リリがフロイトのお茶を用意してあげている間にも、大人たちは真剣な面持ちで相談を続けている。
お茶を頂きながら彼らの話を聞いている所によると、元々王家と神殿はあまり関係が深い方ではなく、現在の大司教に変わった時にも一悶着あったのだそうだ。
特に現在の国王陛下は魔女狩りなんぞという乱暴な事を行っている神殿に対しての印象が良くなくて、大司教が訪ねていっても会う事すらしない時もあったらしい。
それでも王命で魔女狩りを止めなかったのは、国民感情を考えての事なのだろうと、ノクト侯爵は言う。そもそもが国に何人居るかもわからない【魔女】を国で保護するとなると、それはそれで神殿に余計な情報を与えてしまいかねないから動くことも難しかったのだ、とも。
なるほどな、と思いながらお茶を一口頂いて、リリは思っていたよりも国が【魔女】に対して配慮をしてくれていたのだという事に少しだけホッとする。
もしも神殿も国も、となると、バルハム大司教をなんとかしたとしても【魔女】であるエリアスティールもリリも、国を出る事が前提となっていただろうと思うのだ。
リリはこの国は今はもう好きではなかったのだけれど、ちゃんと考えてくれている人が上に居たと分かるとなんだか嬉しくなってしまう。
この国だって捨てたものではなかったのだと、そう思えるのが、嬉しい。
「ノクト侯爵。身分を証明出来る手立ては今の自分にはありませんが、国王陛下に対してはバルハム大司教よりも有効な治療法を持っていると自負しております。大司教を国王に会わせるのは、その……危険、かと」
「あぁ、聖者殿。安心しておくれ。君の身分はここにグウェンダルが居る事で保証されていると言ってもいい。グウェンダルが連れてきたという事は、エリスも認めたという事なのだろう?」
「いかにも」
リリとは逆に神妙な面持ちで話を聞いていたフロイトは、言いにくそうにおずおずとノクト侯爵に進言した。
どうやらノクト侯爵は全面的に娘を信用しているらしく、娘が連れていたという理由でフロイトの事も信頼してくれている、らしい。リリはそこでやっと、ジークムンド辺境伯が「エリスの友人」と言っただけで先に通された理由を知った。
自分が今ここに座っていられるのも、エリアスティールの信用ありきなのだと知ると、なんと素晴らしい人に師事出来たのだろうと鼻の穴を膨らませて自慢したい心地になる。
彼らがエリアスティールを【魔女】であると知っているかどうかはわからないが、それでも彼女の名前だけで信用してもらえるのは、ただ彼らの娘だからというだけでは無理な話だ。
エリアスティールだから。
娘だからとか、家族だからとかではなく、彼女だからこその信頼。その素晴らしさに、リリはなんだかとっても嬉しくなってしまう。
「でもあなた。今国王陛下は面会謝絶なのでしょう? 大司教様もそれで追い出されたと伺いましたわ」
「うむ、そうなのだがね……一度王太子殿下に私からお話を通そうと思う。聖者殿をお連れするにしても、大司教に遭遇せぬように計らわねばならぬ」
「見つかったら面倒そうだしなぁ……そうだ、リリちゃんや。君、王宮内で魔術は使えるのかい」
自分は今はただのエリアスティールの友人なのだ、と自分で自分に言い聞かせていたリリは、思わぬ所から投げられたパスをうっかり受け取りそこねそうになってしまった。
あ、言っていいんだ?
