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第17話「修学旅行 後編」

修学旅行最終日。帰りの新幹線に乗るため京都駅に集合した長空北高校2年生は、土産物の売り場で買い物をしたり、座り込んで疲れを癒していたり様々だった。


「りお、何買った?」


「きらり、近い」


泉岳きらりは、神楽りおにくっついてベタベタしていた。最終日のバスツアーは常にそうだった。はち切れそうな性欲が顔に出てニヤニヤするきらりと、それに巻かれつつ「きらり」と呼ぶ、りお。


「曾根崎心中キーホルダー」


そう言いながら、曾根崎心中キーホルダーをきらりに見せた。


「誰に?」


「あや」


きらりは、手を叩いてゲラゲラと笑った。


「いいねぇ」


きらりは携帯電話を出して、カメラアプリを開いた。


キシィッ


曾根崎心中キーホルダーを手にとって見せるりおの姿を一枚撮影した。


「またエッチしような」


りおは無言で下を向くと、きらりは、携帯電話をかざして、


「いつでも連絡しろ?」


と言った。そしてりおの肩を叩いてまたベタベタした。


きらりは、浦川辺あやの恋人と肉体関係になっとことが、度が過ぎた悪戯で愉しい気持ちと、りおが可愛らしいという気持ちが合わさって、異様な絶頂感があった。昨晩の事は、そのうち周囲に勘付かれるとしても、好きな女の子とベタベタする今が心地よかった。


りおは、あやに申し訳ないという気持ちは、不思議と無かった。あやは恋人で、きらりは新しい理解者の友達。前から好きだったみたいに仲良くしてくれるきらりの存在で、女性同性愛者という自分のセクシャリティに自信が持てる感覚を大事にした。




田原えみかは、中嶋ゆずに、


「中嶋さ~ん。念のため私と友達になっておいてくださらない~?」


と言って、携帯のアプリを開いて見せた。


中嶋は、


「え?あ、た、田原さん。ふへへへっ、ありがとう。まぁ、メッセージなら、うん、ちゃんと喋れるから、グフゥッ」


と言って、連絡先を交換すると、早速「友達になってくれてありがとう」とメッセージを送った。




横山みずきは、彼氏である園崎に哀しそうに言った。


「新たなカップリングが生まれているけれど、友情だから」


園崎は、


「俺達は一生このままだ」


と言った。


みずきは、そういう事が言いたいのではなかった。ただ、りおときらりが明らかに昨晩を境にベタベタしていることを、前向きに受け止める手伝いをして欲しかった。「友情の範囲は案外曖昧で俺達は肉体で語り合うことを選んだ稀有な存在なんだ」とかいつもの園崎節で励まして欲しかったのだ。


帰りの新幹線で、きらりとりおはひたすら雑談をしていた。途中でりおが「眠くなった」と言うと、きらりは「いいぜ?昨晩は『俺の』パイオツに忙しかったからな」と言って、眠りに落ちるまでの様子を満足気に観察する。


「泉岳さ~ん」


えみかが泉岳に話かけて来た。読んでいた英単語帳をパタンと閉じて、りおを挟んで一つ隣の席から、まっすぐ泉岳の目を見て話しかけてきた。


「勉強頑張りまりましょ~う。受験は平等で~す」


ぽか~んとするきらりを尻目に、再び単語帳を開いて読み始めた。要は、受験勉強に支障が出ないことを祈っているのだ。


きらりは、


「よし!私もアプリで英語やろう」


と言って携帯電話を出すと、


「その前に一枚」


と言って、眠ろうとするりおの顔を撮影した。




キシィッ




そして、


「私も頑張って勉強ができるようになるからな」


と言って、アプリを開いたのだった。これからも友達としてやっていくために、確かに受験勉強のお荷物になってしまうようでは良くないと思うのだった。




修学旅行から帰ってきたりおは、学校で、あやに曾根崎心中キーホルダーを手渡した。いつものように、文芸部室で昼休みのお弁当を食べた時だ。あやは「自分も来年行くから」と言って、どんな様子だったか根掘り葉掘り聞いた。あやも、大阪は小学校以来に行ったことがないので気になるようだった。りおは、一つひとつ丁寧に話した。もちろん、きらりとしたことは秘密だった。やはり不思議と後ろめたいという気持ちも無かった。


女性同性愛者として生きる自分の孤独を晴らしてくれる存在の片方を受け入れ、片方を拒む。それがあやの恋人として正しいことだと思いつつ、その正しさに拘束されることは嫌だった。修学旅行という非日常が生んだ関係性を大切にしたかった。みずきとも、えみかとも違う、女性同性愛の理解者で友達のきらりを失いたくない気持ちが勝った。その権利性が、あやへの後ろめたさを完全に打ち負かしていた。


