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第91話 魔女の一味と永遠の別離

 ガシャンっ、と大きな音がした瞬間、オレとカイウス王子は同時に立ち上がっていた。

 ワンテンポ遅れてフロイトも立ち上がり、しかし皆同じ方を向いて「何かが」が起きたのだと理解をした顔をしている。

 音がしたのは、この"王の執務室"の右手奥の部屋――国王陛下の眠っている寝室がある方だ。あっちに居るのは眠っている国王陛下と護衛のヴォルガ、イングリッド女史。その奥の部屋に居るのはノクト侯爵とジークムンド辺境伯と、ジョンのはず。

 流石に国王陛下の居る部屋のさらに奥の部屋に居る三人の所に行くのに入口に面した部屋に居るオレたちを無視して行く事は出来ないはずだ。

 となると、侵入経路は国王陛下の部屋にある防御結界の張られている窓一択だが、それもおかしい。だって、この王宮の窓にはみんな外からの侵入を拒む【魔女の指先マジックアイテム】が使われているはずで、そこが破られれば王宮中に警報音が鳴り響くのだと他でもないカイウス王子が言っていた。

 でも、でもオレたちはそんな音は聞いていない。

「フロイトはアレンシールお兄様たちを呼んできて!」

「わ、わかった!」

 立ち上がったオレとカイウス王子は、乱暴であるのはわかっていながらほぼ同時に足で隣の部屋へのドアを蹴り破っていた。

 執務室と王の寝室の間のドアは頑丈だが、この部屋から連なる部屋の中で唯一【魔女の指先】の封印がされていないドアだ。【魔女】ではないカイウス王子も、オレだってちょっと力を入れれば蹴破れる。

 しかしオレは、部屋の中に向かって倒れていったドアが倒れた途端に漂ってきた匂いに顔をしかめて、足を止めてしまった。

 強烈な鉄臭さと、胃の内容物をぶち撒けたような――体内の消化液をばら撒いたような、鼻を突く酸っぱい匂い。

 執務室からの明かりしかない寝室の中で、オレは最初さっきの、フロイトのように誰かがこの部屋で嘔吐をしたのではないかと、思った。

 もしかしたら酒を持っていったジークムンド辺境伯がうっかりやらかしたのではないかと、この部屋でやることじゃないがそうであったらいいと、そう思ったのだ。


 だが現実は、残酷だ。


「イングリッド……辺境伯夫人……?」


 薄暗闇の中、浮かび上がったのは真っ赤で、びしょびしょに濡れているカーペット。

 それから、そのカーペットに倒れ伏すイングリッド女史と……肩を抉られた状態で壁に縫い付けられたように座り込んでうなだれている、ヴォルガだった。

 まさかと、そんなわけがないと、一瞬脳が現実を理解するのを拒む。

 オレよりもほんの少し先に中に入っていたカイウス王子も一歩、もう一歩と前に出て、けれど足が真っ赤な血を踏むとその足も止まる。

 イングリッド女史は動かない。ヴォルガは、息があるのか僅かに肩が動いている。

 何が、何があった? 窓は開いてない。戦闘の音もしなかった。なのに、何が?

「父上……ち、父上っ!」

 そうだ、国王陛下。

 先に我に返ったカイウス王子が、イングリッド女史からなんとか視線を引き剥がして父の名を呼ぶ。

 しかし、直後にオレたちの視界で瞬いたのは鉄同士がぶつかり合う甲高い音と白人の煌めきだった。

「リリ!」

「はい!」

 アレンシールお兄様。オレとカイウス王子を狙った何かを剣で叩き落とし強引にオレたちを床に押し付けたアレンシールは、リリの名前を呼ぶ。何をするのか。混乱の中のオレがリリの作った【火】で照らされた室内を見たのは、リリの魔術が着弾した奥の部屋のドアが燃えるのを見た時だった。

 イングリッド女史の、胸から下がない。

 いや、ある。あるけど、あんな、部屋の端っこに、蹴っ飛ばされたみたいに落ちて、いて、

 彼女はもう、息を、していなかった。

 グワッと腹の奥で何かが燃え上がるのが分かる。

 何かが、誰かがここに侵入した。いや、潜んでいたのかもしれない。オレたちに気付かれないように潜伏して、イングリッド女史を殺した。

 何が

 誰が?

 何故オレは、気付かなかった!?

