仮にも帝国の皇子をただの貴族と同じ部屋にしておくわけにもいかず、国王が眠りカイウスも使うことになる寝室にソファを運び入れてジョンにはそこを使ってもらうことになった。
本音で言えば出来ればもう少し娘と話をしたかったと思うが、さっきまでの話を聞いてしまえばジョンを放置しておくことも出来なさそうでため息がこぼれる。
エリアスティールは、本当にいつの間にか大人になっていたとノクト侯爵は実感している。
元々おませな女の子だったが、それにしても突然に大人になり、今ではジョンよりも大人なのではと思わせられる言動をとる程には彼女は成熟しているように思えた。
ノクト侯爵としては、だからこそ彼女としっかり話をしたかったし、彼女をぎゅうと抱き締めたかった。
突然ダミアンによって陥れられた彼女が【魔女】であったという話をアレンシールから聞いた時も「やっぱり」半分、「まさか」半分で、最終的には「そうだろうな」という感情が強かったと思っている。
エリアスティールが【魔女】だろうが普通の人間だろうが、ノクト侯爵から娘への愛情に変化はない。当たり前だ。大事な大事な愛娘なのだから。
けれどこんな国の裏で起こっている戦いのど真ん中に居る娘に自分は何をしてあげられるだろうかとは、常々疑問だった。
そもそもエリアスティールも、自分の助力を必要としていないのじゃないかとノクト侯爵は思っている。
侯爵は彼女の実力を知らないけれど、大神殿をたった二人の少女だけで陥落せしめたという話を聞いただけでその技量は推し量れる。
彼女はいつか、国を動かすだろう。【魔女】としてか、貴族としてかは別としてだ。
このエグリッドは彼女の敵になれば彼女はこの国と戦うだろうし、味方となれば何よりも強い後ろ盾となるはず。カイウス王太子もそれを理解しているから、エリアスティールが【魔女】だろうが気にせずに受け入れたのだ。
父としては、なんとも複雑な心境では、ある。
長男のアレンシールは妻に似て美しいが身体が弱く、しかし賢くて内政官になればすぐに頭角を現すはずだ。
次男のジークレインは早々に剣術を教えたためか騎士に憧れ、今は王太子直属の護衛として動いている。
エリアスティールは、幸せな結婚をして夫を支えてほしかった。
3人への希望の違いだけで、自分の頭の中ではエリアスティール本人への期待は薄かったのだろうと思わされて、なんとも苦しいことだ。未だに古いところのあるエグリッドの貴族社会では当たり前のことであるとはいえ、エリアスティールにはまるで向いていないだろうに。
だがもし彼女がジョンと結婚したならば、きっと彼女はジョンを皇帝へと押し上げるまで尽くすだろう。あるいは、その逆かもしれない。
あるいはカイウス王太子と結婚したならば、エグリッド王国は今よりも遥かに栄えることだろう。カイウス王太子は、【魔女】についての造形が深い。
ではエリアスティールの希望はどこにあるのだろうか。彼女はこの国で何をしたいのか。
どうしたいのか。父親なのに、ノクト侯爵は知らないままだ。
「考え事か、兄上殿」
「グウェンダルか……まぁ、娘についてな」
「エリスはいい子だ。だが、背負うものが大きすぎるな」
「あぁ」
兄の様子が気になったのかこっそりと部屋にやってきたらしいジークムンド辺境伯は、どこから持ってきたのやら大きなワインのボトルとグラスを3つ、テーブルに並べた。つまみなんかはない、貴族らしからぬ酒盛りだ。
だというのに、ジークムンド辺境伯は何を思ったのかわざわざ隣室に待機させておいたジョンまで呼んでグラスを渡す。なんで2人なのにグラスが3つなのかと思っていたが、ジョン用のものだと知るとどうにも苦虫を噛み潰してしまう。
さっきまでそこそこリアルに娘の結婚相手として見据えていた男だ。
本人は年上の男しか居ないこの空間に居心地の悪さを感じているようだが、アレンシールとエリアスティールとの関係は悪く内容に見えた。なにしろノクト侯爵は、エリアスティールがあんな風に砕けた話し方をするのを見るのは初めてだったのだ。
「まぁ聞いてくれ第3皇子殿。この親父ときたら、愛娘が可愛くて仕方がないのだ」
「は、はぁ」
