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第10話「魔法使いと赤い鳥」

2022年8月20日。神楽りおに、男子バレー部員として活躍する、脚力も、腕力も、自分の恋人には不要であることは、間違いなかった。前田よしとに比べたら、遥かに華奢な女性の肉体で、自分と触れ合う浦川辺あやのほうが、りおには根本的に強靭な恋愛対象なのである。


「心の造詣の浅い、深いでやることではない」


あやが、触れていたいだけの気持ちだとしても、それを大切にしたい。それでいて相手の心を包んでしまおうとしてはいけない、迷い込んだ美しい鳥のための鳥籠になってはいけない。


りおは、携帯電話を取り出した。


毎日、あやとメッセージ交換をしている。


「りお先輩。今日は家族で中華料理を食べに行ってきました。楽しかったです」


「教えてくれてありがとう。楽しかったんじゃ良かった」


あやが、その日一日がどんなだったか簡単に話す。


りおが、教えてくれてありがとう、と返す。


そんな単純なやり取りを毎日ずっと繰り返してきた。


メッセージの字面を指先でスクロールして眺める。


夏休みが終わったら、すぐに文化祭がある。文芸部はたこ焼き屋をやる。去年は1年生だったから、当日家庭科室で調理をしていればよかった。今年は2年生で、実質、文芸部のまとめ役だ。スーパーで市販の小麦粉やキャベツを買うのは前日だが、今年は豆腐と米粉のたこ焼きにも挑戦したいなと思った。


一度屋台のたこ焼きを研究するのもアリだと思った。りおは指先を走らせた。あやはたこ焼きが好きだ。おそらく喜ぶだろうと。


「今週か来週で空いている日があったら、一緒に『たこ焼きミュージアム』に行って、研究を手伝って欲しい!お願い!」


一抹の緊張も、返事は直後だった。


「30日!」と返ってきた。


りおが「お願いします!」と返すと、大きなハートマークが返ってきた。思えば初めてのデートらしいデートだ。りおは10日前から、少し緊張した。あやは、誘って貰えた事が嬉しかった。




2022年8月30日午前。長空駅改札内に集合する二人。行き交う人々の服装も夏そのものだ。男性も女性も、自分のセクシャリティを主張することが多い季節ではないか。


あやは、


「今日も可愛い服で来てくれましたね!」


と言う。


りおは、思い切ってワンピースを着ていた。薄い赤が穏やかな色彩の、華美ではない、かといって地味でもない主張のあるワンピースだった。あやは、花柄の姫系ファッションだった。ピンクと白の色彩に身を包んだ、夏らしい恰好だ。


りおは、照れくさそうに、


「花柄が綺麗だね」


と、あやのファッションを見て言った。自分のために着て来てくれたのかと、りおもあやのために着て来たから、自然とそう思うのだ。


あやは、


「行こう!」


と言って、りおの手を引っ張った。


駅のプラットフォームが、熱気を帯びて、真夏に違いない暑さの中を、女の子が二人、小さな旅路を行く。飲料水の自動販売機が、暑さの中で立ち尽くすサラリーマンを連想させるほどに暑い。そんな暑さをものともせず、二人は日常から離れた世界観を楽しんでいた。


たこ焼きミュージアムへは、電車で30分かかる。


乗り換えは1回。


トウキョウ♪リンカイ♪コウソク♪テツドウ♪リンカイ♪ラ~イン♪


車内のアナウンスに笑みがこぼれる。まるで二人しかいないかのような、混雑車両。普段乗らない電車と向かう先。冒険心のドキドキを胸に、二人の心が、強く合成されていく。


「りおは本当は男の子が好きなのではないか」という悩みを、些細な事だったと感じられるほど、二人きりの時間を行く表情が、さながら特急列車のように、振り切っていく。


降車駅も、人で混雑していた。家族連れ、カップル、大学生と思しき集団などいる。駅のエスカレータを抜け、改札口を通って、駅に接続された大きな商業施設の中へ入っていく。さらに歩いて10分の所にたこ焼きミュージアムはあった。


綺麗なテラスに、本場大阪の屋台がズラッと並んで、職人が腕を競うような、面白さがあった。テラスはフードコートになっている。アミューズメントのような華美が小さな旅でやって来た二人を出迎えた。そして、あやとりおの心を掴んだ。


