「……よし、わかった。ジークレイン、王子の所に遣いに出てくれるか。出来るだけ早くお会いしたいと」
「はい」
「何人か騎士を連れて行くといい。王子の安全の確保と、道中の危険排除だ」
「かしこまりました」
ドキドキする。リリは、鎧を整えながら侯爵と話をしているジークレインを見上げながら己の胸にそっと手を当てた。
アレンシールが買ってくれた、お気に入りのワンピース。この格好なら王様に会うのも恥ずかしくないと思っていたけれど、いざ本当に王族に会うかもしれないと思うと、途端に「この服でいいのか」と恥ずかしくなってしまう。
勿論このワンピースは、リリにとっては目が飛び出てしまいそうなくらいの値段の服だ。生地もサラサラしていて暑くも寒くもないし、裾と胸元のフローリンの花の刺繍は全て手作業で入れられていてどこかいい香りがする。
胸元で折り返しのついているふわっとしたワンピースを初めて試着した時はなんだかお姫様みたいでドキドキしたものだけれど、今は別の意味でドキドキしてしまう。
大丈夫。ここに居る人は敵じゃない。
そうは思っていても、王都を離れた時の家族の姿をどうしても思い出してしまう。
もうすっかり吹っ切れたと思っていたし、だからこそ人を倒す――いや、殺すことにだってなんの躊躇もしなくなっていたのに。
フロイトにとってバルハム大司教は養父だ。一応は家族、という存在。
そしてリリとフロイトは双子であり、今や世界に一人しか残っていない血縁者でもある。
フロイトはすっかり割り切っているようにも見えるが、そういう関係性を考えると躊躇をしないわけにもいかない。
エリアスティールの敵はみんな倒す。そのための力を得たのだから。
そう思っては、いたのだけど。
ふぅ、とため息をつくと、見えない目の代わりに耳聡いフロイトがリリの手をぎゅっと握りつつ顔を覗き込んでくる。
「……大丈夫?」
「う、うん。大丈夫! 王子様って聞いて、ちょっと緊張しちゃっただけ」
「……僕も王子様には会ったことがないから、ちょっとドキドキする。服とか、そのまんまで来ちゃったしな」
「あはっ、同じこと考えてたっ」
「一応司祭の正装のままだからいいはずなんだけどさ」
「私も私も。今までで一番高いワンピースなんだよっ」
「うん。見えないけど、いい匂いがしててリリにすごく合っていると思う」
「あはは、嬉しいっ」
あぁ、でも、そうなのか。これが、年の近い家族というものなのか。
リリは、フロイトと話していると緊張がほぐれていくような気持ちになって、自分からもぎゅっと手を握り返す。
今まではリリの下の弟妹達は10歳は離れてたから年の近い兄弟の感覚がまるでわかっていなかった。エリアスティールとアレンシールの関係が凄く羨ましいなと思っていたけれど、そうだ、こんなに近くに自分にも居たじゃないか。
まだ幼かった弟妹を思い出すと胸が痛むけれど、過去は振り返っていても仕方がないと学んだのもこの旅の間だ。落ち込むのは、全てが終わってからでもいい。
「侯爵様、お伝えいたします。ジークレイン様より、王太子殿下が、国王陛下の執務室にてお待ちであるとの事です」
「……殿下も待っていらしたようだな」
「底知れぬお方だよ。リリさん、聖者殿。今からでも大丈夫かな」
「だ、大丈夫ですっ」
「あぁ」
戻ってきた伝令の騎士の言葉に、リリはソファの上で跳ね上がりそうなくらいにびっくりしてしまった。
今すぐにだなんて思ってもいなかった。王太子殿下も待っていた、と辺境伯は言ったけれど、王子は一体何を待っていたというのだろうか。
思わず窓の外に視線を飛ばすと、窓辺に大きな鴉がとまっているのが見えてリリは少しだけホッと胸を撫で下ろす。
外には、キルシーが居る。いざという時にはキルシーにエリアスティールの所に飛んでもらったほうがいいかもしれないが、今はせめて、少しくらいは自分でも何かをしなければ。
膝の上で拳を作って、勢いよく立ち上がる。
おそらく今ここで一番のワイルドカードは自分のはず。いざって時には、リリがこの城を破壊してでもこの人たちを守らねばならない。
