「神だ……神がじきに海より
マクシミリアン国王――に成りすましていたバルハム大司教は、足元を火に舐められながら楽しそうに、愉快そうに両腕を広げる。
でっぷりとした顔と痩せ細った肉体のギャップは物凄く、頭が一瞬今の状況を拒否しかけるのを歯を食いしばって堪える。
つまり、多分、マクシミリアン国王は最初から死んでいて、バルハム大司教が国王の肉体を乗っ取っていた……という事でいいんだろうか。
いつ国王が亡くなったのか、そもそも死んでから乗っ取ったのかは分からない。だが、少なくとも国王はあんな邪悪なビジュアルの大司教に国を渡そうなんて思ってもいなかったはずだ。
そうでなければ、カイウス王子が今まで神殿を拒絶し王宮を維持していたわけがないのだから。
だがそうなると、王子が気の毒だ。今まで必死に守ってきた父が――とっくに乗っ取られていたなんて衝撃以外の何物でもないだろう。
「答えなさい、バルハム。お前はこの国を壊したいのですか。それとも、この国を乗っ取りたいのですか」
オレが片手を上げると、リリが握りしめた拳に【火】をまとわせる。あのままパンチをしたら全てが焼け落ちてしまいそうな程の【火】は、彼女の絶妙なコントロールでしっかりと拳の外側の空気を燃やしていた。
バルハムは、リリの魔術の火の中で上半身だけを前後に揺らすと、まだ残っていた国王の血液が首の断面からピュピュと飛ばして顔を汚した。
だというのにバルハムはニタリと笑っていて、見える歯が赤く染まっていて気味が悪いことこの上ない。
この顔を、大司教だなんていう地位には似つかわしくない笑顔を、フロイトが見られなくてよかったと心から思う。
「人間の国など、時代遅れなのだよぉ……」
「時代遅れ?」
「このエドーラはじきにルルイェが飲み込んでいくぅ……海底より目覚めたルルイェは地上を沈め、真の支配者が降臨するのだぁ」
「真の……支配者……」
ボソリと呟きながら、カイウス王子がゆっくりと立ち上がった。
つまりあの男が言う事が本当なのであれば、あの男はエドーラ全てを海に沈めようとしているという事になるがそれは……それは、本気なんだろうか。
ルルイェ。どこかで聞いたことがあるような気がするがはっきりと思い出せない。少なくともエリスになってからではなくその前に聞いた気がするがどこでなのか、何でなのかが分からない。
ぐるぐる考えていると、ボソリとバルハムの足元が崩れる音がした。
焼け焦げた足が火力に負けて消し炭になって折れたのだろう。バルハムは手にしていた血濡れの鉄の棒でバランスを取ってまだ立っているが、もう片方の足が焦げて落ちるのも時間の問題かもしれない。
オレは慌ててリリを見て、リリもオレを見ていたのかすぐに頷いて【火】を消した。
その瞬間、熱風に煽られていたバルハムの肉体から焼けた肉の匂いがして思わず口元を覆ってしまう。焦げきった部分はボソボソの炭のような匂いだけれど、半端に焼けていた部分は酷く不快な、生臭いようなねっとりしているような匂いがして気持ちが悪かった。
だが、バルハムにはこのまま燃え尽きられては困るのだ。聞きたい事は、いくらでもある。
「答えなさい! お前は――」
「エリス!!」
もう一歩、前に出てバルハムに向けて声を上げようとした、その時。
眼の前に差し出されたカイウス王子の剣と、鈍い赤銅色の棒が重い音を立ててぶつかりあった。オレの眼前。まつ毛が触れそうな距離で起きた鉄同士がぶつかる輝きに、オレは思わず仰け反ってそのまま後方に倒れそうになったのを力強い腕に抱きとめられる。
カイウス王子の豪華な装飾が施された鞘がボコリと凹み、鉄製のパーツが弾けて飛ぶのが視線の端で、見えた。
もし王子が止めてくれなければ、オレの頭部はあの鉄の棒に砕かれていただろう。
ゾッとする余裕もなく、焼け焦げた片足だけで一気に部屋の端から端へ跳躍したバルハムが振るう鉄の棒が今度はアレンシールの剣とぶつかりあってチリチリと鉄臭い火花をあげた。
