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第21話「ニューフェイス」

2022年12月1日帰りのホームルーム。浦川辺あやと雛菊さやは、昼休みに、神楽りおと泉岳きらりを引き離す作戦を実行した。あやはりおと元鞘に収まったが、きらりは今後もりおと肉体関係を続けようとしている様子だった。さやは、きらりを一発殴打してしまった。


あやとさやのクラス担任は、りおときらりのクラス担任から事情を聴き、帰りのホームルームの前に、あやとさやを呼んだ。


「今日の事は、今後絶対にやらないでもらいたい。平手打ちも暴力であり、暴力が許される年齢ではないからね。これが学校の外であれば相手に問題があったとか関係なく罰せられてしまう。一応見送るけど、人間関係で相談があれば教員も頼りなさい」


「わかりました!」


「はい♡わかりました♡」


「雛菊さんは、反省文を書いて、明日読ませて」


「はい♡」


「それで、二人にはお願いしたいことがあるんだけど、『三栖さん』を輪にいれて貰えるかな?」


「『じゅえり』ですか?」


「『じゅえり』ならいいですよ♡」


「二人とも人間関係の余力があるみたいだから居場所になってあげて。それをお願いできたら、もう、行って良いよ」


「はい!」


「わかりました♡」


あやとさやは、一番後ろの列で読書中の三栖じゅえりの所へ行った。


じゅえりが二人に気づくと、本を閉じて、顔を上げた。


「あや様にさや助。私になにか?」


「先生が輪に入れろって言うの♡」


「え?貴殿らの輪に入るのですか?」


「そうだ!」


りおと仲直りできたあやと、きらりを一発殴打して実質不問のさやは、将棋部女子のじゅえりが新しい友達になった。


「どうして?」


「どうしてじゃないでしょ♡よく一人で本を読んでるから」


「教員命令だから!」


「そうなんですか。一応クラスの輪の中にいる認識だったんですけどね」


三人は、あや・さや二人組の暴走抑止でこうなったことは知らなかった。じゅえりは、女子だが、女子の群れの中にいると不意に独りになるたくなる気質だった。男子とも仲良く話すが、やはり不意に距離を取りたくなって、独りになる気質だった。クラス全体として、じゅえりの居場所は確保されているが、所属するサブグループは存在しない生徒だった。


「あや様の交遊録に私が加わるのですか?」


「友達にな!」


じゅえりは、黒髪ツインテールをえんじ色のゴムで縛って、良く似合う子だ。後ろ髪も長く、あやと同じくらいある。見た目は良いので、人当たりも良いが、会話が独特だった。背も高い方だが、運動は全くできない。バスケのドリブルが出来ないし、柔道の前回り受け身が出来ない。持久走は8分かけて1500メートルを走り切る。


「将棋部だったよね?」


「はい」


「将棋の本ずっと読んでるんだね♡」


「棋力はアマ二段だと都大会ベスト8が関の山なので、『三段の寄せ』を読んでいます。やはり終盤の寄せから逆算した指し回しができないと、せっかく勉強した定跡が泣いています」


「いま何段なの?」


「二段です。アマ二段。5月の高校竜王戦、9月の高校王位戦、11月の新人戦がいずれもベスト8で。もはや顔見知りなんですけど、そろそろベスト4勢に勝ちたいんです」


「今日も部活でるの?」


「はい。部活は休まないです。貴殿らにも確か文芸部という健康で文化的な嗜みがあったはず」


「じゃあ今日は部活行くか!久しぶりだな!」


「楽しみだな♡」


「文化部室棟までご一緒します。友達だから」


そう言って、三人で文化部室棟に行った。




文芸部は元通りになった。りおとさやは和解して、前より打ち解け合ったような会話になった。他の部員達は事情をよく知らない様子だったが、先輩のりおと後輩のさや、そしてあやの仲の良い姿を見て安心していた。


