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第13話「音」

秋が来た。風と共に舞う落ち葉の独特の幻想は、恋人のシルエットを手に入れた者だけに特権のような季節だ。目に映る情景を美しいと思える権利のような恋人。しかし、浦川辺あやは、恋人とは、恋人であることではないと思っていた。恋人とは、隣にいる体温が自分に憩い、自分もその体温に憩う、感覚の貼りついた二人とは、自ずと互いの凹凸を噛み合わせて恥じらわないものだと思うのだった。


「浦川辺さん、2年生の神楽先輩と付き合っているんだって」


神楽りおは、学校で一番美しい人物が隣にいて、女性同性愛者であり、自分の同性愛を片時も肯定してくれることが嬉しく、頼もしかった。


「今年の新入生で、元子役で有名だった子が女の子同士で付き合っているんだって」


あやは、この万が一自分達を祝福しない雑踏が何も怖くなかった。異性愛を基軸とする現実世界で同性愛者に衆目とは本来気楽なものではない。しかし、そんな恐れより、いま自分を許す体温と共に歩く安心感が大切だった。


りおは、


「女の子が好きって、どういう好き?」


と言う。ずっと聴きたかった事だ。女性同性愛者の外観を持つ者は、その内心に立ち入れば様々なカテゴリがある。ずっと一緒に居られる者かどうか、しかし率直には聞けないだろう。りお自身、あやと一生一緒にいるなどと今から考えてはおけない。


しかし、あやは、


「恋人って意味!」


と即答するのだった。りおは、あやの短慮な所は、自分には無い特長で、それ故、何も恐れない声で励ましてくれるから好きだった。


「それじゃあデートしなきゃ、私達恋人だもの」


あやは、この泥土のような優しさが好きだった。異性愛を基軸とする現実世界が同性愛者の二人を理解し、居場所を与えることで、さりげなく実現した二人が互いに憩う時間は、やがて心の造詣の違いを見せつけ合う時間へ変容し、それが魅力という感性になるのなら、好きという言葉を綴って差支えないだろう。


二人は、その次の土曜日にデートで長空市内の商業施設にある映画館に行った。待ち合わせの時から会話が弾み、学校とはまた違う二人の日常が形成されていく。まるで未来永劫このような建造物で暮らしていくのかと思えるほど雄大に合成される。二人が視たのは「ナイフの月」という恋愛映画だった。恋人と死別した男性に恋をした女性の話だった。男性は死んだ恋人のゴーストに出会うも、ゴーストは男性を死後の世界に連れて行くためではなく、現世を応援するためにやって来たと言う。しかし終盤に向かうにつれ、様々な事で上手く行かず自分を見失った男性に、ゴーストは本当に辛くなったら想い出の場所に行って欲しいと言う。その場所で男性を死後の世界へ連れて行くと約束をする。女性は男性が心を開くのを待ち続ける。男性は置き去りの優しさの一つを捨て、一つを選ぶことになる。




視聴後の喫茶店で、楽しく会話をする二人。


あやは、


「小説の参考になった?」


と聞いた。あやは、確かに上から目線かもしれない。自分は元子役・芸能人だった。ドラマにも出演したプロだ。りおは、これから小説家のプロになりたい。あやにとってりおとは、その健気な背中を応援する客体だった。それはそれとして、自分の心に必要なもう一つの心と、そこに同梱された様々な精神の一つひとつを、愛していきたいという目線だ。




りおは、一つひとつの言葉や問いに答えながら、 


「何度か相談に乗ったけれど、あやは本当は芸能界に戻りたいのかなって思う時がある」


と言った。りおは、少し嫌な言葉かと思いつつも故意に言ったのだった。あやの心の扉、閉ざされた内側の扉を叩いて。互いの心の造詣の違いが魅力という感性になるなら、好きという言葉を綴って差支えないだろう。


「全くない!」


あやは、自分の事は相変わらずだった。確かに才能の限界を受け入れて中堅どころでも図太く居座って生きることは必要な精神だとは思う。しかし芸能界の外の世界は、あまりにも安穏としていると思うのだった。


あやは、


「月をテーマにする詩を書く」


と言った。りおが、思い出したように夏休み中ほとんど会えなかった事、受験勉強が忙しくて「ごめんね」と言うと、あやは、嬉しそうにした。あやは、少し考えて、りおのような優しい言葉を言いたくて「無理に何度もデートするより、ずっと大切にされている気がする」と言ってみたのだった。りおの心の扉が、さらに内側の扉が開くと思って。


ある日、学校の廊下を二人で歩いていると、りおは、


「私の何が好き?」


と言った。あやは、知的さと優しさだと答えた。りおより、もっと賢い人はいるかもしれない、優しい人もいるかもしれない。でも、りおを手に入れたいと思って、逸る気持ちを抑えきれず、