一歩前に出てしまったせいで【結界】の範囲から出てしまったのか。鈍った頭でハッと気付いて、そこでやっとカイウス王子に背中を抱きとめられて支えられていた事に気付いた。
オレが理解出来なかった速度で振るわれた鉄の棒を受け止めたカイウス王子も、それを見て即座にカバーに来てくれたアレンシールも、一瞬本当に理解が出来なくて乾いた笑いで口角がひん曲がった。
「ははっ! はははぁあ!!」
「エリス様っ!」
「だ、大丈夫っ!」
オレを後方に押しやったカイウス王子が片手で持っていた剣でなんとかバルハムの鉄の棒をいなし、大きく振ったと同時に故意に滑らせた壊れた剣の鞘をバルハムの顔面に叩きつけた。
しかし、ソレを甲高い笑い声の衝撃波で弾いたバルハムが、振り向きざまにアレンシールの剣を肩で受け止める。身体の損壊を端っから問題にしていないのだ。
本人の――自分の、身体じゃないから。
くそがっ。思わず本音が出てしまいそうになるのを飲み込んで、リリの【火】が放たれるのを横目で見守る。
バルハムの頭部を狙ったのだろうリリの【火】は、しかし再び消滅しバルハムの毛の先程も消し去る事が出来なかった。恐らく何か、魔術的なものに対抗するためのものを持っているのだろう。
きっとそれは、国王陛下の肉体の方が。
くそがっ。
今度こそ喉の奥から出てきそうになる罵倒を必死で飲み込んで、【結界】の維持だけは確かに守る。
こんな狭い所で三人が長い武器を使うなんて、無茶も良い所だ。アレンシールとカイウス王子の剣が互いに当たらないのは間にバルハムが居る事と、二人の息が合っているからに他ならない。
間にオレやリリが入り込めば、その場で切り刻まれるのは目に見えていた。
「リリさん下がって! 魔術は無駄だわっ!」
「で、でもっ、でもっ!」
「下がるのよっ!」
後方でしゃがみこんでいたフロイトが、ふらりと立ち上がって倒れている椅子やテーブルを手で探りながら部屋の反対へ走る。リリはオレとフロイトを交互に見て躊躇をしていたようだが、程なく悔しそうに歯噛みをしながらフロイトに続いた。
単純な武器での戦闘において、魔術を使う人間は足手まといだ。特に達人の域に達している者同士の戦闘には、魔術ですら割り込めない。
オレが出来る事は、アレンシールとカイウス王子に別個に【結界】を二重に張ることと、フロイトに後方への【障壁】を指示する事くらいだ。
次にあの衝撃波が放たれれば、全員を守れないかもしれない。
額に、生ぬるい汗が滲んだ。
バルハムは幾度か、鉄の棒を全面に古いながら大きく大きく顎を裂きながら衝撃波を放とうと身構えたが、そのたびにアレンシールかカイウス王子のどちらかの剣がそれを阻止する。
バルハムの口か首の断面か、そのどちらかから衝撃波が放たれている事はもうわかった以上、彼らは攻撃をすることよりもそちらを止める事を優先しているようだ。
特にアレンシールは大神殿の地下でモロにあの衝撃波を食らっているからその危険性がわかっているのだろうが、それが逆に攻撃の手を止める結果になっているのも否めない。
バルハムの肉体は、国王の肉体ではない。つまりは頭部を狙わないと意味がないのだろうと分かっているが、わかっているからこそ小さく厄介な頭部を攻撃しきれずにほんの僅かな傷を負わせるだけに留まってしまっているのだ。
肉体が国王陛下のものだから、死んでいるとわかっていても人質に取られているようで胸糞が悪い。
いっそ、いっそ国王陛下本人が裏切っていたならばどれだけ――
「あっ!!」
後方へ下がったリリから、悲鳴があがる。
オレは、彼女を見ていなかったから、リリの悲鳴があがってやっと彼女とフロイトが部屋の中のどの辺りに居るのかを目にしたくらいの有り様で、アレンシールとカイウス王子から視線を引き剥がしてようやく彼女を見た。
しかし、彼女の悲鳴と共にオレの視界に入ってきたのは千切れて飛んだエリスの腕、だった。