そして誰一人として、きらりの名を出さなかった。きらりは部外者なのである。あやは、自分がりおを離さなければ済む話だと信じたのだ。


この日は、いつになく雑談の時間が長かったが、他の部員達も特別気にせず自分の活動をしていた。


夕方の遅い時間になると、さやは「お先失礼します♡」と言って、文芸部の部室を出た。あやとりおの時間を不必要に奪わないように。


「じゅえりは将棋部にまだいるかな?」


そう思って、文化部室棟の中にある将棋部の部室に行ってみた。


さやが将棋部の部室を覗くと、部員の男子生徒に混じって、感想戦中のじゅえりが将棋盤を見つめていた。


「あ、82手目で4二金と寄せた手が俗手だけど最善手だったね。あ、これで居飛車の囲いは崩壊したね。あ、居飛車は、その前の手で攻めずに3一金打で囲いを補強しないといけなかったね」


「あ、終盤で囲いを再生する手が思いつくとイイ感じだね」


「あ、日頃から将棋盤をイメージして終盤力を鍛えていないと、対局で、読み切れなくて、つい攻め合いになってしまう。あ、これが初段の壁だね。あ、三栖氏は流石だね」


じゅえりは、


「ありがとうございます」


と言う。


「あ、三栖氏は長空北高校将棋部最強棋士として、私たちを鍛えてくれる、ポップカルチャーな存在」


「あ、将棋部に長らく女子部員がいなかった現実を切り裂いて降臨した貴重な偶像」


部員の一人が、さやに気づいて、話しかけてきた。


「あ、もしかして三栖氏の関係者の方ですか?」


さやは、


「はい♡関係者です♡」


と言って、嬉しそうにじゅえりの顔を見た。


じゅえりは、顔を上げて、


「さや助!」


と言う。


「あ、友達の方?」


「あ、三栖氏の友達の方?」


「あ、三栖氏、将棋盤はこのまま私たちで見聞するために残しておいて欲しい」


じゅえりは、「ありがとうございました」と言い、対局者に礼をすると入り口の、さやの方へ歩いた。


「将棋部面白そうだね♡」


「はい」


「強いんだね♡」


「はい」


「一緒に帰ろ♡」


「はい」


さやは、文芸部室にじゅえりを連れて行った。


「こんばんわ、三栖じゅえりです」


「はじめまして、神楽りおです」


「はじめましてでしたね、神楽先輩。お邪魔します」


「じゅえりとさやで一緒に帰るの?」


「はい、さや助と一緒に帰ります」


「一緒に帰ります♡」


「あや様も、また会いましょう」


文化部室棟の明かりが、外の夕闇に、人の営みを主張する。思えば4月から自分で決めた部活動を、高校生活を、謳歌して人と繋がり、泣いたり、笑ったりを繰り返してきた。


夕闇の中を歩く、さやとじゅえり。


正門前で、さやは、


「泉岳きらりの情報は有効活用できたから♡あやとりお先輩で交際して、私は親友として見守ることになったの♡」


と言った。


さやに諸々をリークしていた情報通の生徒はじゅえりだった。りおの携帯電話を暴いたのは、さや本人だが。


「泉岳先輩と神楽先輩で肉体関係になっていて、神楽先輩とあや様の交際が危ぶまれていた事案が、円満に解決したのですか?」


「そう♡教えてくれてありがとう♡」


「あや様が気がかりだったのです」


さやは、少し悩んでから答えた。


「あやが好き♡でも泉岳キラリは部外者なの♡」


「さや助。情報を有効活用できたのはよかったです」


さやは、足を止めた。


じゅえりも、足を止める。


さやは、じゅえりの目の奥を透視するように見て、


「出来ることなら『淫売』を見ていて欲しいの♡」


と言った。


「『泉岳先輩』に接近するのですか?」


さやは、ゆっくり頷いた。


じゅえりは、澱みない瞳で、


「あや様もさや助も友達です。泉岳先輩には私も思う所があります」


と言った。



この夜。部活の後、浦川辺あやは、神楽家の近所の公園まで、一緒に帰った。家には「遅くなる」とメッセージを送っておいた。事情は先日伝えてあるし、親にも理解して貰えた。


