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第82話 魔女の一味と海の底

 あの神殿の地下のドームにしても、エルディのところの魔女の壁画にしても、今回にしても、【魔女】の周囲にはやけに海が関わっている、ような気がする。

 地球の話であればあんだけ山程水があるんだからそりゃあ海に関する逸話だってあるだろうとは思うのだけれど、この世界ではそこまで海は馴染み深いものじゃない。地球と同じように海を超える手段が山程あるならともかく、この世界では海を超える手段は船しかないからだ。

 ジョンの国なんかは海を越えたその先にある大陸だけれど、その距離が日本から移動する程に近いかと言われれば決してはそうではないだろう。

 地球の文明と比べればこの世界の文明はあまりにも前時代的……というよりも、中世とファンタジーがいびつに交わったような世界観なのだ。船だって鉄製じゃないだろうし、エンジンだってないはず。

 あぁでも、そんな世界観だからこそ海というのは神秘的なものなのだろうか。

 オレはリリの背中を撫でたままそっと、国王陛下の手をとった。カサカサした、ひんやりとしている手。同じ大人の手だが、エリスの父親の手とはあまりにも違う。

 フロイトが国王陛下にする事といえば【治癒】だろうが、【治癒】を使うにしても主にどこに問題があるかが分かっていなければ魔力の無駄遣いだ。多少の魔力消耗であればフロイトにとっちゃ大した問題にはならないかもしれないから、慎重に慎重を重ねて【診断】から始めた可能性もある。

 もしそうであれば、これは不可抗力だ。

 エリスの日記によれば対象が弱っている原因が明確に分かっていない場合にはまず【診断】をかけるのが定石だとされている。その上で解呪するなり毒消しをするなりの対処が必要になるわけだが、そういった対処を行うにもまずは原因の特定が必要になるのだと。

 今回の場合もきっとそうだ。【診断】しようと魔力を流して、国王陛下の中にある何かがフロイトの魔力に反応した。

 フロイトの魔力という断定じゃなく、もしかしたら単純に「魔力」に反応したのかもしれないけれど、とにかく国王陛下の中には触れられたくない何かが潜んでいるという事じゃないだろうか。

 オレは少し考えて、ほんの僅かな――形を表現するならば細い細い糸ほどの弱い魔力を国王陛下に流す。

 魔術で【診断】をするのでも、国王陛下の何かを見通すのでもなく、ただただ弱い弱い魔力を流すだけだ。もし下手に魔術を使ってフロイトの二の舞いになれば、ここの魔術的防御が弱くなってしまうかもしれないから。


「……!」


 変化が現れたのはすぐ、だった。

 細い糸を陛下の指先からじっくりと時間をかけて体内に流し込もうとしていたオレは、魔力が陛下の腕の付け根……つまりは脇のあたりに触れたところで「これ以上は進んではいけない」とでも言いたげな圧を感じたのだ。

 一瞬怯んでしまいそうなくらいに、重い気配。それは、陛下の中に救う呪詛の気配だ。

 やはり呪いだったのか。そう思いながら、一度魔力を流すのを止めて思案する。このまま先に進めば……陛下の中にある呪詛の根幹に触れようとすれば、オレもフロイトの二の舞いになってしまうかもしれない。

 流石にそれは、ちょっと嫌だなぁ。

「エリス様……?」

「国王陛下はご病気などではなく、恐らくこの眠りは呪いによるものですわ」

「呪い、だと?」

「はい。先程のフロイトはきっと、陛下の様子を伺うためにその呪いの根幹に触れてしまったのでしょう」

「お前ならばなんとか出来るのか?」

「いいえ、王太子殿下……解呪は恐らくフロイトの分野です」

 解呪だとかそういうのは、神殿の管轄だ。

 まぁそれも「マトモに対処してくれる」神官が居ればの話だし、呪いのほとんどは気持ちの問題というか……日本における心霊現象だとかそういうのと同じような括りになっている。

