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第111話 魔女の首魁と命の決断

「騎士たちよ! 未だ戦の火を消さぬ者が居れば我に続け!! 守るべきは民! そして街だ! 今の我らには【赤き月の女神ストレガ】の加護がある! 立てる者は立て! 命の火を分け与える時は今だ!!」


 カイウス王子の檄に導かれるように、騎士たちが続々と街道へと姿を見せ始めた。

 まだ生きている市民をかついでいる者。自らが傷を負い血を流している者。絶望し涙していた者も、聞き慣れた主の声はまるで目の前にぶら下げられたご馳走のようなものだったのだろう。

 それに、街道をピースリッジまで進むのは王子だけではない。

 国王の補佐であるノクト家の次期当主と名高きアレンシールと、王子の脇を守る近衛騎士のジークレインが居る。ジークレインの背後には、彼が従えるすべての騎士の中から選抜された近衛騎士団も居る。

 翻る国旗を振るうのは彼らより大きく力強いオーガのヴォルガだ。彼女は右手にエグリッドの国章を、もう片方の手には執事長が持ってきた古い【赤き月の女神】の縦長のタペストリーを持っている。

 国旗とタペストリーは海からの風を受けて大きく音を立て、街道の脇に隠れていた市民や騎士たちの心に強くたなびいた。

『こちらラムス2。商人の報告通り街の中にグールの大量発生を確認』

『こちらラムス4。海に転覆したユルグフェラーの船に生存者を確認。内部から防戦をしている模様』

『こちらアルヴォル。街の中で一番大きな宿屋に退避していた生存者を確認。ラムス1、ラムス5と共に周辺グールを殲滅します』

 先にピースリッジに入ったラムスたちから次々と報告が入り、フロイトが作った即席の連絡用【魔女の指先マジックアイテム】からほとばしる【増幅】の魔術で全体に聞こえるようになったこれらに、僅かにジョンが揺れた。

 ユルグフェラーの船にも生存者が居る。

 おそらくは、ジョンをここまで連れてきた者たちだ。彼らにとって何が正義で何が任務なのかは分からないけれど、それでもまだ、生きている人が居た。

 ジョンの目が揺らぐのがわかる。片方しか残っていない目。もう片方の目は骨も歪むほどの損傷を受けて失われているのを、オレは知っている。

「大丈夫だ」

 軽くジョンの背中を叩いてから、オレはリリの手を取って共に【飛行】した。高さはすぐに騎士たちの身長を越え、騎士と市民たちから驚愕の声が上がる。

 戦列に【魔女】が居る事は、後発の50人は知っている。驚きと躊躇と拒否感と。伝えたときには一瞬それらが走った表情を見せた彼らは、しかしその【魔女】の一人がオレであることを知ると――「エリアスティール」である事を知ると、すぐに背筋を伸ばして受け入れた。

 ノクトという看板が、「エリアスティール」というその名前が、オレたちを守ったのだ。

 敵ではないのだと。【蒼き月の男神】が敵に回った以上は自分たちは敵ではないのだと、「エリアスティール」の存在が証明してみせた。これは、彼女だからこそ出来た事だ。

 なんで今ここに居るのがオレなのかが分からない。本来は、「エリアスティール」が居なければいけない場所なのに。

「エリス様! 街の中まで黒く見えますっ」

「……っ、えぇ、それがグールよ。炎に弱いわ。貴方の独壇場よ」

「任せて下さい!」

 グッ作られたリリの拳には、再び【火】の魔力の気配がある。

 エグリッドでは人間を埋葬するのは主に土葬だがグールが「元人間」である以上は火に弱い。人間の基本構成はタンパク質と、水と、脂だ。それはもうよく燃える事だろう。

「フロイト! 上がれる!?」

「今行くっ!」

「カイウス王子! 先陣はわたくしたちが! 騎士は撃ち漏らしと脇道からの襲撃に備えてください!」

「よかろう! お前たちは封印の陣を頼む!」

「……わかっていますっ!」

 負傷者の血だろうか。折角着替えたはずなのに再び真っ白な僧衣を血で汚したフロイトが、ヴォルガの腕に抱えられてから自らの【飛行】で空に上がる。

 先陣を切るのは、リリだ。彼女の広範囲の炎で出来る限りグールを焼いてアレンシールとカイウス王子、ジークレインの三人でバルハムに攻撃を仕掛ける。

 その間に、オレたちは……【魔女】は、命を賭けて封印の陣を作る。

 オレたちは三人しか居ないのに、どうすればいいのかなんていうのは未だに分からない。いっぱい考えているけれど、人数差というのは覆しようもない絶対的なものだ。

 四角と、円形。

 □と、◯。

 その2つを重ねてみると地球でもよく見た魔法陣を構築するものの一部だという事がわかるけれど、こんな単純な形を2つ重ねる事でルルイェを封印出来るのか? という不安はオレの中にずっと居座っている。

 この異本に隠されていたという事はある種の信頼性はあるけれど、しかし、だからといってすべてを信じていいのだろうか? この本は結局、敵が持っていたものなんだぞ?

