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第12話「花火の夜」

2022年9月18日の夜。浦川辺あやは、家で夕食を済ませた後、自室のベッドで仰向けになっていた。土日二日間かけて行われた文化祭が円満に終わった。部屋の明かりが煌々とする中、携帯電話のアプリを開いて、今まで雛菊さやに送ったメッセージを、指先でスクロールさせていた。


「たこ焼き屋が繁盛して、すごく楽しかった」


それが、あやの率直な感想だ。大好きなたこ焼きを、さやと売り捌いた二日間。さやは、かけがえのない友達。


あやは、昼に25日の長空市花火大会に誘われたことを振り返っていた。ベッドから立ち上がって、部屋の白い壁に向かって直立した。そのまま壁を見つめながら、ボウッと背の低いりおの姿をイメージした。抱きしめた日の、赤いワンピース姿のりおの虚像を思い描いて、見つめる。


「りおと付き合っている」


もっとベタベタしたほうが良いのだろうか。もっと顔を近づけたほうが良いのだろうか。何度も二人で出かけたほうが良いのだろうか。悩みを打ち明け合ったり、心を開き合ったりしたほうが良いのだろうか。「欲しい」と言う情熱にまかせていても、実際は何もできていないのではないかと疑う。


可愛らしいりおの虚像が、笑ったまま手を振った。


さやとは、友達だと思って、する、様々なことを悩んでいた。りおにも友達がいて、お互いでは埋まらない心の部分を満たしている。ただ、出来上がった友情より、これから育てる愛情を選びたい。


「あんなに優しくて賢い人はいません」


そう、りおの虚像に言った。可愛らしいりおの虚像は、ボンッと消えた。


あやは、今度はさやのことを考えた。「りおに言うべきではない」と思った。さやの立場に立てば、交際相手であるりおに「一緒に行っても良いかな?」と相談することは、したくなかった。


「花火大会はさやと行こう。花火の夜だけ、恋人になって」


そう屈託なく思うのだった。そして、りおと交際していることをさやにキチンと打ち明けようと思った。これが一番正しいと、あやは思った。


あやは、さやに「長空市花火大会は二人で行こう」とメッセージを送った。


2022年9月20日。昼休み。あやは「一緒にお弁当を食べませんか?」と、りおにメッセージを送り、さやと三人で、文芸部の部室で昼食を食べていた。「珍しいね、一緒に食べたいなんて」と、りおが言うと、あやは、満面の笑みを浮かべて嬉しそうに「これからは毎日一緒!」と言う。さやは、「なんでだろう?」と思いながらも「りお先輩とも一緒に食べられて嬉しいです♡」と言う。


りおは、あやとこれから毎日一緒に食べられることを喜んだ。分かり合いたい気持ちの表れなんだなと思った。


あやは、あれから考え抜いて、昼休みだけは思い切りベタベタすることにした。もちろん、りおと。さやは友達で、それ以上でも以下でもない存在。


放課後。りおがメッセージで「長空市花火大会に行こうよ!」と誘うと、あやは「文芸部終わったら二人で話しましょう」と返す。しかし結局、二人で花火大会の話題はせず、互いの家路につく。


帰宅後。りおが再びメッセージで「長空市花火大会に行こうよ?」と誘うと、あやはスルーして「いつもありがとう!」とだけ返した。あやは、「用事がある」と嘘をつくのは嫌だったし、「仲の良い同級生と行く」のように嘘ではない範囲の言葉を伝えるのは嘘をつくより嫌だった。


やがて、りおのほうで「行きたくないんだな」と解釈して、


「こちらこそ!行きたくなったらいつでも言ってね!クラスの人達と行くね!」


とメッセージを送ったのだった。




2022年9月21日。休み時間に、りおは、みずきを長空市花火大会に誘った。


みずきは、無言で小指をピンと立てた。りおは、一瞬意味がわからなかったが、「彼氏?」と小声で聞いた。みずきは頷いた。彼氏で同じ陸上部投擲の園崎と行く予定だ。


「彼氏か」


りおは、「あやは1年生達で行くのだろう、察してあげられて良かった」と思った。思えば、よしとから言われたアドバイスを活かして、順調に進んでいる気もする。心の造詣の浅い深いで相手を選んでも仕方が無い。あやが触れていたいだけの気持ちだとしても構わないし、友情の延長のプレイのような同性愛でも受け入れたらいいだろうと、りおなりに思う。