「大阪の職人さん!」


本場の職人の腕捌きが、かつお節が目に入るようで、眩しい。


「買って帰ろう!」


「食べよう!」


二人で職人の手の動きや、レシピをメモしていると、職人は笑っていた。


「地上の楽園だね!」


テラス席のテーブルに向かい合って座る、二人。


りおが、


「連れてきて良かった」


と言うと、あやはテーブルの向かいから手を伸ばして、りおの手に重ねた。


「なに?」


「握撃!」


そして、りおの手を力いっぱい握った。


「それ『握撃』って言うの?」


と、りおが首をかしげて聞いた。


あやは、手を引っ込めた。


「漫画?」


と、りおが追求すると、あやは言う。


「小学2年生の頃、好きな子と大阪でたこ焼きを食べて、たこ焼きが大好きになった!」


「男の子?」


「うんと子どもの頃は、普通に男の子好きだった!」


きっと、その男の子の技だと、りおは思った。


すると、あやは、テラス席の向こうを指さして、


「この後、観覧車も行かない?」


と言った。


指先の向こうに観覧車がある。りおの丸眼鏡に、映る大きな観覧車。恋人同士と言えば、たとえばあの大きな観覧車の中で心を重ね合わせるように、ひと時を過ごすものだと、誰しもが連想する。


りおは、


「行こう」


と静かに言った。私達は恋人のようだ。あやは気持ちの延長で自分りおと触れ合っていたいだけなのか、疑念が幾ばくか影を落とす時があるものの、ここまで仲良くなれた喜びも大きかったし、心の深浅でやる事では無い。


その後、二人は、商業施設内にあるアミューズメントのコーナー、アトラクションを順繰りに見て回って、夕方になる頃には一通り遊んだ。


これから観覧車へ向かう道で、家族連れや、カップルが縦横に行き交う。


あやは無言で、りおの顔を覗き込む。


りおは、


「どうしたの?」


と聞いた。


少し間を置いてから、あやは、


「文化祭当日は店子のほうをやりたい!」


と言った。


「あぁ、なんだそんなことか。売るほうをやりたいのね」


「売れると思う!」


あやは、そう言って後ろ髪をシュパッとなびかせて、見せた。


りおは、少し疲れていた、体力が違うからといえば、その通りだが、あやとこんなに沢山時間を共にしたのも思えばはじめてだから。そして、あやの一挙手一投足に、同性愛の形として意味があるのか。要は、自分を好きだとして、どのような好きなのか。あやは、どの同性愛者のカテゴリに属しているのか、悩んだ。


りおは、


「観覧車に行く前に、噴水公園で少し休んでいいかな?」


と言った。


あやは、無言で「うむっ」と頷いた。




噴水が、規則正しく、水を噴射する。


りおは、


「癒されるね」


と言い、二人は、水滴が滴り落ちる様子をただ見ていた。子どもの頃に見た、公園の噴水を思い出しては、交際という感覚の真新しさだけがそこに座っているのだ。同じことを繰り返す噴水が、まるで二人を包んでいる。


「あやは、やっぱりこの辺りに来た事あるよね?」


あやは、返事をしない。


「『やっぱり』って事はないか」


りおは、


「大丈夫?」


と聞くと、あやは泣いていた。


「え?」と戸惑うりお。


あやは、そのまま、下を向いてメソメソと泣き出したのだった。


薄い身体に湾曲した肩の骨。


互いの気持ちを分け合うように、寄り添う二人の身体。


真夏の夕方。


噴水の音。


あやは、スクッと立ち上がると、鼻をすすりながら、りおを見た。


あやは、目が赤く腫れて、苦笑いをしながら言う。


「もうダメなんだ。演技」


目に溜まった涙を、指でしゃくった。


「日常で、演技のパフォーマンスが出てくるのが、嫌なんだ」


目を閉じて、悔しそうにする。


「自分が無くなってしまわないようにって、爆弾を抱えたまま、演技に自信もない」


りおは、優しく微笑んだ。プロの役者という階段の踊り場で立ち尽くしたままのあやと、これからプロの小説家を目指していく自分とでは、精神に懸隔のあることは分かる。あやが上で、りおが下。そのうえで、今、心を癒したいのは同じ。


「私でいいの?」


あやは、目を見開いて、


「何度でも、探し出してみせます!」


と言った。


「何度でも、私を選んで頂戴」


りおは、そう言って、俯いて、目をスッと閉じた。お姫様と王子様がいて、私を必要としたり、私を守ろうとしたりする。私はきっと、魔法使いと赤い鳥。ゆっくりと立ち上がり、目を開けた。


噴水公園の水が、二人を急かすことなく、音を立てる。綺麗な水の音。私達のようだと、りおは思った。


あやは、りおを抱きしめて、


「好き」


と言った。


赤のワンピースが、くしゃっとなって。魔法使いと赤い鳥が王子様とお姫様に抱かれているような抱擁。


「私も好きだよ」


りおは、あやの柔らかな胸に抱かれた。もしかしたら、泣いたあやは、本当は、自分と同じ事で悩んでくれたのかなとも思ったのだ。つまり、あやは、りおこそどのような同性愛者で、どのように好きなのか知りたくて。それであやは泣いたり、笑ったりしているのかなとも思った。いつも同じ気持ちで、同じ事で悩んで、その度に互いを信じ合えるのならそれで良いのだと思った。 

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