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第87話 リリは語る

 王宮の中というのはどこもかしこも綺麗すぎて落ち着かない。リリは国王の執務室の隣の続き部屋に案内されてからも、そわそわと落ち着かない心地でソファに座っていた。

 この続き部屋の出入り口は執務室だけで、ここから直接外に出る扉はない。同じように窓もなく、ある扉の先にあるのは執務室ともう一つの続き部屋だけだ。

 何でこんな作りの部屋があるのかと不思議に思っていたリリにアレンシールが「安全確保と、今日みたいな時のためだよ」と教えてくれたので、今が本当に非常時なのだという事を思い知ってしまったのは少しだけ、怖くはある。

 あるけれど、この部屋には本当に何もなくて、あるのはただアレンシールが横になっても十分な大きさのあるソファとテーブルくらいのものだったので、色んな意味で「安全が確保されている」のだという事だけはしっかりと理解した。

 ただ、キルシーが居ないのはやはり不安だ。

 部屋の外の木に居てくれている気配はあるのだけれど、今はもうリリの魂の半分を分け与えたと言ってもいい使い魔の姿が見られないのは、精神の安定的にはあまりよろしくはない。

「アレンシール様……凄い怪我。痛くないんですか?」

「今は痛くないよ。エリスが閉じてくれたからね」

「閉じた……だけ?」

「エリスは、中身が回復するのは自力でやってくれって言っていたかな」

 同じ部屋で待機しているアレンシールは、王太子殿下が渡してくれた服に着替えるために服を脱いでいる。手伝っているメイドは一体いつの間に、どこから来たのかは分からないがアレンシールが触るのを許しているという事はノクト家のしっかりしたメイドなのかもしれない。

 自分が手伝って上げられていればよかったのだが、貴族の服というのはどうにもややこしくってリリにはよくわからなかったのだ。

 これが王太子殿下の服ともなると生地から作りからまったく違って、触るのさえも躊躇してしまうほど。

 しかもアレンシールの両腕と腹部には鋭利なもので切り裂かれたような怪我があって、傷は閉じて血は止まっているようだが大きな痣のような色になっているし顔色もあまりよくないようなのでアレンシール自身に触れるのにも遠慮してしまう。

 エリアスティールの【治癒】の魔術についてはリリも知っているけれど、表面を閉じただけで大丈夫なのだろうか。

 メイドが今まさに包帯を巻いているが、腕の包帯を巻いている時にはアレンシールが少しばかり顔を歪めたのをリリは見逃さなかった。

「フロイト……呼びましょうか」

「今大事な話をしているようだから、大丈夫だよ」

 ありがとう、なんて言われると、なんだか凄く申し訳なくなってしまう。

 リリが出来るのは、攻撃の魔術だけだ。それも、基礎中の基礎である【火】とそれに連なる魔術だけ。エリアスティールのように沢山の魔術を使う事も出来なければ、フロイトのように誰かを護ったり癒やしたりすることもできない。

 エリアスティールはそんなリリを見て

「適材適所よ」

 と言ってくれたけれど、アレンシールの怪我を見ていると「ほんのちょっとでも治癒が使えたなら」と思ってしまう。

 だって、リリの頭の中には未だに消えない影が、こびりついているのだ。

 両親が、弟妹が……家族全員の死体が、未だに消えない。

 死んでしまっている人に【治癒】をかけた所でどうにもならないのは分かっているけれど、わかっているからこそ今生きている人を癒やしてあげたいとも思うのだ。

 出来る事が少ないからこそ、少しでも出来る事を増やしたい。

 そう思うのに、何かを学ぶにしても時間が無さすぎて何も学ぶ事が出来ないのが本当に悔しかった。

「リリさん、お茶でももらおうか?」

「あ……ありがとうございます」

「もうすぐエリスもこっちに来ると思うから、ゆっくりしていていいよ。私と一緒だとリラックス出来ないだろうけど」

「そ、そんな事ないですよ!」

 両腕の包帯を巻き終えて今度は腹部の包帯を巻かれているアレンシールは、上半身が裸状態だ。ハッと気付いて慌てて視線をそらすと、リリのその反応でやっと自分の姿に気づいたのか、アレンシールが苦笑を零す。