「大阪のお土産だよ。曽根崎心中キーホルダー」


「あ、あはは!いいね!曽根崎心中のキーホルダーかぁ!和風過ぎて逆にエキゾチックだな!ありがとう!」


安穏とした日常で、恋人がお土産を喜んでくれることも、本来なら有難い事なのに。りおは、突然できたもう一人の理解者が、天秤のもう片方に乗っかっている状態に特有の薄情さがあったかもしれない。もっと、喜ぶあやに、喜んでもよいのに。


りおは、


「同性愛の理解者をもっと他に欲しいなって思う時はないの?」


と聞いた。


あやは、キョトーンとして、


「どういう意味?」


と聞き返した。ただ、同じクラスで友達の雛菊さやが、自分あやに同性愛の好意を寄せたうえで仲が良い事や、りおには隠しているが過去花火大会に一緒に行った事など考えたら、もしかしたら、今りおはさやの事を言っているのかなと思って、


「友情と愛情は別かな」


と後から取り繕ったような事を言った。


りおは、


「そうだよね。理解してくれる友達って大事だよね」


と言う。


あやは、お互いがお互いでは埋まらない心の部分を、それぞれの友達で満たしている事は当然の事だと考えていた。そのうえで友情とは別物の愛情があり、その相手として恋人がいるのだと思うのだ。何の不思議もない、いつもの会話だった。


あやは、


「修学旅行で新しい友達ができたの?」


と聞いた。


りおは、


「そうだよ」


と言って、話を終わらせた。りおは、心の中で自分自身の善悪で隠し事に審判を下す必要も、これで無くなったと思ったのだった。きらりは理解者で、していることは友情だから。


あやは、そういえば花火の夜に、さやに同性愛を打ち明けたことを思い出した。あれから友情に徹してくれるさやのおかげで学校生活が成り立っているし、りおとの交際も、成り立っている。さやは、男子を好きになったり、他の女子を好きになったりしたのだろうか。そういった話題は一切無かったなと思い起こした。




あやがクラスに戻ると、さやが、


「あやちゃん♡りお先輩からお土産は何を貰ったの?」


と聞いてきた。


あやは、曾根崎心中キーホルダーを手に取り、かざして、


「曾根崎心中キーホルダー」


と言った。


さやは、


「え?それお土産で貰ったの?りお先輩から?」


と言う。


あやは、


「確かに和風過ぎて逆にエキゾチックだけど、こういうの買いたくなる気持ちでいっぱいだったんだと思う。プレゼントって気持ちだから」


と言う。


さやは、強烈な違和感を覚えたのだった。日頃東京人は、特に高校生であれば関西地域に飛んでいくことなどまず無いのだから、もっと当たり障りのない京都や大阪のお土産で構わないはずなのに、なぜ曾根崎心中キーホルダーなど買ったのだろう。


あやは、さやが怪訝そうな顔をしているので、「じゃあね?」と言って自分の席に戻った。


さやは、無言で教室の外へ出て行った。


あやは、自分の席に座ったまま、


「もうすぐ授業だよ!」


と声をかけたが、聞こえていないのか無視だった。あやは、珍しく何を考えているのか分からないさやの態度に首をかしげるものの、さやにも、さやの感性があるのだから仕方が無いのかなと思った。


昼休みの終わり際に、教室棟1階の廊下を早歩きで歩く。思えば、秋も深くなり、孤独が背中にへばりつくような日もある。さやは、男子を好きになる事も、他の女子を好きになる事もなく、あやの友達の立場を貫いては、あやから信頼され、笑顔を共にしてきた。


さやは、廊下を歩いて女子トイレに行き、洗面台の鏡に映った自分の怪訝そうな顔に向かって、


「曽根崎心中キーホルダー?」


と尋ねてみた。さやは、もっと当たり障りのないお土産を、あやへ送って欲しかった。りおは愛情を物体の隠喩で伝えようとしているように思えた。


怪訝そうな顔が一層険しくなって、鏡に映った顔は、歪んだ。


鏡に映った歪んだ顔は、


「なんということだ!あのようなおもちゃで心と心が一体だと言うのか?」


と言う。恋人として、離れ離れになりたくない気持ちを、あのような小さなキーホルダーに擬えて伝えたつもりでいるのかと思った。


さやは、顔中に怒りが噴き出し、瞳孔が揺れた。


立っている足の裏の感覚が薄れてきた。


憤怒で変形した顔が、


「ほう!それが憎しみの感情なのかい?」


と言う。りおが、あやを物欲の人間と誤解しているような気もした。さやも、同じクラスであやを見てきた。あやは、さやの気持ちを受け入れたり、突き放したりする。あやは、正しく心と心を向かい合わせる人物だから、なぜりおは安物のキーホルダーで関係性を表象したくなったのか謎だった。


さやは、今度はあやの嬉しそうな顔を思い出して、涙が出て来た。


さやは、


「魔法なんてないの♡」


と返事をしてみた。


この日を境に、さやは、あやとの時間をりおに譲る事を一概には善しとしなくなったのだった。もちろん、りおを恋人と考えるあやを最大限尊重したい。しかし、あやにとって相応しい人物という考え方に傾倒するようになっていった。そして、それが自分さやではないのかという野心になったのだ。 

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