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第76話 魔女は語る・4

 ノクト侯爵に連れて行かれた執務室は、その部屋一室だけでリリの家よりも広いのではないかと思えるほどの部屋だった。

 部屋は2つあって奥には寝室があるそうだが、つまりはそれはここで生活も出来るということなのだろう。それとも、家に帰れないほどに忙しいこともあるのだろうか。

「まぁまぁ、グウェンダル様。よくぞここまでいらっしゃいました」

「お久しぶりです、侯爵夫人。相変わらずお美しい」

「いやだわ、わたくしももういい年ですのよ」

 いやいやお美しいです。

 奥の寝室から姿を現した奥方様の姿を見て、リリはぎょっとして思わずフロイトの手を握りしめてしまった。

 美しい銀髪は背中で揺らめいていて、赤みを帯びた瞳はアレンシールのものよりは柔らかい色をしていたがまるで夕日のようで美しい色をしている。

 同じ人間なのか? と疑ってしまいたくなるその風貌に思わず「妖精がいる」と呟いたリリに、フロイトは「何を言っているんだ」と怪訝そうな顔をするのでなんだか悔しい。

 フロイトの視界が正常であったならきっと自分と同じ感想を抱くのに。リリは絶対にそう確信しつつ、

「エリス様のお母様がいらっしゃるの。女性になったアレンシール様みたいで、物凄くお美しいわ」

「血筋……か」

「や、やめてよ。私はこれでもご近所さまでは評判の可愛い子だったんだから……」

 アレンシール様もエリス様も、私のことを可愛いって言ってくれたわ。なんて続けようとして、何となく情けなくなって口を閉ざす。絶対的に勝ち目のない勝負というのは、やはりどこにでもあるものなのだ。

 そんな貴族と平民の違いをこんな所でも思い知らされていると、ジークムンド辺境伯に呼ばれて二人は慌てて辺境伯の所まで小走りで近付いた。

 そうなれば当然、ノクト家の中に庶民の二人が混ざり込むことになってなんだか背筋がピリピリするような感覚に襲われる。

 別に誰もこちらに嫌がらせしよう、なんて思ってもいないはずなのに、奥方以外の全員が背が高いからか、威圧感が物凄かった。

 同じように背の高いエリアスティールやアレンシール、それにジョンを前にしてだってこんなにビクビクはしなかったのに、場所が場所だからかとても緊張してしまう。

「彼女たちが、エリスの友人だ」

「リ、リリ・バーラントと申します!」

「自分はフロイト……です。あの、話の前に、まずは自分の事を説明してもよい……いや、あの、よろしい、でしょうか?」

「話しやすい話し方で構わんよ、聖者殿。まぁまずはお茶を淹れよう」

「はっ」

 お茶を、と言われて即座に動いたのはあの鎧の騎士だった。

 騎士がお茶を? と思わず目を丸くしたリリは、しかし彼が思ったより手際よくお湯を用意して戸棚から茶器を取り出したのをこれも呆然と見守ってしまった。

 騎士というのは貴族を守護するための存在で、お茶なんかいれるとは思っていなかったからどうしてもその行動を凝視してしまう。カップを温めているその手は明らかに慣れているものなのに、あんな篭手やらグローブをしていて良くあんなに細かく動けるなとびっくりしてしまった。

「あの子はジークレイン。アレンシールの弟で、エリアスティールのすぐ上の兄だ」

「エリス様のっ! そ、そんな方にお茶を淹れて頂くなんて……っ」

「ははは。アレはあの子の趣味でもあるんだ、やらせてやっておくれ」

 趣味、なんて事はあるんだろうか。侯爵家の次男なんていう方が。

 不思議に思いながらもノクト侯爵に示されるままにソファに座ると、その柔らかさにびっくりしたリリは後ろに転げてしまいそうになってしまった。フロイトは平気そうな顔で座っているから単に慣れの問題なんだろうが、うっかりひっくり返りそうになったのが恥ずかしくって慌てて足元を整える。

