2022年12月19日昼休み。今日も、三栖じゅえりが、泉岳きらりのクラスの教室に来た。きらりが、借りた漫画が読み終わったので、メッセージで呼び出した。教室前の廊下で立ち話をする。
「こんにちは、泉岳先輩」
「お前が貸してくれた漫画、面白かったぞ」
「よかったです。『氷のエンブレム』はアニメ化して欲しいので布教しているんです」
「真面目だな。お前も」
「そうですか?」
「話し方でわかるよ」
「ありがとうございます。こちらが2巻と3巻になります」
「何巻まであるんだ?」
「17巻です」
「息抜きに丁度いい」
「勉強お疲れ様です。つかぬ事お聞きしますが、
「お前やっぱそういう『偵察』みたいな用件で来ているんだよな?」
「いいえ」
「違くないだろう」
「さや
「時間が解決するだろう。いつまでも根に持っていられない」
「どういうことですか?」
「クラスメイトを殴打されて、教室がなんとも思ってないわけないだろう。お前ら1年生なんだからさ」
「クラス全体として怒っている、そういう空気なんですか?」
「そう。でも、一発平手打ちされたくらいで半月も怒っていられないだろ。大人なんだからさ」
「…私も勉強会に出たいです」
すると、いつの間に近くに来ていた横山みずきが
「三栖さんは、勉強会がどういう趣旨で結成されたか分からないのか?勉強会は三栖さんの友達の『殴打魔』がした事に対する毅然とした対応だ」
と言う。
きらりは、
「わだかまりを無くしたいのか?」
と言った。
じゅえりは、
「はい」
と言った。
みずきは、
「足引っ張らずに勉強できるか?」
と言った。
じゅえりは、
「はい」
と言った。
みずきは、「『はい』しか言わないな」と思って、自分の席に戻った。
じゅえりがクラスに戻ると、あや、さやが出迎えた。
じゅえりは、嬉しそうに、
「あや様、さや助。今日から例の勉強会に行ってきます」
と言う。
あやは、
「よくやった!」
と言う。
さやは、
「ありがとう♡」
と言う。
あやは、
「私の家でクリスマスパーティをやるから。クリスマスは、りおとサシでデートじゃなくて、パーティになった。私とりおと、さやと。それで、じゅえりも来て欲しい」
と言う。
じゅえりは、
「私もあや様の交遊録に加わるのですか?」
と言う。
あやは、
「友達」
と言った。
じゅえりが、
「それでいいのですか?」
と言う。
あやは、
「二人の時間ばかり作らないほうが良いって恋愛の本に書いてあったんだ!」
と言った。
放課後の勉強会では、じゅえりは、大人しく英文法の問題を解いていた。
田原えみかは、最初こそ、じゅえりを毛嫌いしたが、直ぐに打ち解けた様子だった。
中嶋ゆずも、良い勉強になった。
きらりが、
「三栖はクラスでどれくらい出来るんだ?」
と聞くと、
「英語はクラスだと真ん中くらいです」
と言う。
じゅえりを受け入れて、不穏な空気も穏やかに戻った。
みずきは、問題集を解きながら、
「平和に貢献するのは善いことだ」
と言った。
夜。勉強会が終わって、各自で帰る。自転車通学は、りおときらりだけ。
じゅえりは、
「将棋部の部室を少しだけ見ていきます」
と言う。
みずきは、
「三栖は『偵察』じゃないのか?」
と言った。
じゅえりは、
「違います」
と言った。
りおは、
「仲直りしたいだけなんだ?」
と言う。
じゅえりは、
「はい」
と言う。
「将棋部の皆さんにもよろしくね」
「はい」
りおは「『はい』しか言わないな」と思って、きらりと裏門の駐輪場に行った。
真冬の寒さの中、吐息は白く。コート姿のりおときらりは、少し離れて歩いた。りおの赤い手袋と、きらりの青い手袋。マフラーも、同じ色をしている。
きらりが、
「すっかり寒くなったな」
と言うと、
りおは、
「ありがとう」
と言った。
きらりは、不思議そうに、
「どうしてだ?」
と言う。
「いつも『風邪ひくな』って言ってくれるから」
