「え、無理です。ないです」
あたたかい日差しの差す庭園で王太子殿下に手を引かれながら「婚約者になるつもりはないか?」なんて言われるシチュエーションは、多分この世界の女性であれば憧れも憧れのシチュエーションだろう。
誰もがカイウス王子のかっこよさに一撃でやられて失神しかけながらOKする所なんだろうが、オレの返答は勿論「No」だ。
その返答がわかっていたのか、カイウス王子もでかい口を開けて爆笑しているし、その声には少し後ろをついてきていたメイドたちや庭を整備していた庭師たちがびっくりするほど。
メイドたちのびっくりは、まぁ多分半分くらいはオレの返答に対するびっくりなんだろうなとは思う。きっと「信じられない!」とか思っているのに違いない。
「だろうと思った!」
「わかっていて聞いたんですか……趣味が悪いですわ」
「オレとてお前のようなじゃじゃ馬は無理だ。扱いきれぬ」
「じゃじゃ馬……」
「国をひっくり返す所業をしておいてじゃじゃ馬でないとは言わせぬぞ」
まぁ、まぁそれは確かにそうだろう。一応表向きはまだ「エリアスフィール」として振る舞っているけれども、中身は最近あんまり隠さなくなってきているし。
勿論素を出すのはオレの中身についてを知っている人に対してだけだけども、そんな人間は色んな意味で「無理」だろう。特に、国母となるべく王太子と婚姻する女性としては失格も失格だ。
あいにくとオレは、エリアスティールの記憶こそいくらかはあれどその作法や振る舞いまではよくわかっていない。実際にパーティに参加するタイミングなんかなかったし、今みたいに軽いタイプのワンピースみたいなドレスだってこれも十分重くて嫌だ。
これが王族になってめちゃくちゃ豪華なアクセサリーやドレスを着る事になるとなったら、想像だけでも今からぐったりだ。ただでさえこっちは片腕。他国にも披露できるカーテンシーはもう望めないのに。
それを思うと、カイウス王子だって本気ではないと思うし遠慮出来るなら遠慮したい。
「あ、でもカイウス王子の婚約者様の選別のお手伝いでしたら喜んでやらせていただきますわ」
「魔術で選ばれる婚約者というのもなぁ」
「カイウス王子もそろそろお相手を決めませんと、お年が……」
「お前の兄たちに言うべきではないのかそれは?」
それは、確かに。
カイウス王子よりも年上なジークレインとアレンシールの事を思い出しながら頷けば、またカイウス王子は口を開けて笑った。
国王陛下が亡くなったばかりの王城には未だに暗い空気が漂っているし、国旗も王族が没したことを示すように畳まれたままだ。それでも、カイウス王子がこれだけ笑えるのだからきっとこの国の未来は明るいと、そう思う。
カイウス王子の婚期が遅れれば遅れるほどジークレインの婚期もまた後ろ倒しになりそうな気もするけれども、アレンシールが上手く行けばノクト家としては大丈夫だろう。
まだ先は分からないが、「大丈夫」と思えるものがいくつも落ちているだけで明るい気持ちになれる。
「ではお前は、この後はどうするつもりなのだ?」
「お父様の葬儀を終えたら、ジークムンド辺境伯領に行くつもりです」
「あぁ……親戚であったな」
「ええ。あそこの子等はまだ若いので、少しでも手助けになればと思って」
そんなオレたちの中での一番の懸念事項は、やはりジークムンド辺境伯領の事だ。
辺境伯夫妻には子どもが居るから跡取りは問題ないだろうけれど、彼らはまだ騎士になれるほどの年齢でもなければ後継者の椅子に座れるほどの知識もない。
けれど、この戦いの中で命を落とした辺境伯夫妻の守っていた土地だ。自然発生する魔物たちからエグリッドを守るためにも、子どもたちを助けるためにも、行ける者が行かなければいけないだろう。
アレンシールはこれからノクト家の侯爵位を継いで当主になるので外に出る事は出来ない。ジークレインは王太子殿下の近衛兵なので最初から除外だ。
リリとフロイトはどうだろうか。彼らは手伝ってくれるかもしれないが、そろそろ少し休んでもいいと思うので誘う気はあまり無いのが本音だ。彼らだって、今回の戦いについては思う事もあるだろうし、双子だけでゆっくりする時間も必要だろう。
あとは――
「アルヴァ皇子には声をかけぬのか」
「アル、ヴァ……?」
「……ユルグフェラーの第三皇子殿下の事だ」
「あぁ、ジョンの事ですか」
「お前とアレンはいつまであの方をジョンだのボブだの呼ぶつもりなのだ……」
深い深い溜め息と共に苦言を呈されてしまったけれども、こちらとしては今更本名で呼ばれてもしっくり来ないのが本音だ。
そもそもアイツが最初にジョンだボブだと自己紹介をしたのだし、訂正もしないものだからすっかり馴染んでしまった。本人が「本名で呼んでくれ」と言うならば応えることも
「彼は……」
ジョンは今、この国にやってきていたユルグフェラーの騎士たちをまとめながら何かをやっているようだった。
おかげで会えるのは夜に眠る時だけだし、日中やっている事はこちらには教えてくれない。そもそもアイツはユルグフェラーから捨てられるようにしてエグリッドに来たはずなのに、その騎士たちと何をしているというのだろうか。
思い出すとちょっと、ムカッとする。
散歩に付き合わないのなら、寝る前にちょっとその日の報告をしてくれてもいいんじゃないのか?
