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第19話「審判の日」

2022年11月29日。雛菊さやは、情報通の生徒から仕入れた情報と自分で見聞きした話を総合的に評価していた。浦川辺あやと神楽りおの交際は、前田よしとが要所で手助けをして実現したという事と、りおは修学旅行以来、泉岳きらりと肉体関係にあるという事が確定していた。


雛菊家の朝。登校前の食卓でさやは、父親と朝食を食べていた。


「ドロドロだったの♡」


「何がドロドロなんだ?」


「聞かない♡」


「あぁ・・・すまん」


さやはこう考えていた。


文芸部の三角関係に前田よしとが介入していて、浦川辺あやと神楽りおをくっつけて、私に不利な働きをしている。このうえ、もしも泉岳きらりを裏で操って、神楽りおにけしかけていたのであれば、愉快犯の大罪人である。


いずれにせよ、泉岳きらりと神楽りおの交際を完成させるか、逆に完全に叩き切ってもらうかを選んでもらう。そして前田よしとに今後関わらないことを約束させる必要がある。


「さやは、考え事をしているときに話しかけられるのが大嫌いだったな」


さやの母親は、


「あなた、さやは私が見ているから大丈夫よ」


と言う。


さやは、


「家族より大切なものはないけれど♡大切な気持ちは大切なの♡」


と言った。よしとには、他人の恋路に介入した以上、正しく整理して出て行ってもらう。


冬が来た。そう誰しもが思う街路樹と、吹き抜ける渇いた風の匂い。3月生まれのさやは、15年間と半分程の歳月で、何度もこの冬の香りに抱かれて成長し、次の春を一身に浴びて来た。さやは、女性同性愛者のカテゴリで言えば、りおとあやに比べて、遥かにノーマルに近い。さやは、あやの美貌と、女性同性愛者特有の引力に惹きつけられただけで、レズビアンと言うよりは、ノーマルに近いのだ。確かに今後女性同性愛者のセクシャリティを自認する可能性はゼロではないものの、一過性の空想と言ってしまえばそれで終わりのような感情を、あやにだけ抱いている。


あやも、さやのセクシャリティがノーマルに近いことは日頃の様子で、自分あやとの比較で、分かっていたから、それがさやを女性同性愛の対象ではなく友情の相方に区分した大きな理由の一つだ。


長空北高校の平和な日常の中で、女性同性愛者の輪がまことしやかに噂されつつ、当事者らの自由と尊厳を見守る意識が半分と、関わり合っても仕方が無いという自立心が半分あって、レズビアンの居場所が創発していた。性の多様性を認めるとは、異性愛を当然だと考え、現実世界とは当たり前に異性愛者同士の世界であると信じる者達を、突然巻き込んで「考える人」にする試みでもある。「貴方の恋愛は異性愛と言うのですよ」というメッセージを真摯に受け止めることは、まるでそれが正しいとする特段の根拠を求められたような違和感を禁じ得ないかもしれない。そもそもある単一の価値観に同調しない者と共生すること自体、高度な事で、実現すれば有難いと言えるから、受け入れる側の労力という考え方もするかもしれない。


昼休みの教室棟2階廊下を歩く、さや。


よしとは、ここ数日、昼休みは教室を出た所の廊下で立って、携帯電話で音楽を聴いたりして過ごしていた。自分のしてきたことで、そろそろお客さんが来る気がしていて。


この日の廊下には正面から歩いてくる、さやがいた。明らかに自分を見ている。


よしとは、やれやれという表情で、


「この瞬間が来た」


と思った。これは廊下の立ち話になる。


さやは、


「前田先輩ですよね。お噂もかねがね」


と、深く落ち着いた声で言った。


「雛菊さん、覚えています。文芸部で、神楽の後輩で、浦川辺さんの友達で」


そして、あやが好きでりおと三角関係になっているリスクファクターだ。よしとなりに、いつかのタイミングで話し合いになる気はしていた。さやにしてみれば真剣なのだから、さやに不利な働きばかりする事は、いつか咎められるだろう。