きらりは、「ああそうか」という顔をして、
「インフルとか、ノロとかにも気をつけろよ」
と言う。
「ありがとう」
「御礼を言いたいのはこっちだ。勉強教えてくれて本当に助かる」
「いいよ」
裏門の駐輪場までの道で、グラウンドを照らす照明の灯りが、二人の輪郭を明確にする。
「誕生日いつだ?」
「4月30日」
「春だな。私は5月5日だ」
雲一つない夜空は星が散りばめられていた。一つひとつを数えるように、きらりは見上げた。寄り添うような二つの星も、お互いを示し合うように光る沢山の星も。
「青好きなの?」
「好き」
「サッカーの色?」
「そう。サッカー日本代表」
修学旅行以来、何度も交わした言葉。
冬の寒さを、不思議と感じないのは着込んだコートのせいだろうか。
「どうしてだ?」
「色はその人だよ」
「そんなことねぇだろ」
何度も感じた冬の匂いがする。少年時代であれば、年の瀬は、家族が何かと暖かく感じられるだろう、そのような感覚の匂いがする。
きらりは、
「難しく考えるなよ」
と言って、笑った。
駐輪場には、部活で忙しい生徒達の自転車がまだ沢山並んであった。高2の冬と言えば、人生の岐路とも言える。皆、この時期に進路に悩む。行きたい大学に行けるだろうか、将来にはどんな仕事をしているだろうか。ここで曖昧な自己肯定をする事は、腹をくくるのを遅らせる。自分の学力と向き合い、筑波大学だろうと、明治大学だろうと、決めた以上胸を張るのが良いだろう。長空北高校のような進学校の生徒であれば、自分自身に真摯になることは誰に教わった訳でもなく、やらなければ。もちろん答えを出せる者ばかりではないが。
きらりは、立ち止まった。
「どうした?」
りおは、目に涙を浮かべて、きらりを見た。
「ありのままだね。きらりは」
りおは、ここ最近は毎日あやの事で悩んでいた。文芸部という環境で、促成栽培されていた愛情が冬を越す事を難しくさせる原因は、もちろん、きらりに他ならない。しかし、きらりを切り捨てれば済む話だと思えば思うほど、あやとの未来の不安が襲ってくるのだ。あやとは容姿端麗な恋人以外に、手がかりが無いのだ。王子様とお姫様の双子に喩えても、それがつまり何なのか。愛情や癒しの相手方なら、それこそきらりがいる。
「どうしたんだ?」
「私は、自分の本当の姿とか、相手の本性とか、モノに喩えたりそんなのばっかりだ」
「それは個性だろ。自分を否定するな」
「あやが、わからなくなってきた」
きらりは、心の奥から声がして、
「浦川辺が嫌になったのか?」
と言った。
「本当はすごく考えているし、強引なところがあるかな」
「そっか」
りおは、
「心と心が一体になる必要はあるのかな?」
と聞いた。
きらりは、真っ黒な野心を腹の底に押し戻しながら、
「ない!」
と大きな声で言った。
「どうしよう。好きな人が二人いる」
「全然いいぜ。このままこっそり付き合おうぜ」
「明日は、クリスマスパーティだから」
「全然いいぜ」
りおは、きらりの胸のあたりをジッと見た。
きらりは、
「やっぱりエッチ友達なのか?」
と言った。
りおは、きらりにギュッと抱きついた。
コート越しに感じるきらりの温度は、かつての感触を連れて来た。
きらりの大きな胸がりおの胸と重なる。
「どうしてだ?」
「心と心が重なるってこういうことなのかな?」
「しらねぇよ」
きらりは、呆れたような顔で空を見上げた。
星空。
きらりは、
「来月になれば、今くらいの時刻に冬の大三角が見れるな」
と言う。
りおは、
「きらりを選んだら、キスしてあげる」
と言った。
りおは、また許されたと思った。混沌とした悩みの中で、この曖昧な関係の自由を許す者が今一番、心を癒せるのだ。片方を手に入れて、もう片方を失う決断とは、悩める状態を終わらせる不自由だと思うのだ。自由を犠牲にして成り立つ物こそ脆いとはむしろ想像に容易いのだった。