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第84話 魔女の一味と海と本

 よくもまぁそんなモンを隠し持てていたものだとドン引きしてしまいそうな表情のソレを見て、辺境伯とノクト侯爵の顔色が変わる。

 本の表紙に貼り付いた顔には、眼窩はあっても目玉はなく、口はあっても歯はない。それなのに口を開きまるで斜め上を見ているかのような角度で苦悶の表情を見せているのは異質で、異常で、オレも背筋がゾッとするような心地になった。

「その本は……一体?」

「神殿の地下で発見したものです。地下はまるでドームのような形状の部屋と……牢屋が複数、確認されました。牢屋の中にはまるで実験場のようなものもあり、血痕も確認しています」

「実験だと……大神殿の地下でか?」

「そうです」

 魔女に誓って。アレンシールの言葉に、ぽかんとしていたカイウス王子が口元を引き締める。

 今はもう、「神に誓って」なんて言葉は吐けないし、聞けないんだろう。アレンシールは元々オレの味方だったというのもあるけれど、何度も世界と時間を行き来している彼にとっては【蒼い月の男神】は神と呼べる存在ではないのかもしれない。

 悪いのはソレを信仰する連中なのだろうけれど、こうなっては信仰する側もされる側も、どっちも一緒だ。

 アレンシールの持っているあの本は、神殿に居る時にも中を見ようとはした。したけれど、どうした事かまるで人間の皮膚がかさぶたとくっついている時のように開く事の出来なかったソレの中身を、オレたちは知らない。

 知らないままでよかったのかもしれないとアレンシールは言ったけれど、やはり見ておくべきだったんじゃないかとオレは思ってしまう。

 人皮を使った本というのは、地球でも過去に何冊か発見されているものだ。

 中世においては故人の遺言であったり研究資料であったりとして作られているソレの実物を、オレも見たことがある。

 勿論大学のゼミで博物館に見に行っただけで実際に触れたりなんかはしていないけれど、地球に存在している人皮装丁本は決して呪詛の類だとか、呪いの本だとか、そういうものなんかじゃあない。

 誰かの願いがこもっていたり、供養の意味を込めて個人の皮を使ったそれは金文字や何かで綺麗に装丁されていて、当たり前だがあんな風に顔面の皮を使ったりなんかするものじゃない。

 だから余計に異質だったし、なんだか死者を冒涜しているようにすら感じて物凄く、嫌だった。

 この程度のもので怒るなんてことはしないけれど、中身はきっと想像するのも嫌なくらいに気持ちの悪いものなんじゃないかと思ってしまって、だから開くのを躊躇してしまったというのは、ある。

「その地下で、わたくしたちは魔女の異形と戦闘をいたしました」

「魔女の……異形?」

「はい……異形、としか言いようのないものです」

 沢山の魔女を殺し、繋ぎ合わせたもの。オレが覚えている限りの……けれどリリに衝撃を与えない程度にはまろやかにしたものを語ると、それでもリリとカイウス王子の表情が変わった。

 ジークレインは話を聞いているのかいないのか、彼が淡々とお茶を用意している音だけがどこか別世界のように聞こえている。

「神殿は……魔女狩りを行っていたのでしょう。そして集めた魔女たちを、あのような異形に、改造したのですわ」

「……その者たちは、確実に魔女であったのか」

「はい、カイウス殿下……彼女たちは、魔女です。わたくしが、保証、致します」

 信じたくないのは無理もない。

 この国の暗部で行われてきたものを直視させられるのだ、魔女についての研究を行っていたというカイウス王子には衝撃も大きいだろう。

 オレはこの国で何年、何十年かけて魔女狩りが行われていたのかは知らない。エリスがすでに把握をしていたとしても、彼女が生まれる前から行われていたのだとしたらエリスだって把握するのは困難だろう。

 でも、エルディの育ての母は魔女狩りにあったと聞いたし、あの魔女の異形の中にいたのは若い女性だけではなかった。何よりフロイトが生まれてすぐにリリと引き離されて神殿に入れられていたという事実から、単純計算すれば17年前から魔女狩りの片鱗があったという事。

