して、合うたびに、りおは、恥じらいながら、会話を始めることもない。


動き出す列車が、まるで別れを急ぐように、走って。


車窓から見える景色は、季節が変わっても、変わらないし、壊れないのに。


きらりは、りおの唇の端にキスをした。


揺れる景色の中を、まるで風のように、風のように。

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