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第110話 魔女の一団と生者の防衛線

 戦闘の始まりは、刹那だった。

【転移】の輝きが消えた直後に聞こえてきた悲鳴と、馬のいななきと、血が地面を叩く音。騎士たちが即座にロープを手放して走り、悲鳴をあげ地面に転げた騎士と黒い魔物の間に盾を突き刺して守る。

 状況判断をしている余裕すらなかった。目で見える範囲、【転移】の光が消えた瞬間に見えた惨状を前に出来ることをする。騎士たちだけでなく、オレたちの頭にもすぐにスイッチが入って地面のぬかるみすら気にならなかった。

「リリ!」

「任せて下さい!」

「フロイトは怪我人の治療を! ヴォルガは彼から離れないで!」

 黒い影は、最初「魔物」と判別する事ができなかった。ただ、仲間を襲っているから攻撃する。そんな簡単な判断で黒い影は敵となり、この場に転移してきた騎士たちは即座に盾を構える。剣ではなく盾を選んだのは、状況判断をするためと仲間を守るためだろう。

 地面に転がっているのは、血塗れの騎士や一般市民だった。騎士たちは鎧すらも切り裂かれて倒れ伏し、それでも市民たちは汚れているだけでほとんど怪我がない者が多く、黒い影に怯えながらも騎士を助けようと必死に手を伸ばしていた。

 地獄絵図。そんな言葉がぴったり過ぎる有り様だったが、しかし僅か50人の騎士たちが何もなかった空間から出現した瞬間にワッと勝鬨のような声があがる。

 遠目にもはっきりと分かる白銀と青の近衛騎士の鎧と、騎士たちが背にしている国章の刻まれた盾。それらはどんな状況でも輝き、陽光を弾き返し、一瞬で仲間たちに自分たちの存在を知らしめた。

 アレンシールとジークレインが走り、黒い影に襲われていた騎士たちを助け上げて後退する。それを見て、ほとんどの騎士も同じように倒れている騎士たちを抱えながら撤退した。

 リリよりも後ろのライン――ある意味では、騎士たちのデッドラインまで。

「セーブしなくていいって!! エリス様が言っていたもの!!」

 リリの声は勝利の叫びだ。空に突き上げられた彼女の手の先には今までの中で一番大きな【火】が一瞬で構築され、騎士たちの撤退を待って次々を黒い影に向けて放たれる。

 地面を抉り黒い影を存在ごと弾けさせるその火は一瞬周囲にも火を撒き散らしたが、それはオレが【鎮火】させて被害をおさえた。デッドラインから後退させられた騎士はヴォルガにまとめてかかえられてさらに後方に運ばれ、フロイトの周囲に並べられる。

 そこでようやく見えてきたのは、どうやらここはオレの狙った通りのピースリッジへ向かう街道の途中なようだったが、そのど真ん中に防衛線が張られているという事だった。

 おそらく、ここよりも森側に入られてしまえばこの黒い影を止めることは出来ないと判断した現場の指揮官が、森に入る前に退治をしようとギリギリの位置で防衛線を作ったのだろう。何もわからない状況だというのに、的確な判断だ。

「リリさんっ! 援護はわたくしがします。とにかく攻撃して、押し返しましょうっ」

「わかりましたっ!」

「騎士たちはバートラント嬢が取りこぼした影を狙え! 間違っても彼女より前に出るでないぞ!」

 リリの【火】が次々放たれるのを見守りながら【鎮火】と【防火】を放ち、王子の指示で騎士たちが【火】を掻い潜ってきた黒い影を潰していく。

 その間にも目に入るのは、地面に伏している騎士と市民たちの死体だ。

 リリも地面に倒れている彼らを避けて攻撃をしているようだったが、しかし防衛線よりもピースリッジ側にはもう動く者は黒い影しか居ない。

 一体どれほどの者が逃げおおせる事が出来たのか。

 そして一体どれほどの人間が死んだのか。それも、わからない。

「キルシー!」

 ジョンの声が、後方から鋭く空に響く。その声に呼応する甲高いカラスの声は思っている以上にこの場に響き渡って、その力強い羽ばたきはあっという間にピースリッジの方へと姿を消してしまった。