さやはギロリとした眼でよしとを見る。


よしとは、


「私に何か御用ですか?」


と言う。あえてしらばっくれたのは、ここで狼狽してはいけないからだ。相手のペースでも良くない気がした。


さやは、大きく二回頷いてから、睨みつけた。


「大事なことだから、直接聞きます。泉岳きらりという人物を知っていますね?」


よしとは、「ふ~っ」と息を吹いて、


「神楽と修学旅行で凄く仲が良くなってしまって、二人で一緒に受験勉強をしている」


と言う。


さやは、話の早い善人面に半信半疑だった。そこで知恵を絞って、


「貴方が仲良くなるよう仕向けたんじゃないんですか?」


と言った。


よしとは、また「ふ~っ」と息を吹いてから答えた。


「誓って違う。ただ神楽は女の子が好きな女の子で、分かり合える人と交際して明るい未来を切り開いて欲しい。浦川辺さんかもしれないし、泉岳かもしれない」


「友達として、りお先輩の自由な恋愛を全面的に手助けしているのですか?」


「俺は神楽の事が好きだ。応援する資格は俺の大切な持ち物だ」


「正しいと思ってやっているんですか?」


「いや。ただ間違った事だと思ってやっているわけでも断じてなくて」


よしとは、昨今は本気で悩んでいた。あやとりおを応援していれば済む話だったのだが、りおときらりが余りにも急速に発展するため、何が正解か見失っていた。


さやは、溜息をついて、


「話を変えます。私はあやが好きです。だからこれからする事の資格があります。あやの心変わりは自由ですよね?」


と言った。


よしとは、悩んだ。


ここで「そうです」と言いたいが、もはや自分の知能に自信が無い。


よしとは、


「わかった」


と言った。


「何がわかったんですか?」


「応援はするが、もっと遠くで見ていようと思う」


「はぁ、認めるんですか、それで出て行くと、じゃあ、選んでください」


「え?」


「泉岳きらりとりお先輩をくっつけるか、完全に切り離すかして、退場してください。貴方はりお先輩とあやをくっつけました。辞めるのであれば、正しく整理してください」


よしとは、今度は即答した。


「切り離します」


「わかりました。それでもう関わらないでください」


さやは、180°旋回して、帰って行った。


「そうだよな」


よしとは、りおの自由意志を尊重するあまり、自分はこのままフェードアウトするのが正しいと思い込んでいたが、いまいち自信が無く、さやに言われ、心を鬼にして泉岳をキープアウトしないと終わらないと考えを改めたのだった。


すっかり冬の足音が近づいて来た。木の葉は落ち、枯れ木のような木々が寒そうに見えたり、強かに見えたりするのは、つまり見る人の心のほうではないか。枯れ木が寂しそうに見える人は、寂しいのではないか。


教室に戻ると、よしとは、


「泉岳」


と、きらりに声をかけた。


きらりは無言で、よしとをキョトーンと見た。


何も言わないきらり。


「聞いてた?」


きらりは無言で、逃げた。


そして、自分が所属する女子連に混じって行った。


「泉岳。あれ黒幕だから。絶対無視しろ」


「私達、泉岳の味方だから」


「群れの中にいろ」


「神楽さんとの事も、ほどほどにしろ」


よしとが女子連に向かって歩くと、「きゃあぁ!」と言って、女子連が群れをなして逃げた。よしとは『禁断の交わり』の黒幕に祀られていて、「洗脳術を駆使する」と誤解されていた。きらりも、総合的に判断して、これ幸いと女子連に保護されていた。




田原えみかが、


「前田く~ん。前田君はもうやるべきことを終えたの~」


と言う。


中嶋ゆずが、


「ま、前田君。ま、前田君はもう手を汚さないで、ほ、欲しいの!グフゥッ!」


と言う。


園崎は、


「何かテツガクがあるんだよな!」


と言った。


横山みずきは、両腕でバッテンを作って、よしとに見せた。


これまでの経緯を説明できる相手もなく、途方に暮れるものの、そんな心境を察してくれる園崎や、女子達の励ましで、少し心細かった感覚も癒されるのだった。さやに言われた事は、一旦、守れそうにない様子だった。




