バチバチと音をたてる自分たちの魔力の音で、最早波の音すらも聞こえない。
リリやフロイトも同じだったのか、時折弾ける魔力に頬を裂かれ目元を覆う布を弾かれてもただ目を閉じて、魔力を貯める事に集中していた。
彼女たちも、死を覚悟してここに来たんだ。頬に傷がひとつついたくらいでは少しも動じない。今まさに水面から浮上しようとしている黒い何かを、水面の隙間から手を伸ばそうとしている何かを押し留められるのは、オレたちしか居ないのだから、その覚悟は当たり前のように固かった。
たった四人で何が出来るのかは分からない。もしかしたら何も出来ないかもしれない。けれど、魔女という存在である以上は何かをしなければいけないと、そう、思って。
「手を貸すぜ、魔女! アタシだって魔女の子どもだ!」
しかしその声は確かに、ハッキリとオレたちの耳にも届いた。エルディ。あの崩壊した魔女の神殿で出会った、魔女に育てられた少女。
「ったく! こんなおもしれぇ事してるならアタシたちにも声かけろや、魔女!」
「エルディ……!」
彼女がバンダナに包んで放り投げてきた本はまるで吸い込まれるように
古びた皮の、日記帳。元は鍵があったのだろう凹みに指をかけて本を開くと、まるで「待ち侘びた」と叫ぶかのように光が内側から迸った。
その時のオレとリリの反応たるや、フロイトにはまるで想像も出来ない反応だった事だろう。
だってこの杖は、この光の形は、あの神殿の壁画で魔女が手にしていたあの杖の形にほかならなかったからだ。オレとリリが魔女の歴史を学ぶ切っ掛けになったあの壁画。魔女信仰が確かに存在していたのだと教えてくれたあの絵の杖が、今ここにある。
オレは指先を震わせながら光に触れた。
いや、しっかりと握り込んだ。この光がどこまで実体で、どこまでがただの魔力なのかは分からない。でも確かに、魔女が「魔女の子」に遺したものを、掴む。
「この世界にはもう魔女は居ねぇ! でも、魔女が遺したモンは人間にだって根深く残ってるって、アタシの母親は言ってた!」
エルディの咆哮に、リリがグッと唇を噛みしめる。リリも、正しく魔女の子どもだ。魔女が産んだ、魔女の力を受け継ぐ者。
リリの淡いグリーンの目に涙が溜まって、けれど彼女は頬に流れる血と共に涙をグイッと拳で拭う。
「忘れんな人間ども!! 神様なんて存在が人間を見守るだけになった頃、人間に手を貸したのが誰かって事をなぁ!」
「魔女はかつて、【疫病】【死】【戦争】【飢餓】から人々を守っていた……と伝えられていた! 今や邪教と言われてた、
エルディの咆哮に追従したのは、いつの間にか水の中からエルディの狼の背に乗せられていたジョンだった。
決して咆哮とは言えないものの朗々とした声は、震える拳を腹に当てて止めようとしながらも必死に張り上げたもののように、聞こえる。
そういえばアイツは、大きな声を出す事はなかったんだっけなと今更に、思う。軽口はいくらでも言うのに声を荒げる事はほとんどなくて、いつもオレをなだめるように、治めるように話していた。
"大丈夫"。
あの時オレに言ってくれた言葉が、また頭の中に響く。
アイツはきっと声を荒げたり、大きな声を出すのに慣れていないんだ。エルディの声が狼の咆哮だと言うのなら、ジョンの声は子犬の鳴き声だろうか。そう思うだけでフッと、口角が上がった。
「魔女は豊穣を与えた! 魔女は薬を教えた! 魔女は戦った! 全ては、人間のために!」
「でもその全ては、
「魔女は足りてない。ルルイェを封印出来ない。でも、【魔女に育てられたもの】ならこの世界には無数に存在しているのですね」