 それは、カイウス王子も知らない間に淡々と、粛々と、魔女は消されていっていたのだという証明でしかない。

 ノクト侯爵が、己の膝を殴る音がする。辺境伯は己の口元に手を当てて沈黙していて、この国の上に立つものとしての責任を感じているのだろうという事は見ているだけで分かった。

 言ってしまえば、彼らが放置してきたものが今オレたちに襲いかかっていると言っても過言ではないのだから、その衝撃は強いだろう。


「ユルグフェラーの話をしても、良いでしょうか」


 全員が沈黙し、ただゆるゆると紅茶の湯気がたゆたうだけになった空間で、おずおずとジョンが手を上げた。

 どうしてか辺境伯やノクト侯爵に対して怯えを見せているジョンは、オレをチラチラと見てからノクト侯爵を見て背筋を伸ばして俯くという器用なことをする。

 さっきめちゃくちゃに怯えさせたからだろうが、恐らくは成人済の男がこれでいいのかと太ももを思いきいりつねってやると、ジョンは顔面をくしゃくしゃにして痛みに耐えた。

 一番皮膚の薄い所をつねったのによく我慢出来たもんだ。

「どうぞ、皇子殿下」

「感謝します、カイウス王子」

 しかし、ジョンがどれだけエリスの父や叔父を警戒していてもこの場で一番地位が高いのは当たり前だがカイウス王子だ。

 ノクト侯爵たちに何も言われなかった事でほっとした表情になったジョンは、しかしすぐにまた背筋を伸ばして視線を己の膝に落としてから、口を開く。

「自分はその……皇帝陛下の側室の子で、母は自分を産んで死にました。なので後ろ盾はなく、公爵家へ落とされた上で公爵家の権限を使っての危険地域の監査や調査を行って、います」

「あぁ、それで名前が2つあったんだ」

「うん。ベネトルトホルンは公的な場所で皇子を名乗らないといけないときのもので、普段はクライゼツェリヒ公爵として行動をしています」

「つまり……クライゼツェリヒ公爵はこちらの国を危険地域として派遣された、と?」

 ノクト侯爵の言葉に、オレは思わず「あ」と言っていて、ジョンはとても言いにくいことを言っているような表情で頷いた。

 ジョンが言うには、ユルグフェラー帝国には魔女というものは存在せず、けれどエグリッド王国の魔女についての情報は流れてきていたという。そして、調査を進める中で魔女が引き起こしている何らかの問題が帝国でも問題視され、ジョンが派遣されたというのだ。

 ジョンはピースリッジで何者かに襲撃をされてキルシーと共に路地裏に潜伏していたが、自分を護衛していた騎士たちも、自分をピースリッジまで送ってきた船も、いつの間にかなくなっていたと言う。

 その言葉があまりにも淡々としていたので「ふーんそっか」なんて一瞬受け入れかけたが、すぐに「いやおかしい」と頭が切り替わる。

 第3皇子だぞ。公爵閣下だぞ。そんな人間を「危険地域」とした国にたった一人放り出すなんて、おかしいだろう。しかも、すでに襲撃もされているのに。

「まぁそれはいいんです。ただ、エグリッドに来る大きな理由だったのが、海への大きな異常でした。魔女たちが何らかの魔術でもって海をおかしくして、漁業やなんかに影響を与えているかもしれないとか言っていたのを覚えています」

「どうでもいい話じゃなくないか!?」

「今はどうでもいい話だろ。結果的にエリスたちに会えてるし、今重要なのはそこじゃない」

 なんでだ、と言いかけたが、ついいつもジョンと会話をするみたいな口調になっていたので軽く咳払いをして立ち上がりかけていた姿勢を正す。

 でも、本当に、「どうでもいい話」はおかしいと思う。

 襲撃されて、殺されかけて、それでもキルシーの事で泣きそうな顔をしていたジョン。その状況を作ったのが本来はジョンの部下であるべき帝国の騎士だなんて、それは、そんなのは……そんなのは、おかしいのに。

 なんで、どうでもいいって言えるんだよ。

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