それがきっと、自分の役目。
緊張の面持ちで先に立って歩くノクト侯爵と案内手の騎士の背中を見つめつつ、並んでいるフロイトと殿を守る辺境伯の位置もきちんと確認する。
ノクト侯爵が前に立つのはわかるが、辺境伯が剣に手を置きながら一番うしろを守ろうと思うほどにはこの城の中はまだ緊張感が漂っているようだと思うと、本当に嫌な気持ちになった。
念の為にフロイトはフードをかぶって俯いているが、彼も周囲の気配はしっかり伺っているようだ。
こんな、お城の中でまで警戒しなければいけない状況なんて、本当に嫌だなと思う。
せめてもバルハム大司教が居なければ、こんなに緊張はしなかったのかもしれないのに。
「これは……聖者様ではありませんか?」
しかしここまでがうまくいっていたからか、それとも神の悪戯か。
渡り廊下へ出て少しだけ外の風にホッとため息をついたときに聞こえてきた声は、リリの心臓を大きく跳ねさせるだけの言葉の威力を持っていた。
反射的にだろうか騎士と辺境伯が腰の剣に手をやって、ノクト侯爵が二人を制している。
フロイトは、リリの一歩前に出て自分の背後に【魔女】を隠した。
「……誰だ?」
「おぉ、これは申し訳ございません。自分はバルハム大司教様直属のべムードと申します」
「べムード……司教殿か」
「なんと、覚えていて下さいましたか……! 流石【聖者】様。生きておられたのもその信心深さによる神のご加護で御座いましょうっ」
辺境伯が小さく舌打ちをしたのが、リリの耳にも入ってくる。
それはそうだ。この城に入った時点ではフロイトが死亡扱いになっている事はこちらにとってのアドバンテージの一つだった。
国王陛下を治療する一手としても、大司教への切り札としても、死亡扱いにしておいたほうが都合がいいと思っていたのに。
「司教殿が何故城の中を散歩しておられるので? 現在許可のない客人は王宮への出入りは禁じているはずですが」
「これはこれは。何、国王陛下への祈りを捧げて頂けに御座います。許可は、勿論いただいておりますとも」
今度は、ノクト侯爵が小さく舌打ちをしたのが聞こえた。
王宮の中も一枚岩ではないとはさっき辺境伯との会話の中で聞こえてきた話だが、どうやらノクト侯爵以外にも客人を通すことの出来るレベルの地位がある信者が居るらしい。
リリはなんだか嫌な気持ちになりつつ、小さくなってフロイトの影に身を隠す。
ここで【魔女】だとバレる事は、百害あって一利なしだ。
「そうか。だが、国王陛下に祈りを捧げる事と自由に散歩する事は別の話だ。客間へ戻っていただこう。誰か居らぬかっ! 司教殿をご案内しろっ」
「は、はいっ!」
コソコソしているリリに反して、ノクト侯爵は嫌そうな顔を隠しもせずに使用人を呼び出す。
ノクト侯爵の声に驚いた執事だろうビシッとした格好をした男性が数人慌ててやってきてべムードと名乗った司教を囲んだが、べムードは終始笑顔のままこちらへ会釈をし――【聖者】であるフロイトにだけは丁寧に深々と頭を下げてから去っていった。
何だったんだ、とは思うが、これはあまり良くないという事はリリにだって分かる。
「……大司教に聖者殿の生存が知れるな」
「何故フラフラとさせていたのだっ。責任者を呼べっ」
あーあ、とでも言いたげな辺境伯に、さっきまでの穏やかな表情が嘘のように怒りをあらわにするノクト侯爵。
やはりフロイトの生存がバレた事でこちらのカードの一枚が失われたという事なのだろう。胸元をぎゅっと握りしめて信用な面持ちをしているフロイトに、リリはなんだかこちらまで辛くなったような心地になった。
「でも、私はバレてません」
ぎゅっと、フロイトの手を握りながら、言う。
【聖者】の生存はバレたが、少なくともまだ【聖者】と【魔女】が一緒に居る事はバレてはいない。今まではフロイトの存在がワイルドカードだったかもしれないが、今度はリリがそのかわりになるという事だ。
「大丈夫です。私が、みんな守るから」