ジョンに続いてカイウス王子が、アレンシールが静かながらも確かな声で市民や騎士に呼びかける。叫ばないでも響いてくる声が、その中に押し込まれた心が、オレたちにも確かに聞こえてきた。
さっきまでは波の音すらもまともに聞こえなかったのに、まるでこの杖が、魔女が作ったフィールドが聞こえてくるものを選んでいるかのように些細な声すらもがハッキリと、聞こえる。
次々と声を上げる市民たち。騎士たちの声は最早怒号のようで、家々から飛び出してくる彼らの姿はまるで怒涛のようだった。
「エリス様……!」
「えぇ……こういう事、だったのね」
オレたちのゲームクリアに必要だった最後のピース。それは、「魔女の力を借りて攻略する」という凝り固まったものではなくって、「設定のない人々に手を借りる」という自由意志の象徴のようなそれだったのだ。
最初から用意されていない、言ってしまえばシナリオの外からの介入。
エリスに呼ばれた
きっと、これはきっと、王族と貴族と騎士が市民を守るという今までの凝り固まった――形骸化している戦い方の中ではきっと生み出す事のできなかった自由な戦いの形だろう。
「……僕たちも負けていられないな」
「うん、うんそうだよね! なんだか元気出てきた!」
「そうね……その通りだわ」
ケェーッと甲高い声がして、キルシーがオレたちの周りをぐるぐると回り始める。
今までじっと付き添っていただけだったキルシーが、この戦場に来てからはまるで我が意を得たりと飛び回っているのは優雅で、荘厳で、あぁ彼女もまた魔女が作り出した確かな「存在」であるのだと、そう思えた。
キルシーの声を聞いて、オレは無言で杖を四角形の真ん中に放る。しかし杖はまるで自分の意志があるかのように四角形の真ん中に留まると杖の先を空に向けて輝いた。
それを確かに確認してから、俺達は今度は杖に向かって魔力を集中させていく。四角錐型に収束していく魔力は海面を強く強く照らし出し、その奥にあった黒い何かの色が見えにくくなっていった。
視界が真っ白になっていく。最早海面の方を見る事も出来ず、ただただ光が降り注ぐピースリッジの白さを眺める事しか出来ない。それでも、きっと、海面に居る彼らは大丈夫だ。
だってオレたちが守る。
なんだかそういう殺し文句が何かのアニメにあったような気がして少しだけ笑ってしまいながらも、本当に「オレが守るから大丈夫だよ」なんて気持ちになるなんてと新鮮な気持ちになった。
守りたいものがある。
だからこの命を使い切っても、後悔なんかしない。
そう思える程に大事なものがあるのはなんて幸せな事だろうと、生まれて初めての感情が胸の奥に湧き上がった。
ほんの数十日。そのうちの一体どれだけの時間を彼らと、彼と過ごした事だろう。確かな時間をはかってはいないのでわからないけれど、それでも考えるだけで胸がぽかぽかして、同時にとても悲しい。
オレが死んだら、エリスはどうなるのだろうか。
わからないけれど、でも彼女もまたここに居る事を考えればきっと、きっと大丈夫だろうと思える。だってこの世界はクトゥルフの野郎が好き勝手作ったもので、オレの知っている彼奴等ならばきっと面白い結末を見る事が出来たなら幸せなエンディングを用意してくれていると、そう確信が出来るんだ。
そんな事この世界の人々は知らないだろうけれど、愉快なものを用意すれば悦ぶ、そんな趣味の悪い神様だって事はあの世界のあちこちで設定されていて、表現されていて。
今はそれに、賭ける。
命と、一緒に。
"大丈夫"
声と共に、杖にかざしている手に手が重ねられたような気がしたのは、なんでだろう。
一体誰の手なのか、一体誰の声なのか、それを迷う事はしない。
ただ、最後の最期に手が触れたのならばそれは少しだけ嬉しいなと、前の死に様を思いながら考えた。