「りおより勉強できる人、腹立つ」


と言った。あやは、自分の短慮さに気がつかないこともないが、そのような自分の特長が、りおと一致しない自分の個性で、むしろ関係性を牽引する力ではあると思う。


しかし、りおには、あやの拙速な所が、確かに一抹の不安も連れてくるのだ。女性同性愛者といっても、その内心に様々なカテゴリがある。好きとは恋人だという事、では恋人とは何なのか。恋人とて自分とは違う人物とは、根本的にシークレットで、知ろうとすれば煙のようだと、りおは思う。


「小説家を目指しているから好きなのかと思った」


これには、あやは、驚いた。ただし別に構いはしない。好きと言う気持ちが本当にそのように伝わってしまっていたとしても、時間が何度でもチャンスをくれるのも恋人だから。ただ、意地悪な事を言われたのかと思い、りおの眼に映る自分を無性に確認したくて、りおの腕をグイと掴んで、顔を覗き込んだ。




りおは、あやの反応に驚いた。


「そんなに焦らないでも大丈夫。私達しかいない世界だから」


あやは、これが些細な嘘であることを知らない。あやは、りおの両眼に映る自分にまた会うことができることを確信していたが、このわだかまりにもならない感じを今りおから受け取った意味に気がつかなかった。


それからまた順調な日常の中で恋人の関係性が築かれていく。




中秋の月夜。ある日の文芸部の活動の後、あやは、神楽家の近所の公園まで、一緒に帰った。恋人らしく見送るために。


りおは、


「日が落ちるのが、すっかり早くなったね」


と言う。


あやは、


「りおは、いまどんな小説を書いているの?」


と聞いた。りおは、飢えた乞食が、カラスに、なけなしの食べ物を取られそうになったとき「やめろ」と言うと、カラスが乞食に食べ物を返す話を書いていた。その乞食が、その後結局餓死寸前になるのを見計らってカラスがまた飛んできたときに、「分け与えるというのはどうだろうか」と言って、わざと自分の肉を食べさせる。カラスは乞食の魂を大切に持ち去ると、魔導士の魔法で一つになって、獰猛な戦士へ生まれ変わり、私腹を肥やす貴族や豪族に、復讐とばかりに討ち入る。


あやは、嬉しそうに聞き、こんなに優しくて賢い人はいないと思うのだった。


りおは、


「獰猛な戦士は自己犠牲のお姫様に出会って変わるんだよ」


と言う。


あやは、少し気になって、


「自己犠牲のお姫様はどんな人?」


と聞いた。りおは、また楽しそうに話をするのだった。出会った頃のように、文芸部の活動が二人の時間を巻き戻して、何度でも、打ち解け合ってはしゃいだ日を連れて来る。文芸部の先輩と後輩だった螺旋階段の始まり。


そして、しばらく二人で見つめ合っていた。


春に桜が咲き乱れる日も、真夏の暑さの日も、風景画のような秋も、こうやって目と目で通じ合った。恋人になって、またやってきた公園で、秋の月夜。


あやは、心を落ち着けて、


「いいよね」


と言って、りおに顔を近づけた。りおが、拒まない事を知っていたかのように。


二人きりの公園で、月が、私達を許してくれる。そして、二人はいつまでも唇を重ねて、一つになっていた。りおは、生まれて初めて訪れる瞬間を、頼もしい恋人と共に迎えることができたのだった。互いを行き交う感覚が一つになるまで、重なり合ったまま、夜は二人を優しく包む。


呼吸が、二人を少し、引き離して、りおは、


「大丈夫」


と言った。そして唇の輪郭を見つめ合った。


あやは、顔を赤くして、また唇を重ねた。


月が、私達を許してくれる。


「そして貴方はまた優しい目になるの」


風も優しく吹き抜ける。


「あやとのこと、知っている人増えたから、大丈夫」


あやは、月日を重ね、ここで心と心を重ね合うりおを美しいとさえ思うのだ、容姿の優れた自分から「美しい」と言ってはいけないのだろうと思いながら。


月をみて不意に涙するのは


今も昔も変わりません


故郷に喩えるひともいます


あなたは何に見えますか


いつかその人に会えますか


文芸部に入って半年と少し、あやが、やっと書けた月の詞。


心と心を、証明するために肉体があると言って、月が私達を許してくれる。


互いに憩う感覚の貼りついた二人が恋人だとして、凹凸が時に音を生んだとき、愛情の原形が次に生すべきことを教えてくれるものだとしたら、困難とはなんだろうか。 

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