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第9話「クロスロード」

2022年8月1日。神楽りおは、大学受験の天王山、高2の夏休みの真っ只中だった。文芸部は、夏休み中に登校日など、特に活動はない。りおは、自宅で、学校の課題と、受験勉強をしている毎日だ。毎週日曜日の歌番組くらいしか娯楽がない。


夏休みなのだから、自分を慕っている浦川辺あやと、一緒に遊びに行こうか。その事で悩んだりもした。


りおは『神様を頼った』こと、つまり自分自身の人為で時間を巻き戻して、高2の春、2022年4月8日にタイムスリップしたことと、長空駅の駅前にあるゴショガワラ交差点で大型車両に跳ねられるとそのようになることは、しっかり覚えていた。


しかし前回の高校生活高2の春より先の時間の記憶がない。『神様を頼った』という既成事実しか覚えていない。


りおは、次のように考えていた。


私は、自分の意志で時間を巻き戻して、高校生活をやり直している。いま、浦川辺あやとの関係が、部活の先輩・後輩から、同性愛に発展しようとしている。それはとても楽しくて、幸せな時間だ。記憶がないから、わからないが、これは前回の高校生活でもそうだったのだろうか?また、仮にそうだったとして、時間を巻き戻したくなるような、余程の展開がこの後待っているのだろうか?それがもしも大学受験の失敗であるならば、とても残念なことだ。なぜなら、あやの存在や気持ちまですっかり忘れて、もしかしたらやり直しの高校生活では恋愛に発展しないかもしれないし、そもそもあやは文芸部に入部しないかもしれないのだから。


また、次のようにも考えていた。


私以外にも人為的に時間を巻き戻せる者がいたり、あるいは、私や誰かがやり直しを繰り返している間の記憶を、継承できている者がいてもおかしくない。2022年4月8日の時点では、記憶が無かったため、「どうせ大学受験に失敗したんだろう」としか思わなかったが、あやのことを考えると、それぐらいのことで時間を巻き戻したとは到底思えないし、少なくとも今回巻き戻す意志がない。あるいは、失恋をするのだろうか。知っている者がいるのではないだろうか。


りおは『神様を頼った』ことに関して、何か関わっている人物がいるかどうかを付き止めたり、その人物を探したりしたいという気持ちが大きくなっていった。


午後。蝉の鳴き声が聴こえる。真夏の昼下がり。りおは、母親に長空市立図書館に行くことを伝えると、家を出て、自転車に乗って、長空駅前のゴショガワラ交差点に行った。


図書館には、本当に用事があった。現代社会という科目の課題で、社会福祉に関する2000字のレポートの宿題があった。これを一日で終わらせようということだ。


照り付ける太陽。


りおは、蝉の鳴き声がこだまするゴショガワラ交差点で、立ったまま佇んでいた。暑さなど関係ないくらい真剣に、悩んでいた。


そもそもゴショガワラ交差点が所謂心霊スポットなのだろうか。他の交差点でも再現できるのだろうか。大型車両に跳ねられなくても時間が巻き戻るのだろうか。全く別のところに条件があり、今まで知らず知らずのうちに満たしていて「ゴショガワラ交差点で大型車両に跳ねられる」というのは一つの成立パターンに過ぎないのか。逆に、その辺りが上手く行かず、跳ねられただけで終わる可能性もあるのか。


信号が、青になったり、赤になったりを繰り返す。


交差点を通り抜ける車の音と、人の足音とが、定期的に入れ替わる。


よく考えたら、謎だらけだった。しかし「ゴショガワラ交差点で大型車両に跳ねられると時間が巻き戻る」ということだけ覚えている。滝のような汗が流れ落ちる身体。日は少し陰ってきたが、やはり暑い。


「思い出せない」


と、りおは思わず声を出した。


時間を巻き戻す方法は思い出せるが、今まで何回巻き戻したのか、数えることができないのである。そのことに気がついたのだ。むしろ何で、今までこの思考をしなかったのだろうかと思った。


自分は何かの超常現象に確実に巻き込まれていて、自分自身の人為でコントロールしている部分ばかりではないから、むしろ幸せを叩き壊すように時間が巻き戻る場合だってあるのだろうか。


