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第75話 魔女は語る・3

「ジークムンド辺境伯様、そちらのお二人は……」

「そちらの娘は我が妻イングリッドの姪で、こちらは【蒼い月の男神】の聖者様だ。こちらへ向かう途中で聖者様の御一行がトラブルに見舞われていたので、私が聖者様を護衛してこちらまでご案内したのだ」

「蒼い月の……」

 フロイトと共に門に近づいていくと、シレッと嘘と真実を挟むジークムンド辺境伯の声が聞こえてきてリリは引きつった笑みを浮かべた。

 ここへ来る途中に、リリはイングリッド辺境伯夫人の姪ということにしようと決まったのだけれど、リリは自分が貴族らしい振る舞いが出来るとは思っていないのでとても緊張してしまっているのを誤魔化せなかった。

 王城に来るというだけでも大役だというのに、さらにあの憧れのイングリッド辺境伯夫人の姪の役ともなれば心臓が酷い暴れようだ。

 フロイトは慣れた動作で教会式の礼をしているけれど、リリにはそんな余裕はまったくない。まぁ、そもそもジークムンド辺境伯から「城にいる人間のほとんどは地位が下になるから頭を下げるようなことはしないように」と口酸っぱく言われたので首をぎこちなく動かす程度に留める。

 辺境伯が事前に注意してくれていなければ、ここで思いっきりお辞儀をしていたかもしれない。ドキドキだ。

「辺境伯様……現在王宮には男神教の方は出入りをお断りしておりまして……」

「なんだ? ここまで来た我らを追い出すというのか?」

「い、いえそのようなことは! し、しかし……」

「ではノクト侯爵に伝令を出せ。聖者殿はノクト侯爵に呼ばれてここに来ているのだからな」

「ノ、ノクト侯爵閣下にですか? ほ、本当ですか?」

「なんだ。この私の言葉を疑うのか?」

 うわ、と小さくフロイトが言って、リリも同じ声を出しかけて何とかぎゅっと喉元で言葉を押し留めた。

 フロイトがノクト侯爵に呼ばれたなんて事実はないし、そもそも城の中にノクト侯爵が居るという情報だって得ていない状況だというのにこの人肝が太すぎやしないかと、双子はお互いの手をぎゅっと握りあって引きつった笑顔を浮かべていた。

 流石はエグリッド王国の国境を守り続けている【王国の盾】ジークムンド一族の当主だ。

 一介の兵士が敵う相手じゃあない。

 もし冷静であったなら何で辺境伯と聖者が徒歩でこんな所に来ているのかとか、そもそもノクト侯爵の召集令状を確認させてほしいだとか、色々確認の仕方はあっただろう。

 しかし門を守っていた兵士二人は完全にジークムンド辺境伯の勢いに飲まれていて、彼がちらりと見るだけで鎧の中に首を引っ込めてしまいそうなほど。

 そんな二人が「お通り下さい」とリリたちにも頭を下げるまでは、そう時間はかからなかった。

「では行こうか、二人とも」

「は、はい……」

「失礼します……」

 ジークムンド辺境伯は「当然」とでも言いたげな表情でにっこにこだ。恐ろしい人だ。色んな意味で。

 しかし何となく彼の笑顔にはアレンシールの面影もあるような気がして、ここに居るのがアレンシールだったとしても同じ勢いで突破するのだろうなと、リリは思う。

 顔は全然似ていないし、辺境伯はどちらかと言うと体格も良く【偉丈夫】と言ってもいい風貌をしているというのにノクト侯爵家の血筋というものを、こんな所で感じるとは思わなかった。格好いいと思えばいいのか頼もしいと思えばいいのか王国に対する不安を抱けばいいのか、何となくわからない。