 フロイトの目が見えなくてよかった。本当によかった。

 心底にそう思いながら、リリは恥ずかしさでぎゅーっと両目を閉じてペコペコと頭を下げてしまった。

「息子直々に茶を用意させるとは……王宮の様子はあまりよろしくないようだな、兄上殿」

「はは、早速言ってくれる。だが、間違いではないな」

「よろしくない……とは」

 神妙な面持ちの辺境伯と侯爵の中に遠慮なくくちばしを突っ込んでいく兄弟に、リリはびっくりしてまた手をぎゅっと握ってしまった。

 確かに彼は【魔女】の血を引きながらも【聖者】と呼ばれ、大司教の養子として育ったのだから地位が高い人に慣れていてもおかしくはないなとは思うのだけれど、平民のリリの心臓にはとっても悪い。悪すぎる。

 そんなリリを不思議そうに見るフロイトだが、ノクト侯爵はリリの心境を慮ってくれているのかにっこりと微笑むと「緊張しなくてもいいんだよ」なんて言ってくださるので、リリはさらに小さくなってしまう。

 アレンシールと初めて会った時。あの時は家がとても大変な状態だったから気付けなかったのだけれど、もしかしてあの時も自分は結構な失礼をしていたのじゃないかと今更ながらに考えた。

 あの時アレンシールはリリとエリアスティールを優しく抱き締めた上で脱出を提案してくれて、その後神殿に行きたがるリリにも優しく同行してくれたものだっけ。

 そういえばあの時借りたハンカチは返せないままポケットに入っているし、アレンシールはフローラでも新しく服やハンカチを買ってくれてなんか、なんだか……もしかして物凄く失礼をしていたのではないかと、本当に今更に自覚してしまった。

 リリは、エリアスティールもアレンシールも大好きだ。

 でも、その「大好き」は人として好きという意味で、決して邪な意味はない。と、思っていたのだけれど、同じ貴族なのにノクト侯爵とアレンシールの弟を見ているとすごくドキドキして緊張してしまって言葉にも詰まってしまってまるでだめだ。

 アレンシールがしてくれたように、アレンシールに接するように話す事が出来ない。

 それは果たして、アレンシールにとって良いことなのかどうかも、わからなくなってしまった。

「今この王城の別の宮にバルハム大司教が滞在しているのだが、国王陛下の治療の名目で陛下の部屋に居座っていてな……騎士たちも、王太子殿下もピリピリとしているのだ」

養父ちちが……?」

「うむ。残念ながら治癒をもたらす【聖者】が【魔女】に殺されてしまったため、自分が神の加護を祈りに来た、だとか言っていたな」

「胡散臭い話だ。そもそも聖者殿の死が知れ渡ってまだ1日ほどしか経過してなかろうに、何故そんなに急いで動く必要があったのだ?」

「さぁ、出迎えたのは王太子殿下なので私にはどうにもな。だが、地位的なものもあり追い返せなかったと、殿下は仰っていた」

 コトリと、会話の邪魔をしない程度の小さな音をさせてジークレインがリリたちに先にお茶を出してくれる。

 シュガーポットとミルクも一緒に乗ったトレーには、リリの方にティースプーンが1つ余分についていた。もしかして、これを使ってフロイトにもお茶を用意してやれという事だろうか。

 思ってもいなかったジークレインの気遣いに、リリは驚いて続けて両親にお茶を出しているジークレインを見てしまった。

 そもそも、この中でリリたちは一番最後にお茶を供されるべき存在だ。平民だし、【魔女】だし、いいところといえばエリアスティールの弟子だという部分しかないはず。

 なのに、両親より先にお茶を出されたという所にジークレインの配慮を感じるようで、リリはちょっとだけ口元をムズムズさせてしまった。

 あのジークレインというアレンシールの弟は、なんだかんだ言ってあの2人と兄弟なのだと、そう思ったのだ。

 アレンシールほどスマートではなく、エリアスティールほど厳しくもなく、ただ無言でこちらを見守ってくれているような、そんな感覚。

 なるほどあの二人の血縁者だと、リリはやっとホッとした気持ちでフロイトの手を離して指先でつついた。

「お茶頂いたよ。お砂糖とミルク、入れる?」

「えぇと……どうしようかな。じゃあミルクだけ、一回し」

「わかった」

 そういえば、フロイトの前ではなく自分の前にトレーを置いたのも、そもそもフロイトに危なくないようにするためかもしれない。

 そういう細かい事に気づくとなんだか胸がほこほこして、リリは胸が満たされたような気持ちでフロイトの分のお茶にミルクを一回し、注いでやった。

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