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第86話 魔女の首席と玉座の主

 フロイトの懺悔によって空気が変わった首脳会議とも言える会合は、アレンシールやオレが怪我をしていた事やフロイトを休ませるべきだというイングリッド女史の進言によって一時解散となった。

 とはいえ、用意されている客間は王家の人間が非常時に利用するという続き間で、オレとアレンシールとジョン、イングリッド女史とヴォルガは王の執務室から続いているこの部屋から一歩も出ていない。

 鏡を通して王宮にやってきたオレたちの事を城の人間は誰も知らないから、わざわざ神殿側に情報をくれてやる必要もないという判断からだ。

 どうせ大神殿を荒らした事はすでにバレているだろうが、その犯人が王宮に居るという事を知らせる必要もなかろうと王太子直々に箝口令が敷かれている。

 現状オレたちがここに居る事を知っているのはさっきまでの会議に居たメンバーと、王太子が子供の頃から面倒を見てくれていたという執事長とメイド長だけ。

 二人には念の為オレが【嘘発見】をかけた上で神殿の手先ではない事は確認済だ。二人とも王家に対する忠誠心の篤い素晴らしい人柄だったので、安心してオレたちのフォローを頼む事も出来た。

 実はオレはその【嘘発見】という魔術に関してはさっぱり知らなくって、エリスの日記帳を久しぶりに開いて確認をしてみたけれどやはりそこにはそんな魔術は無く、では何故王子がそんな魔術を知っているのかと首を傾げてしまったりした。

 そこで王子が「自分は【魔女】についての研究をしている」とかいう、本来であれば王宮の中では発現してはいけないような事を言いながら山程の魔術資料を出してきてくれたもので、ひっくり返ってしまうかと思った。

 カイウス王子の持っていた魔術資料はエリスの記憶のあるオレや、神殿で育ったフロイトですら知らないものばっかりで、眺めながらちょっとばかり呆然と、びっくりしながらしげしげと読み込んで。

 【嘘発見】についても魔術を使えないカイウス王子の方が詳しかったものだから使い方を相談しながら魔術をかければ、何故かその光景に目を輝かせた執事長とメイド長が「ついにノクト令嬢と婚約を?」だとかいう妙な勘違いをされたのだけはちょっと……どうにかならんか? とは思ったけども。

 ノクト侯爵といい、執事長とメイド長といい、それなりの身分の男女が近くに居るとついそういう方に意識が向くものなのだろうか。それはそれである意味健全とも言えるかもしれないが、まだ死ぬ前の記憶が生々しいオレにとっては微妙な気分だ。

 結局フロイトも休んでいる余裕もなく王子と神殿についての情報のすり合わせをしているし、休んでいる余裕はまだ、ないのかもしれない。

「さっきはすまなかったな、エリス。メイド長たちは、縁談の決まらぬ私にやきもきしているようでな」

「あぁ、いえ。問題ございませんわ、殿下」

「だが君には婚約者が居ただろう?」

「……その婚約者は、もう亡くなりましたの」

 夜になって、カイウス王子のまとめている資料整理に立ち会っていたオレは、そういえばまだダミアンの死は国には伝わっていないのかと複雑な気持ちになった。

 そりゃあそうだ。ダミアンが死んだのはほんの数日前。

 もう随分前のように思えてしまうが、オレたちがあちこち【転移】して回っているから時間の流れが早いと感じているだけで、ダミアンとの戦いはまだまだ国中に広まる程風化したものでもないのだ。

 フロイトがオレの方をチラリと見て、オレもフロイトを見て肩を竦める。ダミアンの死には、直接的ではないにしろフロイトも関わっている。王太子に話をするのに神妙な気持ちになっても不思議じゃない。

 カイウス王子はダミアンが死んだという話に目を丸くしていたけれど、何かを察したのか書類にサインを入れていた手を止めてオレたちに向けて静かに「許す」とだけ言った。

 一瞬、ダミアンを殺した事を許されたのかと思ったけれど、違う。事情を話す事を――王太子の前で令嬢が口を開くことを許すという、そういう意味だ。

 現代日本ではあまり実感のないその感覚にちょっと重々しい気持ちになりながら、オレはカイウス王子にダミアンとの事を話した。彼には、話すべきだし話さなければいけない事だから。