 門を潜れば案内役なのか一人ついてきた兵士もなんだかぐったりしているし、もしかしたらリリが呆けている間にも何か問答があったのかもしれない。

 そうか、強き者というのは口の勝負でも勝てなければいけないのか。リリは、誰にも言われてはいないがここでの経験をそっと胸に刻んだ。


「こ、これはジークムンド辺境伯閣下! 王宮に来てくださるとはっ……!」

「ノクト侯爵はおいでか?」

「勿論で御座います! これ、誰か辺境伯閣下をお連れしなさいっ」

「辺境伯閣下!」

「閣下だっ!」


 リリのふわふわした尊敬の念は、王城に足を踏み入れるとさらにふわっと空に浮く。

 兵士と共に王城への正門を潜ったジークムンド辺境伯を確認した途端に、内部を警護していたのだろう騎士やら執事やらがワッと大挙として押し寄せてきたのだ。

 みな口々に「閣下」と声を挙げ、メイドの中には涙ぐんでいる者も居る。

 これには外門で彼を中に通すことを躊躇した兵士も決まりが悪そうにコソコソと離れていき、リリとフロイトは呆然とジークムンド辺境伯の背中を眺めることしか出来ない。

 王宮の騎士たちはまるで救世主でも出現したかのようにジークムンド辺境伯の周囲を囲み、メイドたちがバタバタと王城野中を行ったり来たりし始める。

 それはまさにフローラで彼らの登場を見た一般市民たちがしたような反応と同じで、彼はここでも英雄扱いなのだということが嫌でもわかった。

「リリくん、フロイトくん。離れないでついてきなさい」

「は、はいっ」

「はいぃ……」

 それにしても、王城の範囲に入るとさっきまでとは風景が一変するのだから物凄い。

 ここにも【魔女の指先】が置かれているのか、王宮へ近付けば近付くだけひんやりしていた空気はほのかに暖かくなり、リリの感じる魔力も強くなっていく。

 この中には余程強い結界が張られているのだと察して、リリはちょっとばかりさっきよりも緊張を強める。

 王城だなんて、しかもその中の王が住まう王宮だなんて、そんな所に入れるなんてきっとこの先ありはしないだろう。あっても困るが、ここまで国の重要施設に入ることは今後もほぼ無いに決まっている。

「リリ……魔力、感じる?」

「えぇ、感じるわ」

「だよな……凄い、こんな強い結界を作れるくらいの【魔女の指先】がここにはあるんだ」

 ボソリとフロイトが言い、リリも小さく頷いた。

 エグリッド王国では【魔女狩り】によって魔力を使える人間は激減していると聞いていた。そんな中だというのにこんなにも協力な守護を持っている王城の凄さと、そこまで警戒しているような雰囲気に額が汗で濡れそうだ。

「グウェン! グウェンダルではないか!」

「おぉ兄上殿、久方ぶりだな!」

「まさかお前がここまで来るとは……イングリッドは無事か? 他の者は息災か?」

「落ち着け落ち着け、ここでするような話ではないだろう」

 カチコチになりながらジークムンド辺境伯の後に続いて王宮に足を踏み入れたリリとフロイトは、待ちかねたように凄い勢いでバタバタと走ってくる足音にまた緊張して足を止める。

 まさか襲撃かと身構えた二人は、しかしすぐに聞こえてきた会話に同時にホッとため息を吐き、同時に互いを見て苦笑した。

 リリも見るのは初めてだが、貴族の走り方とは思えない大股のダッシュで玄関広間にやってきたのはどこかエリアスティールの面影のある男性だった。

 ブルネットの髪に口ひげを蓄えているその男性は辺境伯ほどではないが鍛えているのが目に見える体格をしていて、やはりアレンシールは母親似か、などと再確認をしてしまう。

 なんというか、エリアスティールが男性だったらこんな風になるのだろうかという感じの、どこか線の細い男性だが腰に佩いた剣といいがっしりとした肩といい、この人もしっかりとした「戦う男」なのだろうことが分かる。

 ジークムンド辺境伯が兄と呼ぶ人物。ということは、彼がエリアスティールの父であるノクト侯爵で間違いがないだろう。

 その背後に控えているまだ若い男性は、これもノクト家の血脈だろうか。アレンシールっぽくもありエリアスティールっぽくもあるその人はここまで案内してくれた騎士たちと同じように鎧を着込み、ジークムンド辺境伯ではなくリリとフロイトを油断なく見下ろしている。

 ノクト侯爵が半泣きで弟と迎え入れている姿とは対照的なその様子に、リリはやはり引きつった笑みを浮かべるしか出来なかった。

「王都が厄介なことになっていると聞いてな。話したいこともある。どこか人払いが出来る部屋はないか」

「うむ、ではわたしの執務室へおいで。その、後ろの子たちは……」


「この子らは、エリスの友達だ。兄上」


 今度は嘘をつかずに、ジークムンド辺境伯はきっぱりとそう言いきった。

 果たして、この言葉がここにいる何人に聞かれたのだろうか。一瞬焦ったリリだったが、そんなことよりもまるで氷のような瞳でコチラを見下ろしている鎧の騎士の目が怖くって口角が引きつってしまう。

 向こうは階段の上。こちらは階段の下。

 何となく、あの人が動けば一撃で殺されるんだろうなと、リリとフロイトはぎゅっと互いの手を握りあった。

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