「短絡的思考しか持ち合わせていなかったのはなんでだろうか」


人の気配に気づく由もない。これから自分の身に起こることに対する不安が、ゾワッと沸いて、りおを包んでいく。




「神楽」


「え?」


「偶然」


「前田君!」


自転車に乗った前田よしとが現れた。りおの立ち尽くすゴショガワラ交差点に。


「あ、汗びっしょりだな。熱中症になるぞ。日焼けもするし」


よしとは、言う。


「…前田君。この後どうなるか知らない?」


りおは、よしとがあまりに親切なので、聞いてみたのだった。この時間巻き戻し現象について知らないか、という意味だ。知っていれば質問の意味もなんとなくわかるだろう。




「知らない」


よしとは答えた。




「何を知らないのか?」と刑事ドラマみたいに聞こうか。




「本当に偶然?」


とりおは質問を変えてみた。




「1年生の夏も道で会っただろう。近所だから仕方ない」


なんだろうな、と、りおは思った。よしとの答えが、微妙にズレながら、妙な噛み合い方をする。




「今日は、久しぶりにバレー部が休みだから。図書館で現社のレポートをやるつもりで家を出たんだ」


とよしとが言う。


りおは、傍で止めていた自転車に跨って、


「一緒に行こう。二人で協力して、さっさと終わらせよう。私も現社のレポートを図書館で書こうと思ったんだ」


と言った。何かが吹っ切れていた。いつものよしとだと思って、一緒に図書館で勉強しようと思った。


よしとは、


「それは助かる」


と言って、二人で自転車をこいで図書館へ向かった。


図書館に行くと、冷房が効いていて涼しかった。背中の汗が冷たいが、そのうち渇くだろうと思った。図書館の1階には喫茶店があるが、値段が高く、高校生には敷居が高い。


よしとは、エスカレーターへ歩く。


りおも、小走りに後を追って、エスカレーターに乗った。


ゆっくりと上へ登っていく。


二人で、図書館に来てしまったと、りおは思った。ペットボトルのお茶は、飲んだら蓋をしてすぐカバンに入れる。ビン・缶類は自販機コーナーで飲まないといけない。よしとが、インターネットで選んできた本は、図書館にあり、確かに読みやすく、あっという間に2000字のレポートが書けた。よしとは、成績は中の上くらいだ。途中、本に書いてある意味を確かめ合ったり、互いの書いたものを交換して読み合わせたりもした。


静寂の館内は、勉強が捗る。


よしとが席を立ちあがって、言った。


「自販機行ってくる」


そう言うと、スタスタと同じ階の自販機コーナーに歩いて行った。


目の前の席が空いて、空気が変わる。


高校に入学して、最初にできた男子の友達が、よしとだった。その後も、よしと以外に男子の友達は、作っていない。りおは、すくっと立ち上がり、よしとがいるであろう自販機コーナーへ行った。そこで、コーヒーを飲むよしとと目が合った。


りおは、ホッとして、


「あっという間に終わったね。宿題」


と言った。


よしとは、笑った。


「7:3の7くらいで、神楽がやってくれたから一本奢るよ」


と言って、よしとはりおのために、コーヒーの微糖を買った。


「ほら」


少し申し訳無さそうな顔をして、りおは受け取った。


「ありがとう」


そして、直ぐに蓋を開けて、飲み始めた。


ゴキュンと音がする。


微糖。




よしとは、唐突に話始めた。


「1年生の時に神楽に言われたことを思い出した」


りおは目を丸くしてよしとを見たが、よしとはりおを見ていなかった。


「あの頃の俺、ガキだったから、なんで突然フラれたんだろうなって思った」


そう言って、自分のコーヒーを飲み干した。


りおは黙って聞いていた。


「浦川辺さん、少し子どもっぽいところがあるかもしれないけれど、心の造詣の浅い、深いでやるものでもないだろう」


りおは、飲んでいたコーヒーの微糖を噴き出しそうになって、むせてしまった。


「何を突然に言うのか」と言い返し、「やめて」と言った。


そして「そこまで立ち入ってアドバイスしないでよ」とまくし立てた。


りおは、顔から熱が出てくるのを感じながら、


「男子を性対象として見れない。前田君には割れた鏡のようなものなんだ」


と言う。


よしとには、りおが何を言いたいのかわかる。


「じゃあ先帰る」


「いいよ。独りで帰れるから。今日はありがとう」


そう言って、りおを置いて、自販機コーナーから、そそくさと出て行った。


りおに、自分の背中がどう映ったのか、後から少し、気になった。


図書館を出て、帰路につく中、薄暮の街並みが、よしとは、聞いてくれると思った。


「可哀想だなんて思ったことは一度もない」


自転車で前を向いたまま「割れた鏡」をイメージした。自分の顔が映る破片を剥いていくと、血がこびりついて、代わりにりおの顔を覗くことができる「割れた鏡」を。よしとは、「心の造詣の浅い、深いでやるものではない」と自分で言った言葉に、首が絞まる思いだ。


「女の子だろうと、なんだろうと、もっと気楽にやってくれたら」


そう思うのだった。昨年から、友人男子として見守っていた、見守ることを許されていた身としては、女性同性愛者としての道を『相応しい人物』と添い遂げて貰いたいと思うのだ。 

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