りおは思い切って、よしとを誘ってみた。


「前田君。花火大会行く?」


よしとは、大きく頷いた。


「行く。田原と横山も誘おう!」


「みずきは行けないらしい」


「マジか!」


すると、みずきが歩いて寄って来て、りおに、


「彼氏、男子達で行くって。陸上部の貴重な男子会なんだって」


と言う。


「あ、そうなんだ?一緒に行く?前田君もいる」


みずきは、


「行く!えみかも行こう!」


と言う。


えみかは


「神楽さ~ん。4人なら行きま~す」


と言った。




2022年9月25日夕方。長空駅から南へ電車で一駅の駅で、あやとさやは待ち合わせた。駅から少し南へ行くと河川があり、更に東へ歩くと、花火大会会場の大規模グラウンドがある。行き方は何通りもあったし、さやは家から歩いていける場所だが、会場から一番近い駅で、待ち合わせた。


浴衣姿のさやが、改札出口で佇んでいると、日の落ちた空からやって来たように、猫が駅前の歩道を歩いて来た。黒猫が、浴衣姿の人々をかきわけて。


「あやちゃんかな♡あやちゃん、黒猫になっちゃってたりして」


と、さやは思った。幸せそうなカップルや、女の子の集団が、さっきから何組も行き来する駅前の通りを、ただ眺めていた。「もう一匹、後を追いかけて来るのかな」と思っていたが、黒猫は一匹でスタスタと歩いて行った。


俯いたままさやは、自分の中学時代を思い出していた。男子から告白されたことは何度かあった。そのほとんどが、お話したことのほとんどない人達だったなと、思い返した。煩わしいとまでは思わないが、いまいち関心が持てなかった。


「長空市立第三中学から来ました。雛菊さやです」


今年の入学式の後のホームルームで、自己紹介をしたことを思い出した。あの日から魅せられ続ける、魔性の正体が黒猫のようなあやだと、その一方で着実に歩んできた今までの時間が、裏切らない二人の関係性を、等身大の人物象を鮮明にしながら、強くしていく。


「私立堀川学園中等部から来ました。浦川辺あやです」


さやが、あやの自己紹介を思い出して、顔を上げると、嬉しそうに微笑むあやがいた。ちょうど今やってきたあやが。あやは、さやの肩を抱きしめて、「お待たせしました!」と明るく言った。いつになく高い声で。


浴衣と浴衣を介して、肉体と肉体が合成される感覚に、さやは目を閉じて、スゥっと息をした。そしてあやの心臓の音を探した。自分と同じ鼓動が、あやから伝わってくるかなと思って。


あやは照れながら、腕をほどくと「花火は50発上がるんだって」と言う。ほどかれた腕が寂しく空を過りながら、さやは、心の中で数えていようと思うのだった。それが、あやにとってなんでもないことだと思いつつ。