 そうか、キルシーに空から見てもらえば街の様子もわかる。

 オレはリリと攻撃をバトンタッチすると、リリからカイウス王子へキルシーの見ているものを伝達してもらうように頼んだ。

 オレとリリでは攻撃力にはかなりの差があるけれど、リリが一気に焼いてくれたおかげで黒い影の波もだいぶ収まっている。

 あとは生存者を探しながらある程度この防衛線を前に押し返す事が出来ればもう少し怪我人を受け入れる事が出来るかもしれない。

 森の方へ逃げた人間が居るのかどうかも分からないので生存者を探し出す余裕なんかはないかもしれないが、黒い影を押し返す事で少しでも生存率が上がるのならばそれでいい。

「エリス様! 王子様! 海が……真っ黒ですっ。でも、一部だけ……何かが、波の下にあるみたいな黒さですっ。物凄く大きい……沈没している大きな鉄の船よりも、ずっと大きいですっ」

「波の下ですって?」

「アルヴォル、ラムスを連れて確認を」

「はっ」

 目を閉じてキルシーと視界を共有していたリリが声をあげて、その声に盾で壁を作っていた騎士たちがわずかにざわめく。

 剣を振って黒い影の残骸を振り払ったアレンシールがアルヴォルたちを呼んで、一瞬だけザワついた彼の周囲から人の気配があっという間に消えた。

 おそらくリリの言う海中にある黒い影というのは、ルルイェの事だろう。もうすでに目に見えるまでに浮上し始めているのかとゾッとするが、それよりも「沈没している大きな鉄の船」というのが気にかかった。

 ピースリッジは大きな港町だ。この国から出ていく貿易船以外にも他国から船が入ってくる事も勿論あるし、民間船で観光目的のものがぐるっと外遊して戻って来る事だってある。

 でも、このエグリッドの船は基本的に木製で、重要な船底とかの一部にだけ鉄が使われているという程度のものだ。つまりその鉄の船は他国のもの。しかもルルイェと比べられる程に大きなものとなると……やはりそれなりに大きな国のものだろう。

 思わずジョンを見ると、ジョンは片手に剣をぶら下げたまま黙り込んで俯いていた。

 この周辺の国で鉄の船が作れるほどの技術力と金がある国なんて、そんなのはユルグフェラー帝国以外には有り得ないのだから、そりゃまぁそうだろう。

 でもきっとその船は、時期的に言えばジョンを捨てに来た船と思っても間違いないはず。こんなにも複雑な気持ちになる事なんてそうはないだろうな、なんて思ってしまう状況だ。


「あ、あぁ! あなたたちは……! ご無事でしたかっ!」


 後方の民間人の居るテントの方から声が上がって、オレはチラリと視線だけをそちらに向けた。

 この状況だ。王子や騎士たちに感謝したい人間なんかいくらでも居る――と思ったのだけれど、腕や頭から血を流しながらヨロヨロと寄ってきたその姿に、オレはすぐにその人のところにかけつけていた。

「商人さんっ。まだピースリッジにおいででしたの?」

「えぇ、えぇそうなんです。商売のためにしばらく滞在しようとしていたら、突然海から魔物が現れて……」

 べしょべしょと泣きながらやってきたその男は、オレたちがピースリッジに向かう道の途中で野盗に襲われていたあの商人の男だった。綺麗な服はあちこち破れて血や泥で汚れ、一応洗浄はされているが怪我には満足な治療はされていないようで。

 オレは軽く指先で傷口に触れると、簡単な【治癒】を商人の男にかけてやった。まさか、あんな一期一会のものだと思っていた人物とこんな所で再会するだなんて、人生なにがあるかわかったもんじゃない。

「街は今どうなっているのか、教えて頂けます? わかる範囲でいいわ」

「えぇ、えぇ……街の中は酷い有様です。死んだ騎士様やあの黒い魔物がグールのように蘇って人を襲ってはまたグールにしていくのです。その間にも海から魔物はたくさん出てきて……もう本当に、王都の騎士様が来て下さらなければ一体どうなっていたのか」

 ぐしゃぐしゃに泣いている商人の背後には、おそらくは彼と同じように騎士たちと共に街を逃れたのだろう市民が沢山地面に座り込んでいた。

 彼らの周囲にはボロボロになっている盾や鎧が立てかけてあり、先に到着していた騎士たちが必死に彼らを守ろうとしていた痕跡が痛烈なまでに現場の悲惨さをオレたちに叩きつけた。

 グール……地球で言う、ゾンビだろうか。死んだ魂を穢して冒涜し、意のままに操る魔術でもって作り出される死体を使った魔物。

 カイウス王子の顔に朱が走り、黒い影を討伐し終えた騎士の中に怒りのざわめきが走る。


「バルハム……っ」


 そんな事が出来るのは、【魔女】以外にそういった術を持っている者だけだ。死者を冒涜し、自分の好き勝手に使う男。

 市民のすすり泣く声を聞きながら、オレたちはキルシーの鳴き声の聞こえる海の方に怒りの眼差しを向けた。

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