「見苦しいものを見せているね」

「そそそそんなことは! アレンシール様はいつもお綺麗ですっ!」

「うん……うん?」

「それなのに……身体に傷が残っちゃったらどうしましょう」

 俯いたまま、ぎゅっと両手を重ねて力をこめる。

 今は平常時ではない。神殿と王国の戦争と言っても過言ではない状態では、怪我をするのは当たり前の事だ。

 エリアスティールとてダミアンとの戦いではボロボロになりながら戦っていたし、リリだって沢山の人の血を見てここまできた。今更誰かを殺す事を躊躇したりはしないし、守るもののためならば自分の掌が真っ赤になっていようが、そんなことを気にしはしないとも思っていた。

 誓ったのだ。約束したのだ。

 生き抜いて、【魔女】として強くなると。エリアスティールとアレンシールを守ると、決めているのだ。

 けれど現実は残酷だ。見ていない間に怪我をしてしまう人や、連れ去られてしまう人――死んでしまう人だって、出てくるかもしれない。

 自分はいっぱい殺しているのに殺されるのは嫌だなんて今更言うつもりはない。でもそれは、自分自身に限った話だ。

 殺される覚悟があるから、戦える。リリの【火】は、そのためにあるのだと初めて魔術を使った日からそう思って頑張ってきた。

 でも、アレンシールの身体の怪我だったり国王陛下の前で倒れたフロイトだったりを見てしまうと、「彼らが死ぬのは嫌だ」と思ってしまう。

 アレンシールの流した血が、彼の痛みの表情が、まるで自分のことのように苦しく感じてしまう。

「私は、リリさんが怪我をするよりもいいと思っているけれどね」

「そんなこと……」

「怪我は男の勲章、なんて言うつもりはないけど……リリさんが怪我をしてしまったら、私は自分の怪我よりもずっと痛がってしまうと思うからね」

 淡々と包帯を巻いていくメイドの手が一瞬ピクリと揺れて、しかしすぐに持ち直して包帯を握り直す。

 その様子を不思議な心地で見つめながら、リリは珍しく髪を結っていないアレンシールを足先から頭までゆっくりと見つめた。

 本当に綺麗な人だ。肖像画でどれだけ美しく描き直したとしても、本物の美しさには敵わないだろうことが分かるくらいに、綺麗な人。

 なのにこんなにも怪我をする事を厭わないから、リリやエリアスティールを守るために手段を選ばない人だから、それが少しだけ怖くなってしまう。

 きっとリリは、アレンシールが自分の知らない所で死んでしまったなら家族が死んだ時と同じくらいには悲しむし、今度こそ立ち上がれなくなってしまうと思うのだ。

 勿論本人には言わないけれど、きっと、きっとそう。

「……アレンシール様。【魔女】って、悪い人なんでしょうか」

「まさか。【魔女】は優しい人だよ。少なくとも私が知っている【魔女】は、みんな素敵な人だから」

「でも、私は誰かを殺すことに躊躇をしたことがありません」

「奇遇だね。私もだよ」

「アレンシール様、わたし……」

 わたし、初めて戦うのがちょっと怖くなっています。

 そう言おうとして、口をつぐんで膝を抱えた。

 リリは戦うことは怖くなかった。騎士たちの振るう剣を避けながら魔術を使うのだって、怖くなんかなかったのだ。

 でも、今日、ボロボロの格好のエリアスティールとアレンシールが格好で鏡から出てきた時、リリは「自分の大事な人が自分の知らない所で傷つく」という事を初めて知った気持ちになった。

 ジョンが連れて行かれた時も悔しかったけれど、実際に戻ってきた彼がヨレヨレの格好をしていたのもショックで、リリはアカデミーから帰宅した時に母親が病気で寝ていた時もショックだったなと、昔のことを思い出したものだった。

 さっき話し合いをしている時、アレンシールが何度も何度も耳から流れる血を拭いながら絵を描いていたのを、リリは見ていた。あんまりよく聞こえないから口を挟まないのだということも、ちゃんとわかっていた。

 リリが知らない所でも時間は流れ、人は動き、傷つき、死んでいく。

 当たり前のことなのに、知っていたはずのことなのに、まるで家族が死んでしまった時に脳がその事実を理解する事を拒絶していたかのように今まで考えずに来てしまった。


「アレンシール様」


 ぽそっと呼びかけると、今度はアレンシールも「なんだい」と笑顔で応じてくれる。耳からの血は、今は流れていない。

 でも、だから。

 だからこそ、目を閉じて、もう一度開いた時が怖いのだと、リリは今日初めて知ってしまったのだ。

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