『あぁ~あ……【魔女】も、カイウスも、聖者も、
膝をついたカイウス王子を庇うようにアレンシールが王子の前で剣を構え、オレももう一歩だけ、前に出る。ビシャリと、爪先に赤い液体が散った。身体はそこに残らなくても、血液だけはカーペットに染み込んで残っている。
マクシミリアン国王は炎で焼かれた衣服をボロボロと落としながらこちらに手を伸ばし、実に楽しそうに、笑った。
何がおかしい。イラッとして、でもこういう時に何故か悪役が笑うのはよくある事だと少しだけ深呼吸をして冷静さを保つ。相手にのせられてはいけない。
冷静に。
そう思うのに、奥の部屋から誰も出てこないのが不気味で、怖くて、オレは震える自分の腕を反対の腕で掴んで止めた。
一番奥の部屋には、ノクト侯爵と、ジークムンド辺境伯、それからジョンが居た、はず。
なんで誰も、誰も出てこない?
なんで国王は奥の部屋に居たんだ?
イングリッド女史を殺して、ヴォルガを戦闘不能にして、それから何で、奥の部屋に行ったんだ?
考えたくない。考えてはいけない。
でも、頭はぐるぐると回り続ける。
なんで、なんで、国王はこんな事を?
『ようやく……ようやくだ。数多の【魔女】を捧げ続け、国王の中身を抜いて、あの儀式の場を作り上げた……ようやく、我が悲願は成就する』
「……国王の中身を、抜いた……?」
グラグラと酩酊のような目眩に目を細めたオレは、まるで独り言のように呟かれたその声を聞き逃さなかった。
パチパチと燃える炎の音に負けそうなほどに小さな声は、音は、それでもオレに嫌な予感と僅かな安堵を運んでくる。
でもそんな安堵なんかは、今の状況では本当に些細なものだった。最早安堵とも呼べないかもしれないくらいの小さなソレは、もしかしたらカイウス王子の救いにしかならないかもしれない。
それでも、ニタリと、口元だけを三日月の形にしたマクシミリアン国王の言葉をつい、待ってしまう。
どうか、どうかと、希望を抱いてしまう。
その段階で負けているというのに気付いていなかったオレたちは、口元と同じように歪んだマクシミリアン国王の笑みを見た瞬間に「やらかした」と気付いた。
カイウス王子は片膝を何とか立てた所で、リリは呪文の構えすらとっていない。オレも【結界】を作る事をすっぽり忘れていて、国王が笑った瞬間に「死んだ」と思った。やらかしたどころじゃない。あぁ死んだ、と、思ったのだ。
しかし、そんなオレたちの中でアレンシールだけが血濡れのカーペットを踏み抜いて前に出ていた。
旅の間も彼が大事に抱えていた剣が翻って国王の首を跳ね飛ばし、首の大動脈がズルリと僅かに皮膚にくっついて抜け落ちていく様を、その血管から凄まじい勢いで血液が吹き出す様を、見てしまう。
カイウス王子の悲鳴は、ただ息を飲んだだけのものだった。
彼だって分かっているのだ。アレンシールがあぁしなければ、自分たちは再び放たれるあの凄まじい衝撃波で崩壊させられていただろうなんて事は、理解しているのだ。
それでも眼の前で首を落とされた父の姿は見ていられなかったのか、色の違う王子の目が細められる。閉じなかっただけでも彼は勇敢だ。そう思うくらいにあっさりと首は落ちていった。
「エリス! 結界を!」
「!」
しかし、剣を振り抜いた格好のままアレンシールが叫びながら身体を横に倒す。
今度は間違えない。そう思いながらも咄嗟に張った【結界】はみっともない出来で、フロイトが後方から【結界】を重ねてくれなかったらマトモな防御も出来なかったかもしれない。
それくらいの速度で、落とされたはずの国王の首から雄叫びが挙がる。
窓にヒビを入れカーペットまでもをビリビリに崩壊させていくその雄叫びが叩きつけられた【結界】は、二重だというのにビリビリと手のひらの向こうでひどい振動を起こす。
『おのれ……』
「あ、あぶ、あぶ、あぶな……っ!」