 簡単に言ってしまえば、気の持ちよう。

 本当にやばい呪詛にかかっている人も居れば、ただ心の落ち込みや「ついてないなー」程度のものを呪いと思い込んでしまう人間というのは、いつの時代にも多いものだ。

 そういう中で本当の呪いであると判別をつけて呪詛をかけた対象とかけられた人を切断する事が出来るのは、やはりフロイトのような治療系の【魔女】の役目だろう。

 フロイトは女じゃないけど。

 女性じゃない【魔女】はなんだ……魔男? なんか嫌な響きだな。

「少しだけでいい、何かわからぬか?」

「……やってみます」

 後をフロイトに丸投げしたくなってしまうが、流石にカッコつけてここまでやってきておいて今は倒れている奴に後を任せるのも何だし、と、オレはもう少し陛下の中を探ってみる事にした。

 恐らく呪詛の根幹は心臓だ。

 よくある、生命を握られている呪詛。

 だから、心臓を外してぐるっと回って様子を伺えば良い。

 そんな火事の火元を探すみたいな遠回りな事を考えながら、オレは細く残したままだった魔力を陛下の身体の末端に徐々に流し始めた。

 いきなり刺激するのは良くないから、本当にゆっくりだ。

 不安そうにこちらを見ているリリやカイウス殿下には何も言わず、状況説明だとかそういうのは全部アルヴォルにぶん投げた。彼女なら、今まで何があったかくらいは侯爵に話しておいてくれるだろう。

 結局人任せだ。いや、適材適所だろうか。

 じわじわと陛下の足先や指先に魔力を流し込み、心臓を避けてゆっくりと頭部へ向けて魔力を伸ばす。

 と、不意に指先から流れ込んでくる魔力の質が変わった事に、オレは気がついた。

 オレの魔力だけじゃない。別の種類の魔力が、逆流するようにオレの中に流れ込んできている。

 驚いて手をひこうとしたが、しかし弱っている病人に魔力を流し込んでいる最中にいきなり切断するのはよろしくないと我慢して、逆にぎゅっと手を握り直す。

 その魔力は、まるで映像のようだった。

 海の中――青い水が透明になっていき、徐々に徐々に藍色から黒へと変化していく……海の底に沈んでいくイメージだ。

 オレが心底嫌いなイメージに、思わず目をぎゅっと閉じてしまう。そんな事をすればもっと鮮明にイメージが流れ込んでくるというのに、我慢をすることが出来なかった。

 オレは海が嫌いだ。それはそれは大嫌いだ。実際に足を運んで「溺れるかもしれないから」というだけじゃなく、空からの海の画像は小さいものなら大丈夫だが水平線が見えるくらいに広い世界のものは流石に無理で。

 何でそんなにも海が嫌いなのかと悩んだことは、何回かある。けれど勉強勉強で叩き込まれていたオレにとっては海水浴なんかは縁遠いものだったからあんまり深く考えたことはなくて、きっと子供の頃にでも海で溺れた事があるのだろうと、そのくらいの感覚でしかなかった。

 それが今、閉じた瞼の裏に鮮明に映し出されている。

 いやすぎる。怖すぎる。

 そうは思うが、一度閉じたまぶたはなかなか開いてくれず、むしろ自分からぎゅーと閉じているように錯覚するくらいに強く強く、閉ざされていて。


 そこに、巨大な都市を視た。

 新宿で見るような高いビルに、都会によくある真四角の豆腐のような雑居ビル。逆に平たい作りの平屋みたいな家もあるが、どれもこれもが平行ではなかった。

 まるで世界が歪んでいるような、消失点がいくつもあるような違和感に目眩がする。見覚えがあるのに見覚えのないような、そんな、そんな世界だった。

 でも、その都市の中で生きている人が居るのも、見える。

 その人たちはまるで地球で生きている人々のような服装をしていて、本当になんでもない日常を過ごしているかのようにビルとビルの間を走ったり歩いたり、中には仲よさげに会話をしている人まで居た。

 あそこは、オレやアレンシールが生きていた世界なんだろうか。

 一瞬そう錯覚してしまうような、そんな違和感。

 ぐわんぐわんと頭が揺れて、都市のあまりのいびつさに目眩がしてくる。アレがなんなのか、さっぱりわからない。

 わかっていいものなのかも、わからない。


 ただ一つ分かったのは、あの都市の向こう側に……都市から見える海の中の海の底に、こちらを見据える巨大な何かが居るという事だけ、だった。

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