オレが内心でメラメラしている間にも、ジョンの話は続いている。
ノクト侯爵がチラリとオレを見たが、しかしオレは彼とは目を合わせなかった。ジョンとの話でオレが下手に反応すればまたあの変な反応をされるかもしれないし、余計な話をするのは時間がないかもしれない今の状況では無駄でしかない。
後でぜってー問い詰めてやるという気持ちは、あるけれども。
「オレは、大神殿に運ばれる時に儀式の間、と呼ばれる所に連れて行かれたようでした。オレを運んでいた神殿騎士が、そう言っていたんです」
「儀式の間……」
「それがさっき話に出てた地下のドームだったみたいなんですが、その儀式の間は……壁一面に海の絵が書かれていました」
今度は、ジョンはアレンシールを見る。
なんでオレじゃないんだ、とちょっとイラッとしたけれど、アレンシールはすぐにジョンの視線の意図を理解したのか頷いてからすぐにオレたちの座っているソファの近くまでやってきた。
手に持っているのは、恐らくはカイウス王子が渡したのだろう王家の印章がついている紙と、王家の象徴たる鷹の尾羽根を使った羽根ペンだ。となると、カイウス王子に何かを借りて書いていたんだろうなというのが分かったけれど、アレンシールがテーブルの上に置いたその紙に書かれているものが、オレには何だかは一切理解が出来なかった。
なんか……なんだ? これは。
そもそも……絵、なのか……?
「……アレン。これは?」
「さっき言った地下ドームの壁に描かれていた壁画を覚えている限り再現してみまたものです、王子」
絵だった!!!!!!!!!
グッと頬の内側を噛むオレの横で、ジョンがフレーメン反応を起こした猫みたいな顔をしている。ノクト侯爵と辺境伯も真剣な顔をしているもののまるで理解できないものを見ているような目で見ていて、オレはちょっと、腹筋が攣りそうだった。
ダイヤを横向きにしたような……二等辺三角形みたいな形のものが無数に描かれていて、そこになんか、なんだ? 中世の芸術家が描いたみたいな人……人なのか? 多分人っぽいぐねぐねとした線っぽいものが複数あって、多分それが魔女だ。一瞬なんか筆記体で書かれた文字かと思ったソレは、多分オレがあのドームの背景を見たことがあるから分かるものだったんだと思う。
見てなかったら確実に暗号だと思う。これは。
イケメンの唯一の弱点が芸術性とは、なんつーか、マジで漫画の主人公みたいな男だ、アレンシール。
「あ、これ! あの、壊れた神殿でも見た絵ですねっ」
「わかったかい、リリさん。そうなんだ。見たことがあると思ったら壁画の一部がソレだったんだよ」
「この三人の魔女が杖を持っている所、壊れた神殿にもありましたよね」
「魔女……? 三人……?」
執務机から移動してきてアレンシールの絵を見ていた王子がぼそっと呟いた言葉に、噛んだ頬の内側に更に力を込める。笑うな。笑う場面じゃないんだ
わかっているんだが、オレはどうしてか真面目なシーンでぶちこまれるシュールなギャグとそれを見た人のぽかんとした反応に弱い。
なんで人間は笑っちゃいけないシーンでこそ一番笑っちゃうものなんだろうか。
「えぇと……なんつーか、多分海の中で多分魔女っぽい女性が本を囲んでいる絵と、なんか綺麗な杖を持って人々になんか……祝福? を与えてるっぽい魔女なんだろう女の人たちの絵、でした」
「お、おぉなるほど! 言われてみれば確かに……」
「確かに……?」
すかさずジョンがフォローを入れるが、辺境伯もノクト侯爵も「確かに?」としか言えなくなっている。
よく見てくれ。空間を区切っている一本線っぽいものが多分杖で、その下にあるなんか……なんだこれ……数字の0がいっぱい書かれているっぽい部分は多分人だ。エルディの所で見た壁画が正しければ。
いや無理だ。これ以上のフォローは出来ない。
「魔女信仰の壁画がそこにあった、というのでいいか、兄上」