 オレとフロイトは、少しだけ悩んでから順々に口を開いた。


 最初はオレが、ダミアンがオレとリリを陥れて【魔女】として断罪しようとしていた事と、そのためにリリの家族を全員殺害していたという事を。

 それからフロイトが、神殿が【魔女】専門討伐部隊を結成しておりヴォルガは元々その部隊の一員であった事を。

 それからは順番に、ダミアンとダミアンが連れていたセレニア・エルデもまたその部隊に関わる人間であり、セレニアは広義的な意味では後天的な【魔女】であるとも言える存在であった事や、リリの双子の兄弟であるフロイトを幼い頃に拉致して聖者として育て、対【魔女】用に育てていた事。

 そして、フローラの大神殿でセレニアと異形へと変化したダミアンと戦い、どちらも倒した事。

 セレニアに魔力を吸い上げられながら【聖者】とは名ばかりの道具として使われていたフロイトはそこで神殿から逃れ、ヴォルガと共にオレたちに合流した事を、語る。


 夜の間に話すには時間が足りそうになかったからオレは淡々と必要な事だけを語り、フローラでの戦闘だけはきちんと王太子に報告をした。

「……そうか、レンバス家がな」

「今思えば、ダミアンが異形化した姿も魚のような……生臭い何かを感じましたわ。神殿のことと無関係とは思えません」

「それもそうだが……夜が明けたらレンバス家とエルデ家に遣いをやって一族を拘束しよう。他に神殿に協力をしていないとも限らぬ」

「はい」

「エリアスティール。お前は……」

「……はい」

「お前は、頑張っていたのだな」

 言われてみればこれはお家の問題でもあり、ダミアンやセレニア個人を囚えて終わる問題でもなかったのかと頭を抱えかけたオレは、カイウス王子の思わぬ言葉に額に触れようとした手を忘れてしまった。

 カイウス王子はデスクに両肘をついた状態でため息をついていて、まだ頭の中の整理がついていないように見える。

 それも、そうだろう。レンバス家は侯爵家の第二位だ。そんな家の嫡男が大神殿と癒着していた上に異形へ変化して死んだなんて、そんなのは中々受け入れられる話しじゃない。

 フロイトについてだって、彼はこのエグリッド王国の国教である【蒼い月の男神】の神殿で育てられた子供だ。本来であれば――王家の権力が強い状態であったなら、神殿で育てられた子供がそんな扱いをされているのは、許されざる事でもあるはずで。

「……そんな事を言われるとは、思いませんでした」

「いや、お前もフロイト殿も、今日までよく生きていてくれたと思うよ」

「……わたくしは、沢山の人を殺しました。フロイトも神殿から来た者です。そんなわたくしたちの言葉を、頭から信じてもよろしいのですか?」

「お前が嘘をつく人間ではない事は、俺が何よりよく知っておる」

 頑張ったな、エリス。大事なものを守りながら、よくぞ今日まで頑張ったものだ。

 カイウス王子のその言葉はじんわりと胸に浸透していって、そこでようやくオレは「あぁオレって頑張っていたんだ」と、思った。

 そうだ、オレは頑張った。

 死ぬ前も、一生懸命勉強を頑張ったし、ブラック企業でもすぐに辞めるとまた何を言われるか分からないからと仕事をしながら必死に翌年の公務員試験の勉強をしていて、眠る時間は本当に微々たるものだったんだ。

 この世界に来てからも逃げなければいけない日までは7日しかなくって、それまでにリリと出会って味方をみつけてなんとか逃げないといけなくて、逃げてからも魔術を覚えながら安全な道を模索しながら……

 頑張った。オレ、頑張ってたんだ。

 頑張ったって言ってもらって、よかったんだ……

「……カイウス様、わたくし……」

「お前が魔女の首魁というのには驚いたが、だからといって全て背負わずとも良い。この国はお前だけが背負わずとも良い。アレンシールだけではなく、今はお前の父も、叔父も、私も居る」

「……はいっ」

 一人で戦わずとも良い。

 これからもお前は一人ではない。

 言葉を失って俯くオレの手を、フロイトがそっと握ってくれる。それは、フローラで初めて出会った時に触れたのと同じあたたかさの手で、あぁこの手を……あの街で一人何も出来ずに呆然としていたこの手を逃す事がなくてよかったと、そう思う。

 頑張ったんだ、オレは。

 認めてもらえているんだ。

 カイウス王子の言葉はじんわりと、さっき飲みそこねた紅茶よりもじっくりと、オレの身体の中に浸透していくようだった。


「貴方様がこの国の後継者で良かったと、心から思いますわ。カイウス王太子殿下」

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