さやは、教室に帰ると、あやに言った。


「大事な話があるの♡」


あやは、


「『いいよ』」


と言った。りおの口癖の「いいよ」。


「今日だけ♡」


「さやの『今日だけ』は滅多にないから『いいよ』」


「銀ダコ♡」


「うん!銀ダコ好き!」


「よーし♡じゃあ今日は文芸部欠席だ♡」


あやは、友達のさやが折り入って頼みがある時は必ず応じるようにしてきた。今回も自分に重大な話があるに違いないと思った。


さやは、もしかしたらあやが自分に転がり込むかもしれない今日という日を、一切しくじれない感覚と共に迎えた。




放課後、二人は歩いて長空駅前の銀ダコへ向かった。道中雑談もするが、あやはさやの打ち明け話が気になって、少し会話に間があった。さやも、自分の打ち明け話に心がいっぱいだった。


あやとさやは一人前を注文して、出来立てのたこ焼きを持って客席に座る。


さやは、


「オープンスペースマン参上♡オープンスペースで何でも会話するぞ♡」


と言う。


あやは、目を見開いて、たこ焼きを食べながら「なんだろうな?」と思って耳を傾けた。


「りお先輩、浮気してます!」


あやの口の動きが止まった。


「こちらをご覧下さい!」


そう言って、りおが映っている修学旅行の写真を見せた。


一枚、一枚丁寧に。


あやが、軽く首をかしげながら、ゆっくり口を動かして、続きを噛み始めた。


「撮影したのが、コイツだ!」


今度は、きらりの上半身裸の写真だった。自分にもない大きな乳房がで~んとエロティックに撮影されている。かなり凝った一枚だった。誰がこんなものを好き好んで撮影したのか。


大きく首をかしげる、あや。


「泉岳きらり!」


「そして!」


再び口の動きを止める、あや。


次の一枚は、りおの携帯電話だった。よく見ると、きらりの裸体の写真が画面に映っている。要はきらりの裸体を、りおが撮影したのは間違いなさそうだった。


ゴキュン!


あやは、たこ焼きを飲み込んで、わさびの固まりを食べた人のように泣き出した。


「りお先輩♡泉岳きらりと肉体関係です♡」


あやは、小さく頷きながら、


「りお」


と声を捻りだして、泣く。


「りお」


すると、急にガタンと立ち上がって、さやに


「バーカ!」


と言った。


そして、たこ焼きとさやを置いて、ズカズカと退店した。突然嵐のような剣幕で、店を出て行き、その場に居合わせた衆目も「何が起きたんだろう?」という状況だった。


さやは深く呼吸をして、とりあえずここであやが自分のものにならなかったことを受け入れた。しかしこうしてはいられない。次の作戦に移らなければ。


さやは、携帯電話のアプリを開いて、銀ダコにりおを呼んだ。


「マイピクチャ解放」


とメッセージを送ると、すぐに既読がついて


「何をしているの?」


と返ってきた。


「銀ダコに来てください」


と送り、さらに問題の画像2件をトークルームに添付した。


「あやに見せました。これ浮気相手の泉岳きらりですね。りお先輩が撮影した証拠も」


するとりおから、


「いまいく」


と返ってきた。りおが来る。


あやに「バーカ」と言われて退店されてしまったのは、若干予想外だったが、りおの呼び出しには成功した。さやは、あやとりおを対決させて結論を出してもらおうと思った。そのうえで漁夫の利として、あやを手に入れることができると、まだ思っていた。


さやは、


「ごめん、りお先輩呼んだ」


と、あやにもメッセージを送る。


あやから


「いま戻る」


と直ぐに返ってきた。これで戻って来るだろう。




店員が


「大丈夫ですか?」


と言うので、


さやは、


「すみません♡」


と言う。




りおが自転車で駆けつけてくると、さやは、


「りお先輩の携帯電話を勝手に撮影してすみませんでした♡」


と言う。


りおは、怒った様子で、


「なんで?」


と聞いた。


「先輩、パスコードを声に出して読み上げた日があったんです。353232って♡」


「えぇっ?」


「ダメですよあやと付き合ってるのに♡」


「きらりはただの友達!写真は身体検査!」


「わかりました♡」


「わかったんだ?」


さやは


「はい♡」


と言うと、アプリで録音した、りおの肉声を再生した。


『きらりはタダの友達!写真は身体検査!』


りおは、少し動揺して、


「これをどうするの?」


と言う。


「この録音データと画像は拡散します♡」


さやにとって、そのような反道徳な行為をすると言い、脅して、事態を有利に進めるのは内心不本意だった。誰だってプライベートを暴露されたくなし、されない権利を持っている。ただ、りおのしている事は許し難かった。あやは、りおが好きなのに、りおは二股をかけている。