「俺にも可愛い娘が居ってなぁ、年の頃は15になるのだがまだ良縁がない! 母のような騎士になるのだと勇ましいが、あんな美人が騎士になったら国の損失だろう」
「イングリッド夫人も美しかろうに」
「それは当たり前だ! 大前提だ! 妻は兄上の奥方にも負けぬ美しさをもっておる!」
「は、はい」
ドボドボと上質なワインをグラスに注いでは飲み干すジークムンド辺境伯に、ジョンはすっかり混乱顔で相槌を打つだけだ。
こうなると絡み酒でうるさくなると弟の悪癖を知っているノクト侯爵は、ジョンを己の隣に座らせてさっきまで自分が飲んでいたぶどうのジュースを注いでやった。
まだ20そこそこの若者に、面倒な酒が入った弟の相手はさせられない。騎士としては素晴らしい男であるのに、どうして酒が入るとこうなってしまうのか、ノクト侯爵は僅かに頭痛を覚えた。
「……ノクト侯爵。聞いてもいいでしょうか」
「うん?」
「例えば……今の自分の地位と子供たちを天秤にかけたら、貴方ならどちらをとりますか?」
「子らだな」
「即答ですね」
「それはそうだ。例えこの件の黒幕が国王陛下だったとしても……もしそうであるのなら、私は陛下にも弓引くかもしれん。陛下を信じているからこそ、ではあるがね」
ジョンの聞いてきた仮定は最早ノクト侯爵の中では仮定ではない。
今の段階で、国王陛下が裏で糸を引いていた可能性は0ではないのだ。今は呪いという形で眠りについているが、その前に神殿と協力をしあっていた可能性だってある。
もしそうであるなら……長年の知己であるからこそ、ノクト侯爵は国王に失望をすることだろう。
結果的に契約を反故にしたか何かで神殿に呪いをかけられたのだとしても、あるいは神殿ではない海に関わる第三者に呪われたのだとしても、一度でも国民を裏切った国王を玉座につけておきたいとは思えない。
あの聡明なカイウス王子が居るからこその考えであるとはわかっているが、もしも国王が子らに牙を向けるようなことがあれば自分の地位を失ってでも子供たちを守る覚悟くらいは、ノクト侯爵にはある。
国王の補佐となった時から、国をとるか家族をとるかはいつだって考えてはいた。その結果が家族であるのは、貴族としては失格かもしれないが一人の父としては譲れないものであるとも、思っている。
ジョンはノクト侯爵の返答に驚いたような顔をしていたが、ジークムンド辺境伯はニヤニヤとしたまま止める様子もない。あの男とて、この国を護っているのは同じく家族のためで間違いがないだろう。だからこそ止めないし、咎めもしないのだ。
ノクト家とは、そういう家なのかもしれない。
「第3皇子……いえ、ジョン。君がエリスの友人である限り、私は君の事も守りたいと思っている」
「……は?」
「私は我が子たちを信じている。そして、我が子たちの信じた者も信じているし……守りたいとも思っているんだよ」
そうすることが我が子たちの笑顔に繋がるのであれば、ノクト侯爵はジョンを守ることにも躊躇はしないだろう。
それはあの子たちが間違いを犯さないと信じているからであり、彼らがやることには間違いがないと確信出来るようになったからというのもある。
あの子達もいつの間にか大きくなったのだと、そう思えるようになったから。
ヒュ、と、不意にジョンの呼吸が引き攣る。
ジークムンド辺境伯がグラスを取り落とした音がして、ノクト侯爵は一瞬「弟の失敗を注意しなければ」と、思っていた。
しかし思考よりも早く身体が動き、眼の前に座っているジョンを胸に抱え込んでソファから転げ落ちる。ジョンが持っていたグラスも落ちて、割れて、少しだけ残っていたぶどうジュースの飛沫が目に入った。
痛い、と思ったのは、"どっち"だろう。
確実に己の胸部を背後から貫いた「何か」は、最早痛みではなく衝撃だった。それでも、身体の自由が奪われる一瞬前に動けたのは、自分を褒めてやりたい部分だと血を吐きながら思う。
「侯爵様!!」
抱え込んだ若者を己の影に隠すようにぎゅうと腕に力を込める。
しかし、背中から胸骨までを貫いて突き刺した「何か」を抜かれた瞬間、溢れ出す血液と共にノクト侯爵の腕からも力が抜けた。