 そうは思うが、躊躇している時間はない。ラムスたちの報告は絶え間なく【魔女の指先】に届き、ラムスとアルヴォルで守っている宿の付近にグールがどんどんと発生しているという現実に騎士たちが息を呑んだ。

 グールは、人が死ねば死ぬだけ増える。グールが増えているという事は、宿の外では今なお人が死んでいるという事だ。

 オレは、グッと拳を握りしめた。

「リリさん、フロイト。飛びながら聞いて下さい」

「? はいっ」

「わたくしたちが向かうのは海上。黒い影のその真上。途中に見えたグールは、すべて燃やして構いません。でもわたくしたちの本当の役目は魔物の殲滅ではない事は忘れないで」

「……うん、わかってる」

「わたくしたちの封印は、命をかけて行うものなんですって」

 ピースリッジの入口を通った瞬間に、グールたちが飛んでいるオレたちに向かって手を伸ばしてくる。

 リリは容赦なくグールを広範囲の炎呪文で消し飛ばし、しかし動揺したようにオレを見た。フロイトは真っ直ぐ海の方を見たまま、こちらを見ているかは分からない。

「この本に書いてあったの。眠りが破られる時には自らの身を以てルルイェの眠りを守るべし、って」

「自らの身をもって……」

「魔女は……きっとわたくしたちの代で絶えるのね」

 あなた達を巻き込みたくはなかったわ。そうは言っても、魔女が陣の重要なポイントに居なければルルイェの封印は完了しない。ルルイェが浮上すればクトゥルフが目覚め、この世界はバルハムの狙い通りに暗黒の世界になってしまうだろう。

 一部の人間の私欲のために、着々と準備されてきた最悪へのシナリオ。オレたちは、唯一対抗出来るはずの【魔女】たちは、最初から対抗出来るだけの人数が残されていなかった。

 それでも、オレたちはやらなければいけない。

 ほんの少しでも可能性があるのなら……戦わなくちゃいけない。【魔女】ではないただの人間の人々が戦っているのに、俺達が諦めて泣き崩れている場合ではないのだ。

「ふふっ、アレンシール様、褒めてくれるでしょうか」

「っえ……」

「約束したんです! わたし。ちゃんと魔女になったら、きっと褒めてくださるってっ」

 そんな状況なのに、リリは笑った。グールを見つけるたびに火を投げているという状況なのに、リリはまるで小さな子供のように歯を見せて笑うと小さな小さな約束を胸に抱く。

 きっと褒めてもらえるわ、なんて言えない。褒められても、その言葉をリリが聞く事は出来ないからだ。それにアレンシールがこの真実を知っていたなら別の方法を探そうとしただろう。

 別の方法を探そうとしないオレたちを、きっと叱りつけただろう。誰よりもこの運命に抗ってきた彼だからこそ、殊更に怒り散らす事は目に見えていた。

「……僕は、今まで特に目標もなく生きてきたけど……」

 少しだけ遅れて飛びながら、フロイトは手にしていた【聖者】の杖をぎゅうと握った。

 真っ白な僧衣に【聖者】の杖を持つ彼は一見すれば【蒼き月の男神】の司祭にも見えるだろう。でも今の彼は【魔女】の一人で、人々を助けてついた赤い血が【赤い月の女神】の祝福のようにも見えた。

「今は――この世界を守りたいなって思う!」

 目の周りを封じていた包帯を取り払って、フロイトは真っ直ぐにエリスを見た。リリと同じ、深緑の瞳。視力がないだなんて信じられないその瞳には僅かに魔力が宿り、少しだけ赤っぽく変色していた。

 あぁ、うじうじしていたのはオレだけだったんだなぁ、と、ちょっとだけ悔しくなる。二人を死なせたくなくて、殺したくなくて、死にたくなくて、そんな事ばかり考えていて。

 でも、二人の覚悟はとっくに決まっていたんだ。


「……よろしい。その生命、魔女の首魁たるわたくしが預かりますっ」


 腰に旅立ちのときからいつもつけているマジックバッグから、エリスの日記を取り出して異本と共に胸に抱く。

 取り出す時に危うく落としてしまいそうになるのを何とか抱え直して、オレは空を見た。

 いつの間にか、空が暗くなり始めている。海の向こうから徐々に赤くなってきている空は、そのうちやはり海の向こうから青く黒く、なっていくだろう。

 夜になるまでが、タイムリミットだ。オレは、リリにグールへの攻撃の指示を飛ばした。

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