冬。


この季節を乗り越えた恋人に訪れる春は、出会いの春とは違う。部活の先輩・後輩で始まった恋は、困難もなく、互いに無傷だった。女の子同士という感覚が、良くも悪くもコーティングしてある。ただその構造に任せていることはむしろ脆弱で、現にきらりという情念の塊に、あやにしてみれば、してやられてしまった。


分かち合う感情が絆になるとして、りおと恋人の絆を結ぶためには、分かち合うものとは、抱きしめたり、キスをしたりする刹那ではたちまち綻ぶのではないか。


あやは、考え始めていた。そして悩んでいた。一瞬の情念では、別の一瞬の情念に攫われるのだろう。日頃の短慮な振る舞いや、一緒にいられる時間を当然だと思う考え方のせいで、浅薄な関係性にしかならなかったのではないかと。あやは、言葉や態度に表さない所でもりおを理解していたつもりだったけれど。


あやは、公園で大学の話をした。きらりとの時間を、りおから洗い流すように。


「大学はダンスサークルが面白そうかな。子役だった頃、習ってたから。芸能活動も、何か自分にあったものがあれば良いかなって思い始めたんだ。歌とか、メイクさんとか」


りおの愛情の工夫、人間的成長を促すような接し方のおかげで、あやは考え方が変わりつつあった。中堅どころでキャリアを終えるくらいなら全てを畳んで生まれ変わった生き方がしたいという考え方が変わりつつあって。あやも、その事への感謝の気持ちなら、言葉を惜しまない。そういった事をもっと言葉で示していかないと知ってもらえないと思った。


「こうして見つめ合えば私達の心と心は重なるの!りおもそう思うでしょ!」


あやは、心と心を重ねようと、りおを理解しようと、懸命に努めたのだった。抱きしめたり、キスをしたりする刹那は、一体とは言わないと思って。自分だけが施しを受けているような時間がイケないのだろうかとも思った。


りおは、


「あやが、自分を誇れるならそれでいいよ」


と言った。


今宵は半分欠けた月が二人を見守っていた。


あやは、洗い流すように、りおを抱きしめた。りおの穢れで、自分の憎悪を洗って。最後は、このような事は交際の常だと、言い聞かせた。心の中で、りおにも聞こえるように。


「心と心を一体にすれば、私達は永劫欠けることがない」


そう何度も唱えてみたのだった。あやは、春にりおから諭された「一元論」がずっと心に突き刺さったままだった。花を見て、美しいと思うのは、そのように理解する人間の根源が、心が、あるからだと言う。花を見ても美しく思えないのは、人間の根源である心が荒んでいるせいであって、浄化する必要がある。何事もそうだと思うのだ。


確かにプロの役者として演技をすればするほど、偽らざる自分の根源があって、そこから個性が醸し出されて、演技の表現になる感覚にあった。同じ役でも役者によって演じ方が異なるのは、そのせいだと思う。だから人間の根源という考え方は受け入れやすかった。


そのうえで人は、自分を取り巻く人々との同調や共感によっても影響を受ける。これはあの時りおが教えてくれた「美的共感」の話だ。自分一人では認識が形成されないということも推して知るべきだし、自分が正解だと思うものの評価が芳しくない時も、およそそのようなメカニズムだと思えば、気持ちが楽だ。根源はあるが、人とは異なり、評価は大衆が決める。自分は自分、評価は評価。


あやは、自分とりおを月に喩えていた。同じ本性、少し違った経験と歩みで、重なり合えば欠けることが無いと信じていた。あやは役者、りおは文才。夜空を煌々と照らす月のような本性が、自分達の根源だと思ったり、思い込んだりしながら、誰よりも美しく輝いていると信じれば、そのような、役者かどうかはわからないが、何らかの芸能活動に復帰する気持ちが徐々に回復しつつあったのだった。

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