「エリス様っ!」

「くっ!」

 冷静になれ。

 頭の奥でオレじゃない誰かがそう叫んでいるようで、必死にその声を心に留めながら眼の前に【結界】を展開する。

 再び飛来した鉄の何かはアレンシールが叩き落としたが、次に襲いかかってきた強力な音の波動はオレの【結界】にぶつかって、周囲の壁を粉々にして消えた。

 イングリッド女史の上半身が弾き飛ばされて、隣の部屋まで転がっていく。血しぶきを上げながら転がるその身体には一切の力もなくって、それが余計に虚しさを感じさせた。

 危なかった。神殿の地下のドームでの戦闘を学習して音波対策をしていなかったら、今頃オレたちも全身から血を吹き出していたかもしれない。

 落ち着け。冷静になれ。

 ヒヤリとする心臓を叩いて、【魔女の指先】のおかげで崩壊をしていない窓の方にカイウスを隠す。

 カイウス王子は剣を持っていたが、アレンシールより上かと聞かれるとそれは分からない。今のところ、オレの基準でこの国で一番強い剣士はアレンシールだ。知識と度胸を加味すると、どうしてもそうなる。

「……え」

「なっ」

 カイウス王子を後ろに下げるべきか、フロイトを前に呼んでヴォルガの治療をするべきか。

 まだ混乱している頭の中で必死に計算をしていると、反対の壁の方でゆらりと誰かが立ち上がるのが炎の向こうで、見えた。

 リリの炎は奥の部屋のドアを【魔女の指先】ごと破壊して、その周囲の壁も巻き込んで炎をあげている。あの炎はリリの意志で消えるのでそう問題視はしていなかったが、そこに誰かが居るのならば消さなくては。

 そう思ってリリに合図をしようと思ったオレは、しかしリリに合図を送る手を止めて呆然と、炎の中を歩いてやってくるその姿を、見つめてしまった。

 王の寝室に居たのはイングリッド女史と、ヴォルガ。

 その奥の部屋にはジークムンド辺境伯とノクト侯爵と、ジョン。

 そう、オレの馴染みのある人たちは、そういう配分で散っていたはずだ。

 さっきまで動いていた者は、そうだったのだ。


「父上……?」


 にっこりと、炎を抜けてこちらにやってくるその人は――エグリッド王国代19代国王マクシミリアン国王陛下、その人だった。

 馬鹿な、と、アレンシールが言い、カイウス王子の持っていた剣が床に転がる。

 マクシミリアン陛下の姿は、おぞましいとしか言えないものだった。ずっと寝付いていたためか痩せ細った身体に血で汚れた鉄の棒だけを持ち、口角をにっこりと上げた口元の白いヒゲには彼の顔にも散ったのだろう血液がどろりと付着している。

 身体を包む真っ白な寝間着にも、最早元々そういう色だったんじゃないかと思ってしまうくらいに血液が飛び散り、多分所々、脂肪か、内臓か――脳漿か。パッと見では分からない色のものがべっとりとくっついていた。

「あぁ~あ……カイウス……遅かったなぁ?」

「父上……ちちうえ……何故、なぜ……っ」

「なぁに、案ずることはない。お前もすぐに……」

 にちゃりと、いやらしい音をたててマクシミリアン国王の口が開く。ガサガサに乾燥した唇はその奥の歯まで真っ赤で、もしかしたらあの口で誰かを……もしかしたらオレたちには見えない位置に居る誰かを食ったのではないかと思わせる、有り様で。

 その口が、口角を引きちぎってガクンと後ろに倒れるくらいに、開かれる。

 咄嗟に【結界】を張れたのは、後方から【障壁】が張られる気配を察したから、だろう。

 リリじゃない。もっと後ろ。

 フロイト。

 バンッ! とすさまじい音が、眼の前で弾ける。【結界】と【障壁】の二重張りだってのに、音を完全に遮断しきれずに衝撃波が身体を舐めて通った。

 フロイトの【障壁】に気付いていなかったら――衝撃波を受け止められる【結界】を使えるオレが止めてなかったらどうなっていたか。

 想像するだけで冷や汗が出る。フロイトも、最初の衝撃波の段階でオレの【結界】の範囲内に居てくれたのがラッキーだった。

「この攻撃は、あの魔女の異形のと同じだね」

「はい……つまり、あの陛下は……」

 神殿の地下の、生贄の儀式を行うドーム。そこで襲撃してきた【魔女の異形】の使った攻撃を使う、国王陛下。

 王宮と、神殿。

 想像したくもない事実に、ついにカイウス王子の膝が折れた。

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