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第112話 "魔女の首魁"と終わりの始まり

 突出して進む【魔女】たちを追うように、地上の騎士たしは街道を進んだ。

 血と涙と汚物で濡れた街道は最早土がボコボコしているばかりで人が歩く道とは思えず、怪我をした騎士たちを優先的に周囲の森へ回して他に倒れている者が居ないかを探させる。

 一番前に出ているのは、軽装のカイウス王子だ。横にはフルアーマーだというのにカイウス王子に少しも遅れをとらないジークレインが続き、アレンシールがその後ろから周囲に目を光らせる。

 そのまま後詰めの騎士たちが続き、さっきまで戦闘をしていた騎士の中からこの戦列に参加したものは思ったよりも少なかった。

 後詰めの中にも治療を専門とする戦場医も居て、彼らは後列に残っているために全体で戦えるのが50人くらいだろう。

 少しでも彼らの負担が少なくなるようにと、リリの【火炎】が空から地面のグールを舐めつけた。フロイトは少し遅れながら後方に【治癒】を飛ばし、周囲に怪我人が居ないように【探査サーチ】の魔術を展開させている。

 空からの援護を受ければ、地上の騎士たちの剣は面白いくらいに翻った。

 グールの弱点は火と、手足だ。一度死んだグールにとって脳みそを潰したくらいでは何の抑止力にもならない。一番正しい対処は手足を切り落として動きを抑制してから、一体ずつ火で焼いていくこと。

 その対処法を残酷だと言う者も居るだろう。しかし、「死なない」という生物は何よりも恐ろしく、厄介なものなのだ。それならば、確実に「殺せる」手段を取るしかない。

「火だ! 火を持って来い!」

「松明の油を切らすな!!」

 騎士たちの怒号が後方に響き、リリが一撃で仕留められなかったグールを淡々と倒していく。

 ピースリッジの街は最早、煤が壁や床を汚染する酷い有様になってしまっていた。海風もいつの間にか止まって匂いを吹き飛ばしてはくれず、人間の焼ける匂いだけがその場にうずくまる。

 地獄だった。

 きっと地球では、これよりも酷い火災現場なんて沢山あるのかもしれないけれど、人間が人間を焼き殺す戦場なんていうのはそうありはしないだろう。だが今は、この戦場では、人が人を焼かなければいけない。

 それはただただ、地獄という言葉でしか表現が出来ないと、思った。

 でも、だからこそ、早くこの状況を止めなければいけない。人間をグールにする【儀式】を止めなければ、死ねば死ぬほどグールは増えていくだろう。

 それは騎士たちの精神にも、この街の人々の精神にも良くない。

「アレンシールお兄様!!」

 叫びと共に一瞬の光が海岸を示し、その光を確かに見たアレンシールは今まで鞘に入れたままだった剣を抜き放つと騎士の戦列を離れて海岸へと走った。

 同じように、カイウス王子も走る。後は、ジークレインに任せた。王太子という地位では本来有り得ない事だが、彼は一切の躊躇をしなかった。この現状の諸悪の根源を潰さなければいけないという、ただその感情だけが彼の足を動かしていたのだろう。

 カラスの甲高い鳴き声が騎士たちにグールの発生を知らせ、高台の宿屋から油を染み込ませ火をつけた布がグールたちに落とされる。生き残った市民たちは、それを真似して何とか守られている家の高いところから貴重な油をたっぷりと染み込ませ火を付けた布を投げた。

 布がうまくグールに当たらなかった時には、騎士たちは熱伝導の高いアーマーでありながらもその布を拾って即座にグールに投げる。個々に油を染み込ませた布は、松明よりもよく燃えた。

 轟々と音をたてて燃え盛る火炎を背に、カイウス王子とアレンシールは走った。

 光に示された先。そこには、今にも完全に沈んでしまいそうな鉄の船を前に笑っている男が居た。男の髪はボロボロでボサボサで、ブルネットなのかアッシュなのか白髪なのかもわからない色になっていて、肌も酷くボロボロで男が頬を掻くたびに皮膚がボロリと落ちる。

 こんな男は見たことが無かったが、あの衣装を見ればわかった。バルハムだ。おそらくは、その「本体」。フロイトの肉体を乗っ取って使おうとしていた中身が、ルルイェ浮上をその目で見るために姿を現したのだ。

 カイウス王子も、アレンシールも、抜き放った剣に躊躇はなかった。

 彼らの前に、砂の中に隠れていたのか。それともただ砂の上で死んだのか分からない騎士のグールがのっそりと姿を表す。鎧の隙間という隙間から流れ落ちる砂はサラサラとしていて、普段ならば子供が笑いながら裸足で駆けていても少しも痛みなんかは走らせはしなかっただろう。