「そうですわ! ジークレインお兄様! その通りです!」
「そう! そしてその海の中で本を見ている魔女の絵の周囲に、なんか四角い建物みたいなのがいっぱい書かれてて、円形のドームの全周に描かれてて不思議だったなって話です王子!」
「そ、そうであったか」
段々と口数の減っていく中ジークレインが一先ずのまとめを入れて、即座にオレとジョンもそれに乗っかる。
これ以上アレンシールの絵に突っ込んではいけない。きっとあそこで鼓膜を損傷したせいでちょっといろいろおかしくなっているんだきっと。
きっとそう。
そうであってくれ。
「そのドームの中の床には、何かが描かれているのをわたくしも確認いたしましたわ。ジョンが儀式の間に連れて行かれたと言っておりましたし、もしかしたら生贄の儀式でも行っていたのかもしれないと思っております」
「生贄か……神殿とは真逆の言葉のように感じるが……」
「だが、魔女を連れ去り異形化させていたのであれば疑う余地もなかろう、侯爵」
「はっ……」
よかった、方向転換できたか。ちょっとホッとして、また大人たちが集中モードになったのにホッとする。
リリだけはアレンシールの感性に合ったのか絵を絶賛しているが、リリにはそのままで居て欲しい。是非とも。
「海……」
はー、とため息をつきつつ紅茶を一口いただこうとしたオレは、ポツリと呟かれた声に気付いて顔を上げた。
フロイトだ。いつ覚醒したのかは分からないが、真っ白い司祭服の袖に血液混じりの唾液を吐いてからフロイトがノソノソと起き上がるのを、リリが慌てて支えてやっている。
「海を、見ました。陛下に、触れた時に」
「……あ」
「深い海の底に、建物がありました。人はだれも居なくて、でも誰かがこちらを見ていて……それで、じっとその街を見ていたら気持ち悪くなったんです」
「わたくしも……わたくしも同じものを見ました!」
フロイトの言葉に、背筋がザワつく。
同じものを見た。それも、誰かに見られている気配がした所まで一緒だ。
国王陛下に触れた時に見えたもの。そして見られたもの。フロイトとオレが一致しているのであれば、それはもう疑いようがなく「現実」だ。
しかもジョンだって「海に異変が起きている」と言われてこの国に来たのだ。何もないとは思えない。
「……よかろう。ピースリッジに、近辺に在留している騎士団を派遣しよう」
「良いのですか、殿下」
「何も無ければそれでよい。何もないのを確認するためにやるのだ」
その場で書いた沙汰をジークレインに持たせ、カイウスが宣言する。王の代わりに国務を代行する王太子の言葉は、つまりは勅命だ。
すぐに部屋を去っていたジークレインを呆然と見守ったオレは、飲もうとしていた紅茶を無言でソーサーに戻していた。
「王太子殿下……」
「どうした、聖者殿」
「……自分は、聖者と呼ばれる資格はありません。養父の……バルハムのやっている事をうっすらと気付いていて、何もせずに居たのです」
「……魔女狩りか」
「いえ……ただ、バルハムが、いつかお前が人の上に立つのだと、そう言っていたのを諾々と聞いていたんです」
時折咳き込みながら、フロイトはぼんやりと話す。
彼の視線がどこに向けられているのかは分からないが、なぜだか泣いているような、そんな気がした。
「止めようと思えば止められたかもしれない。そんなのは嫌だと、自分はそんなんじゃないと言えばよかったのかもしれない。でも僕は……自分は……養父に殴られるのが怖かった。捨てられるのが怖かった。無価値になるのが嫌で……例え自由ではなくても、自分に価値があるのだと教えてくれた神殿を出られなかった。バルハムに反抗すれば殴られるのも、暗い部屋に閉じ込められるのも怖くて……それが嫌だから、楽な方に……自分が痛くない方に、流れて……それが自分以外の何を意味するのかも、考えたことがなかった」
ごめんなさい。
彼の言葉は、懺悔にしてはあまりにも悲痛なものだった。