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第3話「たこ焼き伝説」

2022年4月18日。

浦川辺あやと雛菊さやが、文芸部に入部してから一週間。あやは文化祭のたこ焼き屋をやりたいがために文芸部に入部した。そして、さやは、あやと同じ部活を選んだ。さやは、あやのたこ焼きに対する想いを未だに聞けずにいた。たこ焼きがそんなに好きなのかと。


ピンク色の桜は見事に散り、あっという間に草木が青々としてきた春の日の文化部室棟。隣の部屋では管弦楽同好会のバイオリンが麗しい音色を奏でる。あやとさやは、文芸部の雰囲気にも慣れてきた頃だった。文芸部は10年以上男子部員がいない、この部室は女子だけの空間。


来月5月のゴールデンウイークには、1年生部員らで共同制作を行うのが毎年の習わしだ。中学から文芸部だった他の1年生部員らとでは、能力に差がある。そこで4月は、あやとさやには課題が与えられた。それは、読書感想文を書くというものだった。


「あやちゃん♡何読んでるの?」


「『子どもの教育格差』だよ」


部員たちが、黙々と自分の活動に精を出している文芸部室に、雑談のひと時が訪れる。窓際のテーブルに並んで座る、二人。


「えーっ♡子ども好きなんだね」


さやは、よく笑う。誰に対しても、そういう所がある。会話は、少し唐突な感覚もある。透き通るような肌、薄い唇に、少し明るい髪。


あやは、長い金髪。


「あたし・・・子役だったからさ・・・」


管弦楽同好会のバイオリンの音色が、二人の一瞬の隙をついて澄み渡った。


「テレビ局の撮影で、学校にいけない日がかなりあったんだよね。でも、この本には家が貧しくて勉強するチャンスのない子どもの話が書かれてある。なんだろうなって思って、ずっと読んでる」


「確かにあやちゃん、古典文法覚えるの速いよね♡頭いいよね♡」


それを聞いて、あやは、鼻をついたような「う~ん」という表情を浮かべてから答えた。


「古典文法は文芸部だから覚えなきゃって思っているからさ」


あやは、部室の窓から外を見た。外から風がうっすらとしたカーテンを押す。さやは、あやの横顔をマジマジと見て、耳の穴の深い黒の中に吸い込まれるような視線を送る。


さやの視線が、あやの鼻先をくすぐったように、あやが呼吸すると、あやが首を返して、さやの両目をジッと見た。


あやは「成り行きで仲良くなったけど、本当にいい子だな」と思った。


さやは、心の奥を見られたような、ハッとした感覚に囚われる。


二人の間を風がすり抜ける文芸部室で、他の部員たちは黙々と自分の活動に精を出していた。その寡黙な空気に混じるように、あやとさやは、自分の手に取った書籍に、再び集中していくのだった。文芸部は、始まりの時刻も終わりの時刻も、明確な決まりはない。日々の参加は自由。下校も自由にいつでも行える。あやとさやは、毎日一緒に帰る。それが二人にとって何を意味しているのか。さやは、考えると、まるで宙を舞うような不安定な感覚に溺れるのだった。


カーテンが揺れる窓際で、さやは、一人、宙を舞うような感情を抱く。

あやは、美しく。容姿は、同じ女の子であるさやの心を、徐々に奪い、代わりに秘密の感情を与える。

魔性。

静寂は、心の奥に手が届くようだ。


そして二時間が経った。


「おっし!」


午後18:00。

あやが声を張って席を立ちあがった。パイプ椅子が、ガタッと音を立てた。


「帰ろ!」


間髪入れないあやの声に、さやは、あやを見た。

あやは、そそくさとカバンに『子どもの教育格差』を詰めていた。


「今日は捗ったぞ~!来週には感想文が書けます!神楽先輩!」


いつの間にか部室に来ていた神楽りお。白のカーディガンと、教室棟では一番上まで止めたシャツのボタンを外した胸元、華奢な首筋。


さやは、ホッとして、先輩であるりおの方を向くと「私もそんな感じです♡神楽先輩に読んでもらうの楽しみです♡」と照れながら言った。


りおは嬉しそうに、

「二人とも順調で嬉しいな。今年は部員増えたな。共同制作楽しみだ!」

と言う。


あやは笑って、

「そんな!先輩!プレッシャーですよ!よしてくださいって」

と言った。


あやは、少し、りおと話して、さやと二人で帰った。


薄暮れの帰り道を、猫が横切る。車道のかすかな足音に気を止めることはない。あやとさやは、さやが乗るバス停までの道を、歩いて帰る。あやは、長空駅まで歩いて、電車で帰る。バスは、駅とは逆方向に住宅街を走る。


さやは、思った。

「そういえば今日が初めてだな。あやちゃんから『帰ろう』と言ってくれた」


いつも、宙を舞うような感覚に溺れながら、自分からタイミングを見計らって「帰ろう」と言ってきた。


「5月の体育祭までに少し髪を切ろうかな」


あやは、帰り道でよく喋る。部室を出て、文芸部の活動が片付いた解放感から様々な言葉を、さやに放つ。さやは、一つひとつを聞き取りながら、普通の女の子二人組に擬態する術をずっと探している。


「・・・たこ焼き」

「え?」


さやは唐突に「たこ焼き」と呟いた。あやには不意打ちだった。確か、今、来月の体育祭の話をしていたのだが。


静寂は、心の奥に手が届くようだ。


「ずっと聞きたかったな♡たこ焼きに何か思い入れがあるの?文芸部に入部したの、たこ焼きが決め手だった気がする♡」


あやはキョトーンとした。

そして軽く息を飲んでから、さやの両目をジッと見て、言った。

「教えてあげない!」

あやの声は、よく通る声だ。あやは、そう言って、子どものように笑った。

あやは「恥ずかしくて言えないよな!」と言うと、さやより少し短いスカートが、揺れた。さやは、小走りで、あやを追いかけたのだった。


あやは、どんどん速足になった。


「たこ焼きには伝説があるんだ~!」


と、あやの声が響く道で、さやには、二人しかいない道中が、あやを掴んで離さないかのようだった。

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