頭のない首がゆらりと動いて、その様子が見えてはいないのだろうフロイトが両手を前に突き出したままその場にへたり込む。
フロイトは治療に特化した【魔女】だ。きっと、【結界】を練るのが遅かったからこそ今のオレの【結界】とのタイミングが合ったのだろう。危なかった。
アレンシールの警告がなければ、オレたちは……
「アレンシール様!」
「だ、ぃじょうぶ……!」
音には指向性がある。身体を倒して床を転がったアレンシールは、再び耳から血を流しながらも直撃を免れたらしく再び剣を取って立ち上がる。その時に油断なく国王の頭部を剣で突き刺して潰しておくのは、流石としか言えない。
でも、あの位置じゃあ【結界】は張れない。張れて【障壁】くらいだが、【障壁】じゃあの衝撃波を防ぎきる事は出来ないだろう。
オレは【結界】を維持したまま国王"だったもの"を睨みつける。
国王の肉体はまだフラフラとその場で揺らいでいて首の切断面からは動くたびにピュッピュッと血が吹き出している。不気味その上ない姿をカイウス王子に見せたくなくてアレンシールに変わって王子の前に出ると、その姿が面白かったのか何なのか、国王が身体を曲げて、笑った。
『女にまもられるか……カイウス! あぁ、あぁ、そうだ……そうだ。お前も折れれば、この国はルルイェのものになる!』
腹を抱えて、心底愉快そうに"肉体"が笑う。
いや、"肉体"だけじゃない。出血の止まった国王の首が僅かに盛り上がり、喉が異常なほどに膨張し始めている。今度は何だと警戒すれば、切断面から徐々に、徐々に、人間の頭が生え始めている事に気がついた。
薄い色の髪に、マクシミリアン国王の細い身体には見合わないでっぷりとした頬。首元の血管と組織を顔面に貼り付けて徐々に生えてきたその顔は、国王とは似ても似つかぬ顔をしていた。
「儀式は成った! 魔法陣を【魔女】の手で【魔女】の血で濡らし、異本に食わせたっ! あぁ、あぁ! 実に良い儀式であったぞ、【魔女】!」
「何を……言っているの」
「帝国も簡単なものだ! 安全を盾に皇子の身柄を求めれば簡単に寄越した! 正しく生贄という名は、あの場で実ったのだ!」
「なん」
ゲラゲラと、でっぷりとした顔の男は国王の肉体をゆらゆらと揺らしながら声をあげて笑う。
国王の足元はすでに燃え始めているが、そんな事はまったく気にした様子もない。あの肉体があいつのものでないのなら、その痛覚すらないのかもしれない。
だがその姿に、その言葉に、オレとフロイトの【結界】が同時に揺らぐ。
魔法陣
【魔女】の手で【魔女】を殺す
異本
生贄という存在
それは、それって……あの地下ドームでの戦闘そのものなんじゃないのか。
オレは、自分でも知らないうちに――儀式を阻止するつもりでその儀式に加担していたという事なのじゃないのか。
【結界】の維持が僅かに揺らいで、信じたくないと脳が思考を拒む。
もしそうなら、そうなのなら、今この状況を作ったのは――
「お
ビキリと、フロイトの【結界】が悲鳴をあげる。
床に座り込んだままだったフロイトは、目元の布を……彼の視界を封じ続けていたソレを己の顔面の皮膚に爪を立てながら掴み、震えていた。
リリの目が、見開かれる。
アレンシールが剣を握り直す音がする。
カイウス王子が、両膝を床について立とうとした。
「その声は……お
「アレが、バルハム?!」
「あぁ~フロイト。わたしの可愛い子よ……お前も実に、わたしの役に立ってくれた」
【魔女】の子をいいようにするのは、とてもいい気分だったぞ。
それにあわせて、リリも【火】を言葉無く放った。今の彼女に出来る一番速度がある魔術。彼女の使う魔術の中では威力は低いが、使うのがリリであれば十分な火力を持っているソレ。
しかし、アレンシールの剣は見えない何かに弾き返され、リリの【火】は男に届く前に消失した。
初めての現象に、二人が僅かに動揺する。それは、オレも同じだった。
「神だ……神がじきに海より