思わず辺境伯を凄い勢いで見ると、辺境伯は「何がいけないんだ」とでも言いたげな表情で耳の裏をかいている。
「リリちゃん?」
「え、あ、は、はい! えーと………………」
「……この王宮では、威力はかなり弱まると思います」
思いもよらぬ問いかけに思わず手をわちゃわちゃと上下させると、その手を取ったフロイトがぎゅっとリリの手を握り少し考えてから言う。
リリの魔術は威力ありきの一撃必殺だ。元々の威力のままの魔術を王宮でぶっ放すわけにはいかないのは勿論その通りなのだが、その魔術をそもそも撃てないとなるとリリはかなり困ってしまう。
これでも自分は彼らの護衛なのだという自負を持って、リリは王城までやってきた。
エリアスティールとアレンシールが言う所によると魔術には得手不得手が存在し、エリスは何でも出来る万能型だがリリほどの攻撃魔術の威力はなく、フロイトは治療系魔術に特化していて攻撃魔術は得意ではないという。
そしてリリは、攻撃魔術についてはかなり得意であると自負しているが【火】以外はまだ覚えている途中だし何より他の魔術についてはさっぱりだ。それなのに「威力はかなり弱まる」となると、冷や汗が滲む。
「それは、この王宮の結界のせいかね」
「おそらくはそうかと思います。ただ、同じような力を持つ相手にも彼女の魔術はかなり威力を発揮していたので……なんとも」
「しかし、出来れば戦闘は避けたい所だな」
「おいおい兄上、何物騒な話を……国王陛下に会うだけでも、そんな危険があるってのか?」
「否定は出来ん。騎士の中にも、【蒼い月の男神】を信奉する者は居るからな」
ため息混じりのノクト侯爵の言葉に、リリは「うっ」と言葉を詰まらせてしまう。
この王城には騎士が沢山居るけれど、この国の民が沢山居るという事は【蒼い月の男神】の信者だって勿論沢山居るという事になるのだ。
もし辺境伯と、今は黙ったままのジークレインがこちらの味方について剣を取ってくれたとしても王宮の中での戦闘ともなればリリの魔術が効果を発揮できるかは怪しい。
神殿はともかく王宮を壊すのは流石に憚られるし、王宮が崩壊してそれに人が巻き込まれたらと思うとゾッとしない事態だ。
そしてリリのやらかしは、エリアスティールにも影響する可能性がある。
それは、絶対にだめだと思う。自分がエリアスティールに指示されて動くならばともかく、自分の行動の結果がエリアスティールに影響するのは、絶対に良くない。
繋いだままだったフロイトの手を無意識にぎゅっと握りしめると、その力の強さでリリの気持ちを察したのかフロイトもリリの手を優しく握り返してくれた。
出会ったばかりの兄弟は、最初はリリにとっては疑わしいばかりの存在だった。
エリアスティールが先に出会っていたから敵ではないと信用しただけで、自分の双子の兄弟だとわかった時にも、母が彼を見捨てて去ったのだと知った時も、色々と頭がごちゃごちゃになって信用しきる事が出来なくって。
でも、今こうして手を握っていると、わかる。
彼はこの世界で一番、自分に近しい存在だ。出会ってからまだそう日が経過していなくても、言葉を多く交わした事がなくても、ただ手を握っているだけで分かる。
「普段より威力が出せないなら、その分強い魔術を使ってカバーしますっ!」
「そんな事が出来るのか?」
「はい! 私、今まで一番弱いのばっかり使っていたのでっ」
期待に応えたい。
リリは今まで、その気持ちを心の支えにして頑張ってきた。【魔女】になる前も、なってからもだ。
両親を安心させるためにいい成績を保ちたい。弟妹にいいお姉さんだと思ってほしいからご近所さんとのお付き合いも頑張った。
そして今は、エリアスティールやアレンシールや、フロイトのために頑張りたい。
この国を少しでも良くする何かに、自分が力を貸せるのならば精一杯その力をふるいたい。
フロイトと繋いではいない手をぎゅっと握りしめて拳を作ってアピールすると、ピリピリしていたノクト侯爵の表情が少しだけ、緩んだ。
「エリアスティールは良いお友達を持ったようだね」
優しい優しいその一言は、父親としてエリアスティールの事を本当に案じているような、父として不甲斐ないと思っているような、そんな重みを持っていた。
もしも彼がエリアスティールの【魔女】についてを最近まで知らなかった場合には、その感情もひとしおだろうと、リリは思う。
もしかしたら娘は【魔女狩り】にあっていたのかもしれない。
それを自分に相談せずに逃げ出していたのかもしれない。
ただそれだけでも辛いのに、こんな国の重大事にまで関わっているかもしれないとなれば、国の重鎮としては思う所も沢山あるだろう。
もっと何かしてやれたのではないか。こんな事になる前に、もっと何か出来たのではないか。
そう思うのはきっと、父親だけではない。
「大丈夫です、侯爵様っ。私はエリス様の弟子です。絶対に、ご期待を裏切りませんっ」
エリス様のためにも、自分がここに来た意味を知らしめてやる。
リリの決意に、フロイトもしっかりと頷いてくれた。