 騎士の中に、見知った顔は居るだろう。しかし彼らはもうグールで、人間ではない。

 カイウス王子の剣は国章があしらわれ、刀身に神の加護が宿っているという代々の国王が繋いできた剣だ。その「神」が一体誰を示しているのか、知っているものは居なかった。だが彼は

「信じている神が居るのなら、その神を抱けば貴方の中の神はその人になる」

 という言葉を信じて、【赤き月の女神ストレガ】を思った。ほとんどの文献を焼き払われた、かつて一度この世界にルルイェが浮上したかもしれない危機を封じた【魔女】たちの女神。

 どうか今回も力を貸して欲しいと、彼はそう願ったのだろうか。

 アレンシールの剣は、的確に騎士たちの鎧の隙間を縫って両手足を驚くほどの速度で切り落としていく。最初は武器を持つ腕を。その後に這いずるための足を。ほとんどの騎士たちは上半身を守るアーマーだけをつけているだけだったが、それでも恐るべき技術だ。

 彼は幾度も、幾度も、決して本人が望んだわけではないループの中でそれこそ幾度も剣の修練を続け、今の境地に達したのだろう。

 その剣は人を殺す技術ではない。人を生かすために戦う剣がエグリッドにある事は、カイウス王子にとっては重畳であった事だろう。

 二人がグールたちの両手足を切り落とすと、鉄の船の中から火の点いた矢がグールへ向けてとんだ。生存者が居る。アレンシールの声は砂を踏む音にかき消される程に小さかったが、キルシーは間違わずにその声を聞いたのか再び甲高い声で大きく鳴いた。

 その声に気付いたのか、鉄の船の中から続々と弓を持った兵士たちが顔を出す。誰もが濡れて、汚れて、ボロボロだ。けれど、空を飛ぶ大ガラスがどんな存在なのかを知っている彼らの目にも僅かに光が灯ったのが、見えた。

 あぁ、そう、そうか。そうだったのか。

 その顔を見るだけでこの国に来た異国の兵士たちの感情が読み取れるようで、胸がぎゅうと痛くなった。

 果たしてその光景に気付いたのか、海岸でゆらゆらと揺れるだけだったバルハムにアレンシールが素早い突きを放った。彼の剣ではいかに鋭く突いても肉を抉れば引き抜くのは困難なはず。それでもあえて突きを選んだアレンシールは、バルハムを逃す気がサラサラ無いのだろう。決意に満ちた強い、目だった。


「いまここで……貴様を殺す!!」


 アレンシールの、カイウス王子の舌を噛み切るような声はきっと、喪った苦しみだろう。

 敵を討つ。そんな遠い世界のもののように思える感情から、彼らの剣は翻るのだ。

 しかしバルハムは、その剣を回避しようともしなかった。二人の怒りも、憎悪も、そのすべてが無駄だと言いたげなその所業と笑い声に、カイウス王子の顔が歪む。

「あぁ、おかしい!!! ここで私を殺しても全ては無に帰すというのに!!」

「無に帰す……?」

「私を殺しても儀式は止まらない! ルルイェが浮上すれば、私の死などあってないようなものとなるのです!」

 ゲラゲラと笑うバルハムは、アレンシールが胸に突き刺した剣がさらに深く胸部を抉っても、吐血しながら心底楽しそうに笑い転げた。

 自分でゆらゆらと動くせいで突き刺された部分から傷口が広がり、踊るように歩くせいで砂が容赦なく傷口に入り込んでいく。それでも、バルハムは動くのをやめる事も、笑うのを止めることもしなかった。


「かつてルルイェを止めたのは40人の魔女だった!! たった3人で何が出来るというのかね!!」


 あぁ面白い!!

 叫ぶように笑うバルハムの口は、その口から脳までを一息で突き刺したカイウス王子の剣によって封じられた。

 そんなのは、そんなのはわかっていることだ。わかっていることなのに、悔しくてたまらない。

 奴らはルルイェを浮上させるために長い時間をかけて【魔女】を殺し続けた。その裏に気付けなかった事が全ての終わりの始まりだったのだと、思い知るしかなかった。


 だから、だからどうか気付いて欲しい。一人でも多く【魔女】を集めたがっている"君"に、まだ魔女は居るのだと。

 もう"居ない"けれど、消滅したわけではないのだと、気付いて欲しい。どうか。

 私はただ、祈る事しか出来なかった。

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