すると、戻ってきたあやが開口一番に、


「黙れ!このデバガメ野郎!」


と言う。


あやが、戻ってきた。


「りお!」


あやは、りおを見ると、


「なんで仲良し?」


と言って、何かボクシングのようなジェスチャーをした。


あやは、要するに「デバガメ野郎」に格下げされたさやと、りおが何故仲良さそうに話し合いで決着をつけようとしているのか理解できない様子だった。


あやは、またしても哀しそうに、


「うわあぁん!」


と言って、再び帰って行った。




りおは、あやの心が自分から離れていないと見るや、


「これで終わったと思うなよ!拡散してみろ!」


と強気に言い放つと、


「訳ないぜ!身体検査くらい!」


と、きらりのような口調だった。


さやは、


「わかりました♡」


と言って、りおの目の前で自分の携帯電話の当該データを消した。


「消しました♡薄気味悪い♡」


さやは、自分の善悪の基準が通用しないことに苛立ちを感じたが、一部自分でも反道徳だと感じる行いをしていたため、やり切れなさもあるが、ここで諦めた。


さやは、


「あやが好き♡」


と言って、このままでは酷い噂話になってしまうであろう、あやを慮ったのだった。


りおは、


「やってくれたな!」


と言って、店を出た。さやのした事には怒り心頭だったが、隠し事をしていたのも事実だ。何とかしてあやに説明しなければならない事態になったが、自分りおの自由を剥奪された憤慨もあった。きらりは女性同性愛の理解者で友人であり、あやとは別の意味で必要な存在でもあるからだ。


この嵐のような日が次の嵐を呼ぶことになるのだが、まだ誰も知らない。


2022年11月30日。翌朝も、さやは健気に登校した。しかし自分の行いが否定されたことで傷ついていた。あやは手に入らなかったし、りおも反省していない様子だった。自分だけが、除外された気持ちだった。自分の善悪の基準が、あやに言わせれば「デバガメ行為」という一抹の反道徳のせいで、台無しで、目も当てられないと悔やんでいた。


朝からあやとさやは一言も話さなかった。あやとさやに会話が無いことは、特に誰も気にならない様子だったが、状態が長引けば不思議に思う人も出てくるかもしれない。


昼休みの教室にも、あやとさやはいた。あやは文芸部の部室には行きたくなかった。校内でりおに遭遇するかもしれないが、そのような事は今のところ無く。あやの携帯には、りおから大量のメッセージが来ていた。しかし、あやは未読のままにした。突然の嵐のような展開に頭が疲れてしまっていた。恋人が、泉岳きらりという人物と肉体関係にある事も耐え難かった。友人のさやも、このまま失うのだろうか。


しかし、あやは、内心では一晩冷静に考えて「さやを責めるのだけは違うな」と思っていたのだった。「教えてくれて、ありがとう」とまでは言えないが、放置できない問題が発生していた事を知らせてくれたのだから。さやが、ずっと下を向いて、どんな顔をして話しかければいいのか分からない様子でいることも、心がチクチクした。


あやの交際の基準は、さやの交際の基準に近く、りおのしていることは浮気で間違いない。りおには、心を痛めてもらいたい。直ぐには変わらないりおの交際の基準をどこまで受け入れて今後交際するのかを、考えなければならない。りおは、そもそも心を痛めていない。バレなければやって良いと思っていたかどうかすらも怪しい。何がイケないのかと思っていそうだ。最低限きらりとの関係は断ち切ってもらいたいし、交際の基準も自分に少し歩み寄って貰わないといけないと思っていた。


昨日は、さやの「デバガメ行為」が絶対に許せない勢いで「バーカ」と言った。


あやは、さやの席へ歩み寄って、


「昨日、ゴメンね」


と言った。


さやは、すぐに顔を上げて嬉しそうにした。


「あやちゃん♡」


あやは、花火の夜に『裏切らない』と言ったことを思い出した。


「さや」


「なに?」


「『あや』と呼べ」


さやは、スクッと席を立ち、両手でハートマークを作って、


「友達記念日♡」


と言った。


あやは、ハートマークの両手をジッと見て、


「裏切るな」


と言った。


あやには、やるべきことがある。りおの恋人は自分であり、きらりは打ち負かさなければならない仇敵である。 

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