「皇子も難しい立場だ、国に戻れば難しいこともあろう。この国で休んでいかれるのには問題ないが、当人とても何もせずに王城に居座る事は出来ぬと言っていた」
「アイツ変な所で真面目なのですわ……」
「そうだな。だが、それもまた母国で叩き込まれた性分というものだろう」
まぁ、まぁ、その気持ちはめちゃくちゃよくわかる。
オレだって大学受験の時、一年ズレて受験をする弟を優先したいという両親の意向で母方の祖父母の家に住まわされた事があったが、両親ほど熱心ではなかった祖父母は「休める時には休んだほうがいい」とオレを休ませようとしてくれた。
それこそ、夜にしっかりと勉強をして、日中には太陽をたっぷり浴びて遊んだほうがいいとまで言って、オレはどうすればいいのかわからなかったくらいだ。
オレにとって、勉強をしない時間というのは今まで存在していなかったから、大事にされている、優しくされているとわかっていてもその言葉を素直に受け入れる事が出来なくって。
今になってあの時の祖父母の気持ちがわかるなんて、思わなかったな。
「ふむ……オレはてっきり、お前と皇子は想い合っているのだと思っておったのだがな」
「……は?」
「お前であれば皇子が帝国に戻ったとて守り切る事も出来るだろうし、この国に残っても皇子の立場も安泰だろうしなぁ」
「はぁ……はぁああぁぁあああああああ??」
オモイアウ。
おもいあう。
おもいあうってなんだ?
なんでカイウス王子がウキウキしながらメイドたちに「なぁ?」なんて声をかけてメイドたちがきゃっきゃと「はい!」なんて言っているんだろうか。
おもいあう。おもいあうってなんだ。
オレはモテない暦イコール年齢だからそういうのはさっぱりわからないんですが!?!?!??!
「おーん? なんだなんだ、自覚なしか? 困った奴らだ」
「それでしたら殿下。やはり早急に戦勝パーティを行うべきかと思いますわ。お互い正装になれば見方も代わりましょう」
「メイド長様流石です!」
「メイド長様、名案ですわっ!」
「流石は我が乳母! 早速日程調整に入ってくれ。メイドたちもこれからが本番だぞ」
「はい!!」
「いやいやいやいや待て!! 待って下さい!!」
「あ、カイウス殿下、ナオ。ここに居ましたか」
ニヤニヤ笑うカイウス王子と眼鏡をクイッと上げるメイド長を筆頭にメイドたちがキャーキャーとやり始めた所で、ひょこっと外廊下から顔を出したジョンに、庭師を含めてその場が一瞬でシン……と静まり返る。
「あ、の……すいませんお邪魔でした、か……っ!?」
「あぁ! うむ! すまぬな! なんでもない!! 何用か?」
「いえ、あの、アレンシールがナオを探してて……」
自分が相当やべー場面に立ち会ったと思ったのか、ジョンは何故か両手をブンブン振りながら完璧に謝罪の格好だ。
落ち着け。ここで一番地位が高いのは本来お前なんだぞ。そう言いたいが、グッと黙り込む。
なんつータイミングだ。まるで仕組まれたかのようなタイミングに、呼んでいるというアレンシールの作為的なものを感じてしまう。いや流石にそこまで操作は出来ないだろうが。
………………出来ない、よな?
「ジョン! 手ぇっ!」
「は、はい!」
「呼びに来たなら連れてけっ。兄様の所までっ」
「あぁ……そうだな」
背中にチクチクあたるメイドたちのキラキラした眼差しに負けて、カイウス王子に支えてもらっていた手をジョンの方にさしだすと、ジョンは少しびっくりしたような顔をしてから苦笑しつつ手を取ってくれた。
いつも散歩する時のように腕を組めるように差し出しつつごく自然な動作でエスコートをするジョンに、メイドたちのキラキラした目がさらにチクチク突き刺さる。
「……よし、行くぞメイド長。ここからが本番だ」
「かしこまりました」
本番じゃない本番じゃない何をする気なんだやめてくれこの国のトップとその乳母のやる事怖すぎるだろ!
オレは心の中で叫びながらも、あたたかい庭に咲いている花を眺めているジョンの横顔を見ると何も言えなくなって、また深いふかーーいため息を吐き出した。