そして、雷のような音で始まった。長空市花火大会は開催された。会場は、大勢の立ち見客と、ビニールシートを敷いて見ている家族連れがいて、屋台もいくらか出ていた。


夏の終わりに、提灯の灯りが真っ暗な夜空と一つになって、花火は、同じ色をする人たちの胸に、一瞬の煌めきを見せつける。


あやは、さやに言わなければならないことがある。


さやは、花火の鮮やかな光を見て、


「髪の毛、金色の人は、怖い人だなって思ってた。周りを、寄せ付けたくないのかなって思って」


と話し始めた。


あやは、遮るように、


「今は違う」


と言った。


さやは、


「あやは違う」


と言うつもりだった。


花火は、見た人の心の中で、やがてどう描かれるのかを、まるで知らない。


「怒った?」


とさやが言うと。


首を横に振ったあやが、肩を寄せ合った。


「中学ではそうだった。私立の、芸能関係の人が多い学校だったから。高校は、違う自分になろうとして、公立を選んで」


一羽の蝶が、羽を休めているような、二人。




ドンッ


ドドンッ




「さや、私は、さやに出会えた」


「でも、ごめん。私、りおと付き合ってる」


「女の子が好きで、りおと」




あやは、さやに寄り添った。出来上がった友情の自覚と自負心は、返事を曖昧にしてきたことへの罪悪感を拭っていた。




ドンッ


ドドンッ




さやは、あやのピンク色の唇を、突然、奪った。


一羽の蝶が、羽を閉じるように、重なり合う、あやとさや。


あやは、確かに必要とする存在の尊厳を守りたかった。それが「花火の夜だけ恋人になる」という決心に打ち付けられて、さやの唇を唇で許したのだった。


さやは、


「全部本当なんだ。笑った顔も、怒った顔も、私を求めるときも、突き放すようなときも。あやは女の子が好きで、私が好き。そしてもっと好きな女の子がいた」


と、思った。


離れた唇は、追いかけることを禁じられているかのように、キュッと結ばれた。


あやは


「裏切らない」


と言った。




その後は、花火大会も後半戦に突入して、りお達の4人組は雑談に花を咲かせていた。


みずきが、


「本当に前田君誘って良かったよね。まずこのビニールシート。食事も買って来てくれるし。何より大学生の集団がいても全くビビる必要がない!」


と言うと、スクッと立ち上がって、


「トイレ行く人!」


と言った。


りおが、


「行く」


と言う。


「私は平気」


「俺は平気。神楽と横山、行ってらっしゃい」


そして、えみかとよしとの二人でビニールシートに座ったまま花火を見ていた。




ドンッ


ドドンッ




えみかは、


「前田く~ん。皆に食べさせてばかりいないで、自分も食べなよ~」


と言って、未開封の焼きそばのケースを自分の割りばしでトントンと突いた。よしとは「あると食べたくなるんだろうな」と思ったので、掃除機のように食べて見せた。ズアッと音がして、ほぼ一瞬で無くなった。


目が点になるえみか。口いっぱいの焼きそばに得意満面のよしと。


えみかは笑って「流石男子だね~」と言う。




ドンッ


ドドンッ




えみかが、


「前田君さぁ。神楽さん好きなの、知ってるよ?なんで?」


と言う。


よしとは、かなり悩んでから、


「応援している。明るい未来に行って欲しい」


と答えた。


えみかは、


「明るい未来~?」


「神楽さんが女の子が好きって言ってるのを知って、好きなんだ?」


「前田君。イイ男なのに勿体ない」


「私は、浦川辺さんと神楽さんを応援しない」


と饒舌だった。


よしとは、突然話し出したえみかに、


「いま戻ってきたらどうすんの?」


と苦笑いして、「やめてくれ」と言った。


えみかは、笑って、


「前田く~ん。自信を持ちなさい」


と言った。


よしとは、


「わかったってば」


と言った。


「試合は勝てたの~?」


「昨日トーナメントの1回戦、2回戦、3回戦まであって、無事勝ち抜いたよ」




しばらくして、りおとみずきが帰ってきた。


みずきが、


「コレに会って、捕まった!」


と小指を立てて、よしとに見せつけた。


「園崎か。そういうや俺、誰とも会ってないな。神楽。あと誰かいた?」


「いなかったよ」


「大変だったね」


「いいよ!」


残る花火を4人で見届けた。




その後、長空市花火大会は無事閉会した。明日になれば皆日常に帰る。非日常をくれた花火の夜。河川敷の大規模グラウンドを後にする来場者たち。




さやは、「駅まで送る」と言い、あやを駅まで送った。


あやは「帰りの道に気を付けて」と言って、今度はあやから、さやの頬にキスをした。


キョトンとするさやに、あやは「許してくれたお礼」と言う。


「彼女がみてたら怒るよ」


さやは、すっかり元気になって、


「友達記念日♡」


と言って、また両手でハートマークを作った。




それから、来る日も来る日も、あやは、りおと同じ時間を積極的に作った。昼休みだけでなく、文芸部の部室にいるときも。さやも、あやの理解者として、りおに時間を譲った。部活も、夜遅くまで二人で残って、真っ暗になるまで、お互いを語った。


恋人が、友達に負けてはいけない。あやは、出来上がった友情より、これから育てる愛情を選んだ。本当に愛おしいと思える人を、選んだのだった。りおに対する愛情の幼体は着々と育っていた。女性同性愛者として、はじめて出来た大切な恋人を離さないように。ただ容姿の優れた自分が全力で愛せば、愛すほどりおは心を開いてくれると思った。そこは相変わらずだったし、それが慢心だとは思わなかった。幸せは必ず分かち合えると思っていた。 

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