50人の精鋭が集められたのは、指示が飛ばされてから僅か10分後。
いつでも出撃が出来るように待機していたという王子直属の近衛騎士たちはジークレインの統率に忠実に従い、全員が儀礼用ではなく戦闘用のフルアーマーを身に着けていた。フルアーマーでも問題なく動ける騎士。それが、近衛騎士の最低限の条件だ。
50人の中には当然カイウス王子もアレンシールも、肩にキルシーを乗せたリリもフロイトも居る。ヴォルガはまだ傷が完治していなかったはずだが、フロイトがギリギリまで【治癒】をかけつづけて時間に間に合わせたらしい。
ヴォルガは「ここで行かないのはオーガの恥だ」と言い切っていた。フロイトは本当なら休んでいてほしかったと少ししょんぼりしていたが、オレとしてもヴォルガが居てくれたほうが戦力的にも安心できるのでギリギリでも間に合ってくれてよかったと思う。
ピースリッジに先遣隊として送られた騎士たちが弱い、というわけではない。いくつかの部隊に分けられている騎士団の中で近衛騎士と第一騎士団以外の二番目からの騎士団が送られていたし、後発隊としてこの国のほとんどの騎士が送られているのだから弱いはずがないんだ。
しかしあの伝令の騎士の最期を思うと決して楽観視はできなくって、カイウス王子は王宮の防衛にジークムンド辺境伯領の騎士たちを指名した。彼らの戦力は第一騎士団に劣ることもない実力者揃いだが、彼らのトップが死んだ以上は王子の独断で連れ回す事に抵抗があったのだろう。
優しい王子だ、と、思う。
そんなの、王都付きに戻して好きに連れ回してしまえばいいのにと思うが、王都の防御だっておろそかには出来ない。
封印が成功してもその間に王都が陥落していた、なんてことになれば目も当てられない事態だ。
カイウス王子は、万一の時の自分の後継者には王子の祖父の従姉妹である大叔母を使命した。地位はノクト家以下の、決して王族とは言えない家に降嫁した女性だが、もう他に血縁者が彼女の一族しか居なかったからだ。彼女には娘が二人と、孫が5人居る。カイウス王子に何かあれば、きっと男孫の誰かが国を継ぐのだろう。
降って湧いた継承問題に、呼び出された大叔母は泣いていた。ノクト侯爵夫人と共に不安げに肩を寄せ合い中庭に集まった騎士たちを泣きながら見守る彼女は、それでもかつて王族であった気品あふれる美しい女性だった。
ノクト家は、きっと全員死んだらジークムンド辺境伯領に居る辺境伯夫婦の子供のうち誰かが継ぐだろう。三人、しかも男女で子が居るというのに全員死ぬかもしれないという親不孝な状態だが、全員がこの国を背負う決意をした以上は仕方がない。
最初にアレンシールが、次にジークレインが、最後にオレが、ノクト侯爵夫人の手にキスをする。それが最後の挨拶にならないように祈りを込めて。
どうか母が気に病まないようにと、今後も息災であるようにとの願いを込めて。
「我らの使命は、【魔女】たちの援護を行う事である! 誰一人として、勝手な行動は許さぬ!」
オレが【転移】をチャージしている間に、カイウス王子の檄が飛ぶ。フルアーマーに身を包んだ騎士たちの誰もが、胸に剣を押し当て背に盾を負いながら、黙ってその声を聞いていた。
「今より向かうは、大神殿の悪しき儀式により海底より召喚されようとしている邪神の封印と、余波で産まれた魔物の討伐だ! 殺すことに躊躇をするな! だが、命を無駄にする事はこの俺が許さぬ! 現地に到着し次第、各自独断で行動せよ! 生きるために、生かすために戦え!!」
生きて戻る、一人でも多く。
カイウス王子の言葉に、不安げな表情をしていたリリの眉がキリリと持ち上がる。リリの隣に立っているアレンシールの表情に変化はないが、それをどう受け取ったのかリリがぎゅっとアレンシールの手を握った。
一人でも多く生きて帰る。それは、彼女たちにも勿論言える事で、本来は「アレンシール」ではない彼だって、この場に戻る権利がある。
わかっていても、何度も死んでいる彼にとってはもしかしたら自分の命は随分と軽いものなのかもしれない。それでも、彼を左右で挟んでいるリリとフロイトの存在が少しでも重しになってくれればいいと、願わずにはいられない。
目指す場所は、ピースリッジとは少しだけ離れた街道沿い。流石にピースリッジのど真ん中にいきなり飛ばすのは躊躇われて、自分たちが歩いた道を思い出しながら行き先を決めた。
カイウス王子の目が、オレを見る。オレは頷いて、チャージしていた【転移】を少しずつ解放した。
騎士たちは全員、オレの腰残された腕に繋がっているロープを持っている。流石に今の状態では全員をかかえて飛ぶなんて事は出来ないから、オレに触れているものを各自で持っていてもらうことになった。
ジョンがオレの右肩を掴んで、カイウス王子が左肩を掴む。両肩になんとも豪勢なものを乗せているなと少し笑ってしまいそうになりながら、オレはそっと目を閉じた。
意識の向こうに、青い海の港町が浮かぶ。しかしその海は段々と黒く染まっていて、とても嫌な重苦しい気配が海の底からにじり寄ってきているかのような気配もして。
それらを全部、蹴散らしてやる。
「参りますっ」
騎士たちが身を寄せ合い、ロープを抱え込んだ。
見守るメイドたちの嗚咽が僅かに聞こえて、視線の端でチラリと侯爵夫人を見てしまう。
優しく美しいノクト侯爵夫人。彼女はノクト侯爵が亡くなっても、その無残な遺体を見ても涙一つ落とす事もなく、オレたちのことも、ジョンの事も、誰も責めることはなかった。
悔しげな顔こそしたものの凛とした佇まいで夫の額にキスをして、それから白い百合と似た花びらの花をそっと手向けて、それからはずっと国のために、子供たちのために動いていた。
オレには、それを受ける権利なんかないのに、侯爵夫人の声を少し聞くだけでもとても心が落ち着いた夜だった。
本当の母親はどんな人だったっけ。覚えていない。
直接的に何かされたのかも、何もされなかったのかすらも、覚えていない。どうでもよかった。ただ父が怖くて、弟が嫌いで、そればっかりだったから母親の事なんかは居ても居なくても同じ存在としか思っていなかったんだ。
でももしも、一言でも会話ができていたならばどうだったんだろう。
もしも助けを求める事ができていたら、母は何かアクションを起こしてくれただろうか。
わからない。
どうでもいい。
ただ、【転移】の光で周囲が真っ白になっていく合間に見えた侯爵夫人が流した一粒の涙がとても美しいという事だけは、オレにだって痛いくらいにわかっていた。